大型クルーズ船という“多民族海上都市”のロックダウン
大型クルーズ船は、ひとつの海上都市である。人口は、3000人から8000人ほどで、バーにレストラン、カジノにダンスホール。劇場・映画館、スポーツジム、美容院に理髪店、そしてホテルなど、繁華街の機能を持つ海上都市なのである。しかも、海という堀に囲まれているため、三密と言われる「密閉」「密集」「密接」が起きやすい状況であった。ダイアモンド・プリンセス号内での新型コロナウイルスの感染対策は、一つのロックダウンだったのだ。さらに、この海上都市は、50か国以上の人々が共同生活をする多民族都市でもあった。
2020年2月、横浜に寄港したイギリス船籍の大型クルーズ船、ダイアモンド・プリンセス号の船内で、ウイルスの感染が広まった。そのとき、政府は、乗客・乗組員を横浜港に停泊させた船内で隔離したが、国際法による根拠や処置すべき国は、どの国にあるのかなど、海上、船上での責任の所在が注目された。
この記事の画像(6枚)ダイアモンド・プリンセス号の場合は、船の国籍にあたる船籍国はイギリスであり、所有者はイギリスのP&O社。運用者は、カーニバルクルーズジャパン社という日本企業であるが、同社は米国のプリンセス・クルーズ社の日本オフィースであり、実質的に米国企業が運航している。
国際法の概念以前から存在する外航船の運航ルール
外航船の運航ルールは、多くの人々に馴染みがないものである。世界の海を渡り行く海運の世界は、国際法の概念が生まれる前から存在している。そのため、国際海洋法は、「海の世界」の慣習を時代修正して成文化したようなものである。
現在の海洋法は、旗国主義と言われ、公海上においては、旗国と呼ばれる船籍国が、国家主権を行使することができる。しかし、船籍を税制優遇措置のある国や規制の緩やかな国に置く便宜置籍船制度が定着している。全世界の外航船の約18%は、中米のパナマ船籍であり、約11%が西アフリカのリベリア船籍である。内陸国・モンゴル船籍も存在する。国際法では、海が無い国でも船籍国となることが認められているのだ。リベリアやモンゴルが旗国として船の管理責任を負うとは考え難い。
旗国としての発言がなかったイギリス
ダイアモンド・プリンセス号に、日本政府の検疫許可を得るための船内環境を整えるのは、運航会社及び船長の責務であると同時にイギリスの旗国責任に該当するだろう。また、国際保健機関憲章に基づく国際保健規則では、自国が責任を有する輸送機関内において感染源に侵されないようにする義務を負う。しかし、今回の事案においてイギリス政府が旗国としての発言することはなかった。便宜置籍船制度は、旗国主義における国家の責務を有名無実のものにしているのである。
商船の所有者は、海運企業に貸し出し傭船料を徴収していることが多い。実質的に航海計画をつくり、船員の配乗などを手配するのは、海運企業=運用者である。ダイアモンド・プリンセス号の場合は、プリンセス・クルーズ社である。船内のさまざまな権限は、運用者から委託された船長が持つ。
運用者としての責任
国際保健機関(WHO)の船舶衛生ガイドラインでは、「船舶が乗客および乗組員に安全な環境を提供するような形で運用可能であることを確認する責任は船舶運用者にある」。また、「船長は、乗組員および乗客の健康を守るためにすべての合理的な措置を確認しければならない」と、運用者および船長の衛生環境に対する責務が規定されている。さらに感染症に関し、SARSや新型インフルエンザなどへの警戒から、船内で採るべきアウトブレイクへの対処策が細かく示されている。
ダイアモンド・プリンセス号の場合では、香港で下船した乗客の感染を知った2月1日にすぐ対処できなかったことが、感染の拡大の原因となった。乗客、乗組員、あわせて700人以上の感染者がでているが、船内感染者の多くは、2月2日から4日の間に感染したと推定されている。このことからも、日本国内での医療崩壊を防ぐ意味でも、船内での隔離は、止むを得ない判断だったと考える。
安全な航海を全うできなかったプリンセス・クルーズ社は、運用者としての責任から、全ての乗客に旅行代金の払い戻しや諸経費の支払いに応じている。
また、寄港国責任という入港国の責任として、日本政府の対応の不備に言及する報道もある。しかし、国際法における寄港国の責務は、検査や設備の不具合への対処に関する事項であり、ダイアモンド・プリンセス号への対処は、日本の検疫法の下での人道上の支援処置であったと考えるべきであろう。
船舶検査と修繕作業のための着岸
また、別視点から、外航船内における感染症の問題が起きている。
4月20日、長崎の造船所に係留していた大型客船コスタ・アトランティカ号の乗組員が、新型コロナウイルスに感染していることが判明したのだ。同号は、今年1月の末から、船舶検査と修繕作業のため三菱重工業長崎造船所香焼工場に着岸していたのである。本来、中国の上海で検査と修繕作業を行う予定であたが、中国では、既にコロナウイルスが蔓延していたため、急きょ予定を変更し、日本の造船所で作業を行うことにしたのだ。
コスタ・アトランティカ号の運用者は、CSSCカーニバルクルーズシッピング(本社・香港)である。かつて、香焼工場では、カーニバルクルーズ社から大型クルーズ船の発注を受けたが、火事を起こし大幅に工期を延長したことがある。カーニバルクルーズ社からの依頼には応じざる得ない雰囲気だったと想像される。
同号の船内には、乗客はいないものの、623人の乗組員が乗船していた。このうち、148人が新型コロナウイルスに感染したのだ。作業は、2月20日から3月25日の間に行われたが、コロナ騒ぎがあり出港しても次に入港できる国がないことから、岸壁で待機している状態だった。船内での乗組員の管理は、カーニバルクルーズ社の責任である。同社は、乗船所内にいる期間中、上陸は自粛していたとしている。となると3か月間にわたりウイルスが船内にいたことになる。
長崎県では、多数の陽性者を受け入れるだけの医療施設が無く、船内で隔離以外の方法はない。重症者を受け入れるだけでも病室の確保が難しい状態だった。乗組員の国籍は30カ国に分かれ、各国への帰国を求めることも難しかった。その後、検査により陰性が確認された乗組員は、母国の許可を待ち航空機により帰国している。
海洋国家日本が主導し新たなルール作りを
パンデミックにより、アジア海域を彷徨ったウエステルダム号をはじめ、数隻の大型クルーズ船が一時的に寄港先を失っていた。3月に2カ国から入港を拒否されたコスタ・フォーチュナ号は、シンガポールが母港であることから受け入れに応じた。韓国沖で漂流したコスタ・セレーナ号は、普段、日本周辺のクルーズが多いことなどから、長崎の造船所の岸壁に停泊が許された。しかし、船内でのウイルス感染が確認されたザーンダム号は、パナマ運河の通航にすら許可に時間を要した。同号では、4人の死者が出ている。
現在の国際法において、クルーズ船内で集団感染が起きた場合に対応できる規定はない。政府は、日本が主導し新たなルール作りを目指す方針だ。いち早く、慣習や営利主義を越えた人命重視の国際政策が必要である。着岸受け入れ条件、医療提供、そして、多民族、多宗教、多様な文化が混在する中で、メンタルケアの手法も重要な検討課題だ。
コロナウイルスは、日本にもフアンが増え始めたクルーズ船産業の崩壊を起こしかねない。クルーズ船での観光が廃れる前に、海洋国家として、外交力を示しイニシアティブを取ることを期待したい。
【執筆:海洋経済学者 山田吉彦】