2月11日に午前行われた、北京五輪スノーボ-ド男子ハーフパイプの決勝。
新潟・村上市出身の平野歩夢(23)が、冬のオリンピック3度目の挑戦で、悲願の金メダルを獲得。
快挙を成し遂げた裏には、苦難を乗り越え、挑戦し続けてきた姿があった。
4歳から始めたスノーボード・スケートボード
この記事の画像(29枚)(Q.何歳ですか?)
平野歩夢 選手(当時4歳):
4歳
(Q.きょうの調子はどうでしょう?)
わかんない
絶対王者ショーン・ホワイトへの憧れとオリンピック出場の夢
4歳のとき、スケートボードとともにスノーボードを始めた平野歩夢。
父・英功さんの指導を受けながら練習に励んでいた少年には、ある大きな夢があった。
(Q.将来の夢は?)
平野歩夢 選手(当時11歳):
オリンピックに出て優勝すること
そんな平野の憧れは、スノーボード界の神様とも称されたショーン・ホワイト。トリノ、そしてバンクーバー五輪で2連覇を達成していた絶対王者だ。
平野歩夢 選手(当時11歳):
ショーンみたいに高く飛べるような選手になりたい
スーパースターの姿を追っていた平野は8年前、ソチ大会で初めてのオリンピックに出場する。
ショーン・ホワイトが4位で終わる中、当時15歳の平野が手にしたのは銀メダルだった。
憧れの絶対王者を超えたかに見えたが…それから4年後の平昌オリンピック。
再びオリンピックの舞台に立った平野は、持ち味の高さを活かしながら難度の高い技を次々と成功させる。
しかし、憧れでライバルのショーン・ホワイトを前に、平野は2大会連続の銀メダルとなった。
平野歩夢 選手(ソチ五輪後):
すごい過去一の戦いがオリンピックでできたのかなと思う
2大会連続銀メダルから…冬・夏”二刀流”への挑戦
すべてを出し切っても超えられなかった壁…。このオリンピック後、平野は「新たな挑戦」を口にする。
平野歩夢 選手(2018年):
スルーするわけにはいかない。
それは、スケートボードでの東京オリンピックへの挑戦。
しかし、新型コロナウイルスの影響で東京オリンピックは1年延期に。それでも、スケートボードとスノーボードの練習を続けた平野は2021年、夏・冬オリンピック出場を実現させる。
平野歩夢 選手(東京五輪後):
楽しめたのが一番強い。この経験を次にいかしていきたい
この挑戦で感じたのが、「チャレンジ」することの意味だった。
金メダルを目指し…3度目の冬季オリンピックの舞台へ
東京オリンピックからわずか半年…
みたび冬のオリンピックの舞台に立った平野。
高い壁だった憧れの存在ショーン・ホワイト。そして、弟の海祝とともにメダルをかけた決勝の舞台に臨んだ平野。
地元・村上市も応援ムード一色に。
平野は決勝1回目、縦3回転・横4回転の大技「トリプルコーク1440」を成功させるが、終盤に転倒し、得点を伸ばすことができない。
一方、オリンピック3大会で金メダルを獲得している絶対王者ショーン・ホワイトは2回目でこの日、自身最高となる85点をマーク。
憧れの存在を超えることができるのか。平野歩夢の2回目。
大技を再び成功させ、その後もミス無く滑りきるも、得点が思うように伸びず、この時点で2位に。
しかし、この採点が平野の闘志に火をつけた。
平野歩夢 選手:
正直、2本目が終わった時点で『なんでだろうな』って、ちょっとイライラしていて…
「怒り」を「集中」に変えて挑んだ3回目…
再び大技・トリプルコーク1440を決めた平野は最後まで攻めきり、悲願だった金メダルを獲得した。
平野歩夢 選手:
まだ実感があまりないですけど、ようやく小さいころの夢が一つ叶った
村上市で観戦していた子ども:
歩夢くんみたいにオリンピックに出て、金メダルを取れたらうれしい
ショーン・ホワイトも感嘆 ”世代交代”の瞬間
そしてこの快挙は、憧れの存在を超え、世代交代を果たした瞬間でもある。
平野歩夢 選手:
本当にショーンも相変わらず、ずっとチャレンジし続けていて、僕には経験できないことをいつも見せてくれているなとすごく刺激になった
ショーン・ホワイト 選手:
最終滑走者であれだけのランをするのは簡単なことではないと思う。とても尊敬している。歩夢は僕の人生の1ページに刻まれた
兄とともに決勝の舞台で戦い、9位となった弟の海祝も兄の快挙を称えた。
弟・平野海祝 選手:
楽しいことだけじゃなくて、つらい思いをたくさんしているところを身近で見てきて、それを身近で見てきたからこそ、金メダル目の前でとっているのを見て1番感動して、泣きそうになったくらい本当にすごいなと思いました
平野歩夢 選手:
兄弟で一緒に出場できて、その場で自分が勝てたというのはお互いにとってもすごい良かったと思う
15歳で初めて手にした銀メダルから、努力と挑戦を続けた23歳が、ついに世界一に輝いた。
(NST新潟総合テレビ)