1961年12月7日、うるま市の川崎に米軍のジェット機が墜落。2人が死亡し小学生を含む6人が重軽傷を負った。
長い間、事故の記憶は封印されてきたが、いま事故の記憶を語り継ごうと地元の人たちが証言している。
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よみがえる戦争の恐怖「足がすくんだ」
60年前のあの日の記憶を鮮明に憶えている女性がいる。
山田文子さん:
あの飛行機が飛んで来るときは、ほんと動けませんでした。足がすくみましたよ。自分のところに来るみたいで
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1961年12月7日午後1時40分、外で遊んでいた2人の娘を呼ぼうとした時だった。嘉手納基地所属のアメリカ軍のジェット機が、コントロールを失い墜落した。
山田文子さん:
主婦ですから、お昼をあげるために娘を探しに出たの。呼びに出たら墜落事故を見てしまったんです。自分の前に来るかと思いましたよ
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恐怖に震えながらも一心不乱に娘を探したところ、2人は無事だった。
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迫りくるジェット機の光景は、生まれ育った旧南洋群島テニアン島で経験した戦争の恐怖を一瞬でフラッシュバックさせた。
山田文子さん:
この飛行機が落ち始めたら、このときはテニアンの恐怖、私の気持ちの中に恐怖が蘇ってくるだけで…
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12歳の時、一緒に手をつないで逃げていた母が空爆により目の前で亡くなった。
山田文子さん:
目が覚めたら、お母さんの最後の言葉は「あいあい」。それだけ覚えてます。お母さんが亡くなって悲しいっていうよりは、自分たちも一緒に連れて行って、というだけでした。それくらい恐怖の思いをしました
家族と平穏に暮らしていた山田さんの頭に、一瞬にして過去の恐怖をも呼び覚ましたこの事故は、違う悲劇も生み出した。
表現できないほどの痛み…事故の記憶、約50年語らず
山田文子さん:
店の前まで行って、そしたら男の子が煙の中から出てきた。その子を引き出して、その時の記憶としては髪の毛の焼ける匂い
山田さんが見たのは、当時小学1年生で事故に巻き込まれた金城義孝さんの姿だ。金城さんは2013年、事故当時のことを次のように証言していた。
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金城義孝さん:
顔ははれ上がってくるし、目は3カ月くらい開かなかった。
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――入院してからの痛みは?
金城義孝さん:
表現できない。ロウソクを手にちょんちょん垂らすの、あれ序の口だよ。あれの何十倍ってもう…
全身に大やけどを負った金城さんは、その後も好奇の目にさらされた。
金城義孝さん:
バスだけは乗りたくなかった。乗ったら化け物扱いよ。化け物っていうか妖怪扱いよ。だから人がワーワーする所は、絶対行きたくなかった。
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金城さんはこの事故のことを思い出したくないと約50年、この話をすることは無かったと話す。山田さんも事故現場の付近に行くことを避け、慰霊祭にも参加しなかった。
しかし、転機は訪れる。事故から50年の節目に証言集を作ろうと、地域の人々が立ち上がった。彼らの想いに共感した2人も証言に手記を寄せた。
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証言集・山田文子さん手記(一部):
いつも静かな我が家、ドンとものすごい音。事故当時のことを思い出しながら書きました
証言集・金城義孝さん手記(一部):
あれから50年が過ぎて、事故のことも風化しそうになっている。米兵には友達もいた。しかし、沖縄が米軍基地のはきだめ、ゴミ捨て場になっている現状が大きな問題なんだ
記憶の継承を 小学校で平和集会
この想いや記憶を継承しようと、墜落現場に近い川崎小学校では平和集会が開かれている。
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児童:
体験者によると、基地の中に沖縄があるような感じで、基地がある限り被害もなくならないと言っていました
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12月7日の集会では、山田さんを含めた5人の証言を聞き取った小学6年生が後輩たちに事故の真相を伝え、平和な世の中をつくるため一歩を踏み出した。
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児童:
体験者本人から聞いていることで、つらさとか恐ろしさも十分わかったんですけど、私たちが思っていることより、もっとつらかったんだろうなと思いました
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児童:
家族や身近な人に、体験者からお話を聞いて、伝えたいことをみんなに知らせたいと思いました
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山田さんも児童たちの発表を聞いていた。
山田文子さん:
毎日の生活に追われ、その恐ろしさを忘れがちになりますけれども、益々自分たちもこういうことを語り継がないといけないなと
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50年間封じられていた生の声の継承が始まって10年を迎えるが、私たちがその声を聴いて現状を考えることができるタイムリミットは刻々と迫る。
(沖縄テレビ)