風化が懸念される噴火災害の記憶をどのように継承するのか。長崎・普賢岳災害についても大きな課題となっている。
そんななか、長崎市の高校生がある取り組みを始めた。

2021年10月末に発行された長崎南高新聞。普賢岳の大火砕流から30年、東日本大震災から10年について大きく取り上げている。

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福島との交流が普賢岳災害を調べるきっかけに

30年前、火砕流で43人が犠牲となった島原市上木場地区。
2021年4月、県立長崎南高校の新聞部の生徒たちの姿があった。新聞発行の半年以上も前から生徒たちの取り組みは始まっていた。

テレビ局の記者などを乗せたタクシーの運転手も含めると、マスコミ関係者20人が犠牲になった「定点」と呼ばれる場所で、地元の公認ガイドは「その時を想像してみてほしい」と呼びかけた。

公認ガイド:
ここでね、どういう気持ちで向こうからやってくるすさまじい火砕流の映像を撮ろうとしていたのか。もう迫ってきますよ、真っ暗になってしまいました。
どの時点で逃げると判断するのか、自分の命を守るのか。そういうことを考える、考えさせる役割を持った場所なんだと。そういう場所がこの定点なんだと

今回の特集記事を制作することになったきっかけは、3年生が行くはずだったが新型コロナの感染拡大で中止となった福島への修学旅行。修学旅行の代わりに東日本大震災に見舞われた相馬高校との電話などによる交流が生まれ、「相馬高新聞」を転載した。
長崎南高校の生徒たちは、被災後2カ月で新聞発行に踏み切った同じ高校生の思いに心動かされた。

元島原市役所職員・内嶋善之助さん:
6月3日の午後4時10分ごろ眉山の南側から黒い雲が現れ、みるみるうちに山全体、いや島原市の空3分の2を覆った

火砕流が起きた日である6月3日を前に、自分の日記を台本にして朗読会に臨んだ内嶋善之助さん。元島原市役所の職員。

新聞部の生徒たちは、たびたび島原に足を運んで内嶋さんからも話を聞き、カメラを向けた。内嶋さんはこれまでも噴火災害をテーマに書き綴り、経費も自分で負担して、朗読劇として発表している。

元島原市役所職員・内嶋善之助さん:
災害中に生活している時の空気感、これを一番伝えられると。私が声で読んだほうが一番伝わる

災害記念館・映像ナレーション:
全てを飲み込み、燃やし尽くした火砕流。逃げ場を失った人々になす術は無く、43名の犠牲者を出す大惨事となった

雲仙岳災害記念館で映像を見る生徒たち

災害から30年。マスコミ関係者が亡くなった定点周辺は、取材車両などが掘り起こされて整備された。雲仙岳災害記念館で噴火災害の全容を学ぶことを前提に、普段は立ち入りが禁止されている火砕流の遺構を巡る初の一般向けのツアーも始まっている。

この日、初のツアーには南高新聞部の生徒たちも参加した。

長崎南高新聞部の生徒:
ここで自分がそうだったらとか想像したときにすごく怖くて。いろんな人が巻き込まれていたんだなって実感がわきました

“記憶”を伝える新聞を編集

新型コロナの感染状況がやや落ち着き、学校内での取材が可能になった2021年9月には、学校新聞の編集作業が終盤に近づいていた。

新聞部の顧問:
(アンケート結果の)ふたを開けてみて驚いたのが、普賢岳災害への関心は、東日本大震災より多いか、変わらないくらいかと思っていたら、普賢岳が圧倒的に少なかった

新聞部の顧問:
あれだけの混乱の中でいろんな事が降りかかってきて、いろいろ考えて、いろんな思いがあって、そこから出た言葉だから、これは多分(記事から)外せない

顧問の先生は島原半島の出身。自身の体験や思いも重なってくる。

部員たちは分担して記事を担当。自分の足で歩き、目で見て感じた被災地の空気感やインタビューした人の思いを同じ世代の高校生に伝えるためどう表現するか…皆、真剣な表情で考えた。

南高新聞部部長(2年):
あ、こういうのがあったんだ、で終わりにしたくなくて。自分の命は自分で守るっていうのを特に重点的と言うか、中心に作っていきたいと思っています

11月5日。この春まで新聞部の部長を務めた3年生が完成した学校新聞をクラスメイトに配っていた。

新聞部が校内で行ったアンケートでは、東日本大震災に「関心がある」と答えた生徒は4割、普賢岳噴火災害は3割弱に留まっている。

長崎南高新聞部 前部長:
頑張って取材やインタビューをしてきたので、しっかり読んでほしいなと思います。もし災害が起こった時に過去の災害を教訓にして、被害を防いでもらうきっかけにしてもらえたらなと思います

南高新聞部は、これまでも長崎大水害や長崎原爆の被爆者の思いなどを特集記事として扱ってきた。校内の出来事だけでなく、社会に目を向けた新聞作りはこれからも続く。

(テレビ長崎)