戦後、139万人以上が大陸から引き揚げてきた博多港。その引き揚げの歴史を伝える資料館が、10年ぶりにリニューアルされた。

 
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引き揚げ者の1人は、当時の状況がロシアの侵攻を受けている現在のウクライナと重なると話す。

148点の資料が物語る歴史

上村陽一郎さん:
船を待たなきゃいけなかったから。その時は、栄養失調でシラミ、ノミが身体にたかり放題だった

10歳の時、旧満州から引き揚げてきた上村陽一郎さん(86)。

当時は栄養失調状態だったという

終戦後の博多港。国内最大級の「引き揚げ援護港」として、139万人余りを受け入れた。海外で敗戦を迎えた人たちにとって戦後、祖国に辿り着くまでの道のりは苦難の連続だった。

岸本貴博記者:
今回のリニューアルにともない、展示される資料もこれまでの102点から148点に大幅に増えました。実物の資料が歴史を静かに物語っています

開館から10年。展示物が大きく変更された会場には、終戦時、当時の朝鮮にどれだけの日本人が住んでいたのかが詳しく記された資料や、戦時中に満州国で使われていた紙幣なども展示されている。

戦時中、満州国で使われていた紙幣

生まれた赤子の首を絞め…極秘施設で中絶手術

その中でも、日本に引き揚げる途中、旧満州に侵攻してきたソ連の兵士などに暴行され望まぬ妊娠をした女性に対し、中絶の手術を施していた極秘の施設「二日市保養所」に関する資料と説明は大幅に拡充された。

村石正子さん(2014年取材):
あちらに大きなお風呂があって、あれからずっと向こうまで病室があった

二日市保養所で中絶手術に立ちあった元看護師

7年前に亡くなった元看護師の村石正子さん。村石さんは二日市保養所で毎日、手術に立ちあった。

村石正子さん(2014年取材):
先生の手元を見ながら、まず子宮口を開かないといけないでしょ。言われなくても(中絶用の)器械を差し出すんですよね。それをしてました、ずっと。

 

村石正子さん(2014年取材):
長い産みの苦しみを経て、赤ちゃんがオギャーと一声上げたら、ほっと安心するんだよって。そしたらお乳も張ってくるんだけど、それを彼女たちに味わわせるのは酷じゃないかって。だから声を聞かせないんだよって(医師に)言われてたから、私が立ち会った時、とっさに首を絞めたんです。大きくよく太った女の子でした。赤い髪のね…。また改めてメスを刺して、首を締め直したんですけど、仕方がなかったんです。お母さんのためだから、ごめんねって言ってました。あの子たちに罪はない。お母さんにも罪はない

弱い立場の人が犠牲に 重なるウクライナの現状

家族とともに旧満州から、命からがら引き揚げてきた上村陽一郎さん。

 

当時の状況は、女性や子どもなど弱い立場の人たちが多く、犠牲となっている今のウクライナと重なると話す。

上村陽一郎さん:
今のウクライナの状態は、我々が経験したこととリンクするんです。まさしく77年前に、あのころはソ連軍が満州に入ってきた訳です。日本も満州という国をつくっているから、あまり言えないんでしょうけど…。本当に胸が痛いですよね。いわゆる戦争というのは、戦場で戦う軍人だけではないですからね。だから、今のウクライナの戦争が早く終結してほしいと切望します

福岡の歴史を知り、今の世界情勢を考えるきっかけに。博多港引き揚げの展示は、福岡市中央区の市民福祉プラザに常設されている。

(テレビ西日本)

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