ロシアによるウクライナ侵攻は、多くの国に自国の安全保障政策の抜本的見直しを迫っている。北欧のフィンランドとスウェーデンは正式にNATO加盟申請をした。ところが迅速に進むはずだった加盟プロセスを阻止した国がある。トルコだ。

トルコのエルドアン大統領
トルコのエルドアン大統領
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“テロの脅威”強調 シリアへの軍事侵攻を狙う

トルコのエルドアン大統領は5月18日、「この2カ国、特にスウェーデンはテロの温床になっている」と批判し、「だからこそ我々は、スウェーデンとフィンランドのNATO加盟にノーと言う決意を固めたのだ」と述べた。

トルコは、両国がトルコがテロ組織と指定するクルド労働者党(PKK)やギュレン運動(FETO)などのメンバーを匿い支援していること、トルコがテロリストとみなす33人のトルコ送還に同意していないことも批判している。エルドアン氏は「テロリストは返さないのにNATO加盟を要求するのか」と語気を強めた。

議会で演説するエルドアン大統領(アンカラ 5月18日)
議会で演説するエルドアン大統領(アンカラ 5月18日)

NATOへの新規加盟にはNATO加盟30カ国全ての承認が必要だ。トルコは1952年からNATOに加盟している。トルコは「拒否権」を武器に、この機にNATO諸国からありとあらゆる譲歩を引き出そうとしている可能性がある。

そのひとつの証左として、トルコが5月23日にシリア北東部への「軍事作戦」を予告したことが挙げられる。ここは米国などが支援してきたクルド人武装組織シリア人民防衛隊(YPG)が支配する地域だ。トルコは、YPGはPKKの分派にしてテロ組織であり、YPGの存在はトルコの安全保障上の重大な脅威だと主張する。エルドアン氏はこの「作戦」により、トルコとシリアの国境沿いに30km幅の「安全地帯」を作る取り組みを再開すると述べた。そこに現在トルコに350万人いるとされるシリア人難民のうち、100万人を「自主的に」移住させる計画だ。

シリア人民防衛隊(YPG)の戦闘員(シリア・アレッポ 2013年)
シリア人民防衛隊(YPG)の戦闘員(シリア・アレッポ 2013年)

トルコは2016年、2018年、2019年と過去3回にわたりシリア北東部に軍事侵攻してきた。しかし米国をはじめとするNATO諸国は、「イスラム国」と戦ってきたYPGを支援してきた背景がある。トルコが対YPG軍事作戦を開始すると、フィンランドやスウェーデンはトルコに武器輸出禁止の制裁を課した。トルコは両国のNATO加盟に反対する理由のひとつとして、この制裁も挙げている。

要するに今はトルコにとって、NATO諸国、特に米国から批判も制裁もされずにシリアに新たに軍事侵攻する千載一遇のチャンスなのだ。

トルコ国営アナドル通信は5月20日、次のような論説を掲載した。

スウェーデンとフィンランドのNATO加盟について、トルコの要求は非常に明確だ。2001年9月11日に米国がテロの標的となった際にNATO条約第5条(注:加盟国が攻撃を受けた場合に他の加盟国が反撃する集団的自衛権の行使を定める)が実践されたように、自国を標的とするテロに対して同盟が共通のスタンスをとることをトルコは要求しているのである。

NATO加盟国はトルコにとってのテロ組織であるPKKやYPGに対し、トルコ同様に敵対し、トルコのテロとの戦いを支援しなければならないのだ、とトルコは要求する。

NATO加盟をめぐるトルコとスウェーデンの協議(アンカラ 5月25日)
NATO加盟をめぐるトルコとスウェーデンの協議(アンカラ 5月25日)

迫る大統領・議会選 国内向けアピールか

ではなぜトルコは、恫喝まがいの外交をしてまでシリアへの軍事侵攻を強行しようとしているのか。それはおそらく、トルコの大統領選挙、議会選挙が2023年に迫っているからである。

ロイター通信は5月6日、「物価高騰でトルコ国民の家計は非常に窮迫しており、来年6月に予定される大統領・議会選で長らく続いたエルドアン大統領の統治時代に幕が下りる可能性も出てきた。実際、世論調査でエルドアン氏の支持率は低下が止まらない」と伝えた。

シリア北東部への「軍事作戦」を予告(5月23日)
シリア北東部への「軍事作戦」を予告(5月23日)

ウクライナ戦争による原油や食料の高騰は、経済危機をさらに悪化させる可能性が高い。好調な経済を生み出す術のないエルドアン氏は、国民に経済危機を忘れさせ、国家的大義に目を向けさせ、野党からの批判を封じ込める必要がある。過去3回行われたシリアへの国境を越えた「軍事作戦」と「テロとの戦い」が、その点において一定の効果をあげた経緯もある。

シリア北部にクルド人戦闘員の存在しない「安全地帯」を設置することができれば、トルコ国民を安心させることができる。トルコ国内のシリア難民をそこに移住させれば、反難民感情が高まっているトルコ国民を満足させることもできる。

加えて、そこに街を建設しインフラを整備する仕事をトルコ企業にもたらすこともできる。2019年以降、トルコはシリア北部のトルコ支配地域で約5万戸の住宅を建設しており、2022年末までにさらに10万戸の住宅と、学校、病院の建設、各種インフラ整備を目指している。「安全地帯」という名ではあるが、実質的にはトルコの領土拡張に近い。

トルコは実は、外交、安全保障、経済の面において中国とロシアに大きく依存した国でもある。トルコは2013年には中ロが主導する安全保障機構である上海協力機構 の「対話パートナー」となった。NATO加盟国であるにも関わらず、ロシアの地対空ミサイルシステムS-400を導入していることでも知られている。

地対空ミサイルシステム「S-400」(ロシア国防省公開の映像より)
地対空ミサイルシステム「S-400」(ロシア国防省公開の映像より)

2020年には中国との通貨スワップ協定に基づき初めて人民元による貿易決済を実行、2021年にはスワップ上限を60億ドルに引き上げた。

NATOにトルコが加盟している限り、トルコが今回のような恐喝外交でNATOを揺さぶり、譲歩を引き出そうとする問題は今後も繰り返される可能性が高い。

【執筆:イスラム思想研究者 飯山陽】

飯山陽
飯山陽

麗澤大学客員教授。イスラム思想研究者。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。著書に『イスラム教の論理』(新潮新書)、『イスラム教再考』『中東問題再考』(ともに扶桑社新書)、『エジプトの空の下』(晶文社)などがある。FNNオンラインの他、産経新聞、「ニューズウィーク日本版」、「経済界」などでもコラムを連載中。