40年前の米大使館員人質事件
「我々はイランの52の地域(以前イランによって人質にされた米国人52人を表す)を標的にした。イランにとって文化的にも極めて重要な地域も含まれるが、我々は速やかにかつ強烈に打撃を与える。米国はこれ以上イランの脅威を望まない!」
この記事の画像(8枚)トランプ大統領は5日こうツィートしたが、これで今回イランの革命防衛隊特殊部隊の司令官を殺害した意図が分かった。それは40年前のイランによる米大使館員人質事件に遡る話だ。
トランプ大統領の6代前のジミー・カータ大統領が再選を目指していた当時の1979年11月4日、イランの首都テヘランの米国大使館に学生のデモ隊が乱入して米国人の外交官やその家族52人を拘束した。
その頃イランでは宗教指導者ホメイニ師に率いられた革命が起こりパーレビ国王が亡命したが、米国が同国王を「病気治療」を理由に受け入れたことに学生が抗議して大使館員を人質に同国王の身柄引き渡しを求めて事態は膠着状態になった。
この学生たちのデモは一見自然発生的なものだったが、その背後では革命政府の軍事組織である革命防衛隊がデモ隊を指揮していたとされている。
カーター大統領の「二の舞は演じない」
米国国内ではカーター大統領の弱腰に批判が高まり、同大統領は翌1980年4月24日人質救出作戦を命じたが軍用機が事故を起こして失敗した。
結局、カーター大統領はこの問題の処理に追われてホワイトハウスを離れることができず、再選選挙運動をすることなく投票日を迎え共和党のロナルド・レーガン候補に歴史的大敗を喫した。
さらにカーター大統領にとって屈辱的だったのは、イランは同大統領が退任した当日に人質を解放したことで、ある意味で世界中に米大統領の権威失墜を見せつけることにもなった。
今年再選選挙を迎えるトランプ大統領は「40年前の二の舞は演じないぞ」という意味で、イランが米国人を対象にテロ行為を行えば報復攻撃する地域として「52」という数字をツィートしたのに間違いない。
イラン側にしても、40年前の成功例を今の指導部が想起しなかったはずがないからだ。米国の制裁強化で経済的に追い込まれているイランが反撃するとしても正面からの軍事作戦では勝ち目がないとすれば、トランプ大統領をカーター大統領と同じ状況に追い込み再選を阻むことを考えたことは充分考えられる。
その舞台に選ばれたのがイラクの首都バグダッドの米国大使館だろう。先月31日、同大使館をイランの支援を受ける民兵組織「カタエブ・ヒズボラ(神の党旅団)」の構成員らが襲撃し大使館構内に侵入をはかった。その後上部組織の指示で騒動は沈静化したが、地元イラクの治安部隊はこの襲撃を容認していたと伝えられ何時また襲撃が起きてもおかしくない状況だという。
トランプ大統領の「虎の尾」を踏んだイラン
そんな折にイランの革命防衛隊の特殊部隊「コドス」の司令官カセム・ソレイマニ少将がバグダッドに現れた。同少将はイランの対外秘密軍事作戦を統括する人物と言われ、大使館を襲撃した「カタエブ・ヒズボラ」も同少将が米軍を攻撃するために組織したとされている。
バグダッド空港ではその「カタエブ・ヒズボラ」のムハディ・ムハンディス司令官ら米大使館襲撃事件を指導した幹部らも出迎え、それを察知した米国がドローンによるミサイル攻撃で一行の乗った車列を原型が分からぬほどに破壊したのだった。
昨年6月、米海軍のドローンがイランに撃墜された報復に空爆を指示しながら10分前に中止させた時と違い、今回は躊躇なくソレイマニ少将への攻撃を命じていることにトランプ大統領の強い意志が現れているように思う。
イランは策を弄する余り、トランプ大統領の「虎の尾」を踏んでしまったのではないか?
【執筆:ジャーナリスト 木村太郎】
【表紙デザイン:さいとうひさし】