岩手・盛岡市本宮地区とその周辺、いわゆる「盛南地区」。
盛岡駅から南に延びる杜の大橋の4車線化工事など、今も変化を続けている。
田園地帯から都市へと、大きな変化を遂げた30年の歩みをたどる。

商業施設が並ぶ「盛南地区」 かつての姿は…

雫石川を挟んで、盛岡駅の南に位置する「盛南地区」。
緑あふれる公園や美術館、商業施設や住宅が立ち並ぶ活気があるエリア。

この記事の画像(17枚)

しかし以前は田んぼや畑が多く、今と比べて道路も整備されていなかった。

発展の契機となったのは「盛南開発」と呼ばれる土地区画整理事業。
対象となったのは本宮地区と向中野地区、あわせて313ヘクタール。
この事業が最初に考え出されたのは高度経済成長期後半の1960年代で、人口の急激な増加にともない、新しい街を整備しようとしたのがきっかけだった。

しかし、構想に約20年の月日を費やし、本格的に工事が始まったのは1995年。住宅地や道路の整備が進んだ。
その中で大きな変化となったのが、盛岡駅と盛南地区を結ぶ盛南大橋の開通。

1997年当時のニュースでも、その効果を伝えている。

記者:
これまで駅に向かうためにはタクシーで約15分、1,400円ほどかかっていたんですが、新しく盛南大橋ができて、いったいどれくらい便利になったのでしょうか?確かめてみたいと思います

盛南大橋の開通前は、本宮地区から盛岡駅までは15分で1,400円だったが、開通により時間は7分、料金は1,060円になった。

官公庁や繁華街がある中心部とのアクセスが良くなり、当時の市長も手ごたえを感じていた。

盛岡市 桑島博市長(当時):
重要な道路になる。開発ももちろん進んでくる。街づくりも進んでくるということで、非常に期待している

加速する開発 土地価格の高騰も

その後、公共施設が続々と完成。
1999年には盛岡市立病院。同じ年に行われた盛岡市立総合プールの落成式には、バルセロナオリンピックの平泳ぎ金メダリスト・岩崎恭子さんが訪れ、初泳ぎをした。

2000年代に入ると開発は加速。
2005年に盛岡西バイパスの一部、2006年には杜の大橋が開通し、道路の整備が進んだ。

そして同じ年、市内2カ所目となる大型のイオンが開業。オープン時には、長蛇の列ができた。

来店客:
朝1番に、午前1時ごろ来た。すごく感じ良かった。商品も思ったより数多く買えた

この大型ショッピングセンターの進出をきっかけに、「盛南地区」は商業の街として変貌を遂げる。

県内に広く店舗を構えるスーパーや、全国展開する衣料品店など、次々とこの地区に店を開いた。

住民:
すごい。ここ十数年で変わったから。住んでてびっくりするくらい、生活しやすくなった

開発が進んだことにより、土地の価格も高騰した。
向中野地区の公示地価の変遷を見ると、計画が持ち上がった直後の1974年は1平方メートルあたり1万5,100円だったが、工事が始まる直前の1990年には約3倍の4万4,100円、2021年は7万6,200円まで上がっている。(国土交通省調査)

変わり続ける街の姿 地元の人の思いは

街の変化について、地元の人たちはどのように感じていたのか。
1997年当時に取材した、農家の藤田一雄さんは…

藤田一雄さん(当時66):
わたしも農家の生まれだから、田んぼ・畑がなくなるのは寂しい。これも時代の流れだと思うけど

藤田さんは、本宮地区で江戸時代から代々土地を守ってきた。
しかし、盛南開発で持っていた田んぼや畑の半分が宅地になった。この取材の4年後に、家も移転した。

2021年12月、藤田さんを再び訪ねると、藤田一雄さんは20年前に亡くなっていて、息子の隆二さん(65)に話を聞いた。

藤田隆二さん(65):
農家が宅地いっぱい引き渡されても、次どうするのかという不安は、かなりあった

当時の映像を見てもらった。

藤田隆二さん(65):
66歳だったんだ。(今の私と)ほぼ同じ。懐かしい

取材した当時の自宅跡地に行ってみると、地域の人たちの交流の拠点となる、本宮活動センターになっていた。

藤田隆二さん(65):
ちょうど20年前(父が)亡くなったので、このような街にはまだなっていなかった。見せたかった…。やっぱり本宮という土地が大好き。ここをもっときれいな街にしていきたい

「盛南開発」は2013年にほぼ完了した。
2022年には、街のシンボルである「中央公園」に保育園やカフェなどを備えた複合施設がオープンするなど、盛南地区は今もなお変わり続けている。

(岩手めんこいテレビ)

岩手めんこいテレビ
岩手めんこいテレビ

岩手の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。