自身3度目の優勝を果たし、大関に昇進​した御嶽海(29歳)。
結婚も発表され祝福ムードは高まる一方だが、連日の取組を見守ったファンの中には、精神面の変化を感じた人も多いだろう。

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実際、御嶽海本人に自分の性格を尋ねると「明るいけど、あきらめも早い」、そして「落ち込みやすい」という言葉が返って来るが、1月場所の御嶽海は、たとえ負けても翌日には自分の相撲を取り戻し、一度も連敗を喫することなく13勝2敗の成績を残した。

これまでは、一度集中力を欠き始めると、ガタガタと星を落とすこともあったが、なぜ今場所の御嶽海は崩れることがなかったのか?そしてなぜ大関昇進を決めることが出来たのか?

この記事ではその成長の礎となった心の変化を、独自インタビューを通して伝える。

「これで決められなかったら、もうない」「自分に嫌気がさした」

まずはこの1月場所で、一度も連敗を喫する事がなかった要因をどう感じているのか聞いた。

ーー今までは大事な所で負け、そこから連敗してしまうこともありましたが、それがなかったのは何故でしょうか?

自分の中で“そんな自分に嫌気がさしていた”感じがします。(大事な所で負けると)いろんな所で『これが御嶽海なんで…』と言われましたが、それが嫌になって来たというか、『じゃあ一体いつ決めるの?』みたいなことを考えた時に、『これで決められなかったら、もうないな』と正直思いました。


「本当に自分に嫌気がさしたからこそ、気持ちをもっと奮い立たせてやれたかなと思います」

そう話した御嶽海。

11日目、大関・正代との対戦
11日目、大関・正代との対戦

実際、今場所の御嶽海は10日目に北勝富士に一方的に破れた翌日、大関・正代との対戦で、胸を合わせた力と力の相撲から堂々と寄り切って連敗を阻止。

さらに12日目に再び阿武咲に敗れ、「またいつもの御嶽海に戻るのか…」と嫌な空気が流れたが、それでも翌13日目に好調の阿炎を落ち着いて押し出し、ひと味もふた味も違う姿を見せた。

その力強さの原点こそ、これまでの“自分に対する嫌気”だったのだという。

ーー13日目に阿炎戦に勝ったことで。そこから大関昇進は今場所決めるんだと思いましたか?

思いましたそこで。阿炎戦で11勝した時に、来場所につなげるというよりは、この場所で(大関を)決めた方がいいと思いました。

自分の性格を知っているので、来場所に持ち越すと『やっぱり御嶽海…』みたいなことになりかねないと思ったので、それはやめたいと思って、『残り2日絶対勝つ』と。身体から自然と力が沸いて来ましたね。
ラスト2日アップしたなと思います。後半でここまでアップしたのは初めてです。
 

昨年の9月場所で9勝、11月場所で11勝をあげ、大関昇進の目安とされる『三役の地位で直近3場所33勝以上』まであと13勝としていた御嶽海。しかし、この1月場所は、まずは2桁勝利を収め、春場所の大関昇進の足固めをする場所だと周囲は思っていた。

ところが今場所の御嶽海は、誰よりも早く中日にただ一人勝ち越しを決めると、残り2日、全て勝てば大関昇進の目安である33勝にも到達する所まで勝ち星を重ねて見せた。さらに優勝となれば大関昇進ムードは一気に高まる。

正直に自分の性格と向き合ったことで、本来であれば疲れが出る終盤戦になって、力が湧いて来たのだという。

「今年が20代最後で、狙える年だって思っていたんですけど、じゃあ次の場所まで大関昇進を引き延ばせるかって言ったら、自分の性格上そこまでの自信もないですし。今、今しかないんじゃないか?って凄い思いました」

「『いつ(大関に)なるの?』ってだいぶ耳にタコ、タコ以上が出来ました。それくらい言われ続けましたからね」と苦笑いする。

千秋楽、横綱・照ノ富士戦
千秋楽、横綱・照ノ富士戦

ーーということは千秋楽の横綱戦は、優勝決定戦は考えず本割1回で優勝を決めるつもりでしたか?

もう1回で。3人での決定戦は自分が一番不利だと思ったので…(笑)
気持ちが切れちゃうんじゃないかと思ったので、この一番で全神経、全集中で本割に挑みました。

「悔しさをバネにでは全然だめ」“大関”の言葉を封印 

さらに今場所で、一気に大関に昇進出来たその原動力を聞いた。

ーーこの3年間で沢山の人が先に大関になって行きましたがどんな気持ちでしたか?

