見えぬ「安保」の姿

岸田政権の経済安全保障政策から安全保障の姿が見えてこない。

経済安全保障は、経済を安全保障のレンズを通してみると、経済の役割はどのようなものかを考える分野だ。狭く解釈すると、安全保障を支える経済力や技術力の強化などに限定されるし、広く解釈すると、経済を支えるエネルギー確保、さらには食料の安定供給問題など、経済政策と呼んでもよい領域まで含む。

岸田政権の経済安全保障政策をみてみると、経済政策に近い部分の政策が主となり、軍事的な安全保障との関わりが薄い印象を受ける。もちろん日本には、軍事問題を正面から取り上げることには忌避感はあるが、経済安全保障分野においては、経済面からこの壁を乗り越え、経済と安全保障をバランスさせ、融合させる政策を打ち出す必要がある。

防衛・経済安全保障シンポジウムで挨拶する岸田首相(2021年12月3日)
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サプライチェーン強化を防衛分野でも

例えば、2021年末から具体的検討が始まった経済安全保障推進法。ここでは、(1) サプライチェーンの強靭化、(2) 重要インフラの安全性確保、(3) 先端技術の育成・支援、(4) 特許の非公開、の4分野から検討がなされているが、これらは方向性を間違うと、ただの経済・産業政策になりかねない。

サプライチェーンの強靭化は、重要課題で推進すべき分野である。半導体不足による自動車やゲーム機器産業などでの減産は日本経済に打撃を与えているし、このための対策を講じなければならない。しかし、この対策は、リスクに直面した企業として、事業を存続させるためには当然取り組むべき課題である。現に、半導体製造装置メーカーのディスコは、設計変更を行って必要となる半導体の種類を減らし、これら少種類の備蓄を積み上げることにより、半導体の供給リスクに対応しようとしている。また、電子部品メーカーの村田製作所は、米中分断がもたらすリスクを想定して、今後3年間で2300億円を投資する計画を打ち出している。

これらの対策は企業による一種のBCP(企業継続計画)であり、これに政府が補助金を出すだけでは、ただの経済・産業政策になる。日本の安全に資する経済安全保障政策にするためには、サプライチェーンの強靭化を防衛分野でも行わねばならない。防衛産業のサプライチェーンが緊急時に自律的に機能し、最先端技術が防衛分野にも供給される体制を構築することが重要な経済安全保障政策となる。

同様に、先端技術の育成・支援でも、AI、量子技術などへの政府支援や資金提供に終わるならば、ただの経済・産業政策にすぎなくなる。効果的な経済安全保障政策のためには、先端技術育成の輪に防衛省を加え、防衛分野における技術力向上に結び付ける仕組みを作らねばならない。

経済安全保障推進会議で発言する岸田首相(2021年11月19日)

「外交・安保」への鞍替えが必要

2021年12月の岸田首相の所信表明演説をみてみよう。ここに経済安全保障が含まれたことは画期的ではあったが、経済安全保障が「新しい資本主義の下での成長」の項に入っているところに違和感がある。果たして、経済安全保障は成長戦略になりうるのか。経済安全保障に関する根本的な問いである。

経済学の教科書が大砲とバターの例を使って教えるのは、大砲の生産を増やすとバターの生産を減らさざるを得ない、すなわち、経済と安全保障の間にはトレードオフの関係がある、という点である。したがって、経済のみならず、安全保障にも投資をする経済安全保障政策は、経済成長の阻害要因になりうる。これを、「新しい資本主義」の下では安全保障にも資する分野に投資することが経済成長につながる、とするためにはしっかりとした理由付けが必要になる。「この分野に民間投資を呼び込み、経済成長も実現させます」というだけでは説得力が足りない。

ここでの違和感は、経済安全保障が所信表明の「外交・安全保障」ではなく、「新しい資本主義」の項に入っているところから生じているのだろう。岸田首相は、1年をかけて国家安全保障戦略を改定し、ここに経済安全保障を盛り込むとも述べている。これは正しい政策の道筋である。しかし、これを実現させるためには、経済安全保障を「新しい資本主義」から「外交・安全保障」へと鞍替えさせる作業が必要になる。

所信表明演説を行う岸田首相(2021年12月6日)

日本は技術力で存在感ある地位を

米中覇権争いの時代に、米国と同盟国が中国に対して優位な立場に立つためには、外交・安全保障政策としての経済安全保障の質が大きな差をもたらす。

例えば、防衛分野のサプライチェーン問題を見てみよう。米中の覇権争いが長期化することを想定すると、両陣営は持てる経済・技術力を駆使して、最先端の兵器を継続的に生み出す能力を得ようとするだろう。その際に米国側の鍵を握るのが、同盟国の経済力、特に技術力を活用して、いかに中国に勝る安全保障分野のイノベーション力、生産能力を強化するかにある。中国の同盟国的な位置にある国々は、いずれも米側と比べるとその技術力、イノベーション力に劣る。このため、長期的な中国との争いを有利に進めるためには、同盟国間で安全保障分野の協力を進め、同盟国が持つ技術力を最大限利用する発想が重要となる。

オンラインで開催された米中首脳会談(2021年11月16日)

バイデン政権は、2022年3月には米国の防衛サプライチェーンに関する報告書を発表する予定である。この報告書の中では、おそらく同盟国との技術協力や防衛サプライチェーン構築の課題が取り上げられる。このような環境下では、日本は国際競争力を持つ材料、部品、工作機械、さらには修理や保守技術を活用して、同盟国間のサプライチェーンの中で存在感ある地位を獲得すべきであろう。

ここまで経済安全保障の安全保障的側面を中心に岸田政権の課題をみてきた。
日本の経済安全保障政策をさらに前へと進めるためには、これらの安全保障上の課題に取り組みつつ、一方では過度なデカップリングから日中間の経済関係を守るといった経済的な課題とのバランスを取らなくてはならない。これにはたいへんな政治的、外交的な手腕が求められるが、日本独自の経済安全保障戦略を確立するためには、避けては通れない道なのである。

【執筆者略歴】
村山裕三(むらやま・ゆうぞう)同志社大学大学院ビジネス研究科教授
同志社大学経済学部卒業、米ワシントン大学より経済学Ph.D取得。その後、野村総合研究所などを経て現職。専門は経済安全保障。経済産業省「産業構造審議会、安全保障貿易管理小委員会」、文部科学省「科学技術・学術審議会」などで委員を務める。著書に『米中の経済安全保障戦略』(編著、芙蓉書房出版、2021年)、『経済安全保障を考える』(NHK出版、2003年)など。

村山裕三
村山裕三


同志社大学経済学部卒業、米ワシントン大学より経済学Ph.D取得。その後、野村総合研究所などを経て現職。専門は経済安全保障。経済産業省「産業構造審議会、安全保障貿易管理小委員会」、文部科学省「科学技術・学術審議会」などで委員を務める。著書に『米中の経済安全保障戦略』(編著、芙蓉書房出版、2021年)、『経済安全保障を考える』(NHK出版、2003年)など。

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