菅直人氏が「見せてほしい」と言った『Fukushima50』を観た

東日本大震災からまもなく9年。あの時、福島第一原発に残った50人の作業員たちの戦いを描いた映画「Fukushima50」を観た。
当時の首相だった菅直人氏が「(事前にこの映画を)見せてほしいと角川に申し入れましたがまだ実現していません」とツイッターに投稿し、ネット上では「検閲ではないか?」と批判の声が上がった。
結論から言うと、菅さんは心配するには及ばなかった。菅首相役の佐野史郎さんは怒鳴り散らしてはいるが、常軌を逸するほどひどい人、という風には描かれてはいない。
実は映画の原作者が保守派の論客である門田隆将さんなので、内容は当時の民主党政権に対して厳しいものだろうと思っていたのだが、菅さんを含め政権について淡々と描かれているのに拍子抜けした。
制御不能の“怪物”を命がけで押さえ込む物語

そしてこの映画は東京電力経営陣の責任についても、そして原発そのものの是非についても声高に問うているわけではない。映画は吉田所長をトップとする福島第一原発の職員たちが制御不能となった原発という怪物を、命を懸けてなだめ、押さえ込む物語だ。
門田さんはなぜこのようストーリーにしたのだろう。気になって原作の「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」(角川文庫)を読んでみた。原作も同じように菅さんや民主党政権や東電経営陣のことにはあまり触れず、ひたすら「戦う男たち」について書かれていた。
「おわりに」で門田氏はこう書いている。
「暗闇の中で原子炉建屋に突入していった男たちには、家族がいる。自分が死ねば、家族が路頭に迷い、将来がどうなるかもわからない。しかし、彼らは意を決して突入していった。(中略)なぜ彼らはここまで踏ん張れたんだろう」。
仕事に対する「誇り」と「義務」

なぜなのか。彼らは「ベント」をするために危険な建屋内に入ったのだが、映画を観ていて、それは彼らの仕事に対する「誇り」だと思った。もう一つは自分たちが育てた原発という怪物が今は暴れている。それを止めて、自分の家族や、福島の人々や、日本国民を危険から守るのが自分たちの「義務」だと信じていたからだとも思った。
門田氏は取材時に、命を懸けて原発を止めた東電職員たちがそうした行為を「当然のこと」と捉え、「今もって話すほどのことでもない」と思っていたことに最も驚いた、という。
9年前の大震災の恐怖を今でも覚えている。当時の僕は椎間板ヘルニアが悪化して坐骨神経痛を発症し、まともに歩けなかったので、原発が制御不能となった場合、避難できるのだろうかと不安になった。僕だけでなく多くの国民がパニックに近い状態だったと思う。
僕らを助けてくれたのは、福島の地元の高校を卒業して、福島第一原発に就職し、危機に際して、自分の義務と誇りのために命を懸けて働いた人たちだった。門田さんが言うように「日本人が発揮する土壇場の底力と信念」が僕らを助けてくれたのだ。
【表紙画像提供:© 2020『Fukushima 50』製作委員会】