めっちゃ悔しかったですし、「えっ?なんで大関候補一番と言われた俺より先にみんな(大関に)なってんの」って。

ーー貴景勝関が昇進して、翌年は朝乃山関。次こそ御嶽海関かと思ったら正代関が先になりました。

ホント悔しかったです。何回諦めようか…本当に諦めかけたというか。
あの3人を見ていると、「大関になります」とは公言していなくて、公言している自分が大関になれないのはすごく恥ずかしい。気が付いたら一番嫌なポジションになっていました。


2018年の7月場所、関脇の地位で初優勝。そこから大関候補筆頭と言われながら足踏みした3年半は、御嶽海にとって苦悩と葛藤の日々だった。

自身の初優勝の後に、3人の大関が誕生。さらに照ノ富士が怪我から復活し横綱にまで昇進。相撲ファンの注目度も次第に薄れつつあった。

「何回も公言することで有言実行しようとか、くやしさをバネにとかやって来ましたけどそれでは全然だめ。大関はそれだけでは全然なれない。だから去年から“大関”って言葉を言うのをやめました。

それだけ本当に難しい。昇進するのが大変ということをその時実感しました。だから去年から一切(大関と)言わなかったです」

実際、御嶽海は昨年から「大関」という言葉を取材陣に問いかけられてもさらりとかわし、その言葉を直接聞くことができなくなっていた。周囲はそれを「もう大関は諦めたのではないか」あるいは、「強い関脇で満足したのか」と囁くこともあった。しかし、それは大関への思いが強いからこその行動だったのだという。

ーー比較的ビッグマウスだった関取が、「もしかしたら諦めたのかな?」と思いましたがそれは違いましたか。

(笑)全然違います。本当に『諦めたんじゃないの?』という声も多々ありましたよね。でも諦めてないからこそ内に秘めて、ひたすら結果を出すしかないと。

ーー本当にこの3年間の経験は大きかったですね?

それこそ横綱(照ノ富士)は下から這い上がって来て、もう横綱ですか?という早さだったので「いつまでこんな自分でいるんだ」って思いましたね。

ーー眠っていた闘志に火がついたのには29歳という年齢もありましたか?

ありました。今までなら一晩寝たら回復出来たのに回復出来ない。ケアしないと出来ない。コロナが起きて実感しました。

これで1歳ずつ年を重ねた時に、30歳では気持ちも体力もついて来ない。もうラストチャンスだと思うくらいこの20代でやらないといけない。そう思いました。

ーーそう意味では今だったんですね?

今でしたね。ハイ。

「ようやくスタートラインに立てた」「ここからが相撲人生」

最後に大関と呼ばれる実感と、これからの土俵への想いを聞いた。

「優勝して紋付き袴に着替えたり、パレード用の車に乗る時とか親方衆が『おい大関!』とか茶会してくださる。『大関って茶化していいのかな?』と思いつつ(笑)
まだ伝達式前なので実感はないですけど、『おい大関!』とかちょっと面白いです」
(※このインタビューは伝達式前に取材)

そしてSNS上には千秋楽のあと、間垣親方(元横綱・白鵬)と二人で撮影した写真が公開され、話題となった。誰よりも強かった伝説の横綱とは、どんな会話になったのだろう。

「(間垣親方から)おめでとうと言っていただき、『また稽古しないといけないね』と言われたんで…。『ハイ、いつも通りで』と返しました(笑)

『そうだな』って言われました(笑)」

大関になることは、すなわち横綱を狙える地位に立つことを意味する。
見守り続けたファンや、地元・長野の声援にどう答えて行くのだろうか?

「待たせたんだからもう1個先も見ていて欲しいですね。『待ってました!』で次の人を応援ではなく、『待ってました』で『もう一個上があるよ』という気持ちをみなさんから得たいです。

ようやくスタートラインに立てたっていうか、(入門当時に)関脇までは行けるだろう、でもそこからが相撲人生だと思っていたので、大関になったこれからが勝負じゃないかと思います」

東洋大学時代はアマチュア横綱や学生横綱を始め15冠を手にし、鳴り物入りで名門出羽海部屋に入門した。多くの部屋からのスカウトがあったが、師匠から「出羽海部屋をもう一度復活させるためにも入門してほしい」と言われた程の才能の持ち主だ。

ーーアマチュア横綱や学生横綱にもなりました。次はプロの横綱を目指されますか?

目指さないといけないと思います。ハイ。


伝達式を終え、大関としての相撲人生をスタートさせた御嶽海。 
大関昇進は遅くなったが「これからが勝負」という本人の言葉通り、険しい横綱への道のりが始まる。

まずは最初の土俵となる大相撲トーナメントでの雄姿を見守りたい。

(協力:横野レイコ、吉田昇、山嵜哲矢 文:吉村忠史)

日本大相撲トーナメント 第四十六回大会
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