千秋楽の翌日、白鵬が「引退の意向を示した」と伝えられた大相撲9月場所だが、今場所の土俵は、やはり新横綱として優勝を飾った照ノ富士が圧倒的な強さを見せつけた。

期待と重圧がふりかかる新横綱としての場所での優勝は、2017年春場所の稀勢の里以来、史上9人目となる。

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その照ノ富士の優勝について荒磯親方(元横綱・稀勢の里)に尋ねてみると、「(自分は)ケガに負けて引退してしまった。それを照ノ富士は乗り越えて横綱まで昇ってきた。照ノ富士というドラマを見ているようですね。それぐらいすごい優勝だと思いますし、すごい復活劇。これからも照ノ富士という新しい物語を築いてほしい」と最大級の賛辞を贈った。

荒磯親方がこれほどまでの言葉を贈るその裏側に迫った。

怪我をしない相撲への変貌

今場所は直前に、コロナの影響で宮城野部屋の力士全員が休場するという事態が発生。

これにより白鵬が休場したため、新横綱・照ノ富士にはいきなり“一人横綱”という重圧がかかることになった。

そんな中でも照ノ富士は初日から破竹の8連勝で、中日にはただ一人ストレートで勝ち越し。最後まで星の差で並ばれることなく余裕で逃げ切り自身5度目の優勝を果たした。

膝の大怪我で序二段まで落ちながらドン底から横綱にまで駆け上がった照ノ富士。

その復活の要因について荒磯親方はこう語る。

「攻める姿勢を、常に前に前に持っていて、前に出る相撲はケガをしにくいですね。
(無理して)引っ張り込んだり投げにいったりすると、どうしても負担がかかって来ますが、そういう相撲を序二段に落ちる前はどっちかというと取っていましたが、帰ってきてからは前に出る相撲を徹底している。
痛い所はあると思いますがケガをしにくい相撲を取っている。“怪我の功名”と言いますか、そのように自分は感じますね」

垣間見えた攻略方法。その上を行く修正力

そんな中、照ノ富士に土がついた。

九日目の大栄翔戦、そして十二日目の明生戦で敗れ2敗を喫した。いずれも「相手に100%の相撲を取らせてしまった一番」だと荒磯親方は語る。

「あの一番は完全に照ノ富士対策を取って来た大栄翔、明生の作戦勝ちだと思います」

「横綱が攻めて来る前に攻め込んだ大栄翔は引っ張り込まれる前にしっかりひじを伸ばして、抱え込まれないようにしましたよね。明生も右を差した瞬間どんどん前に出ながら、投げを打ちながら崩しながら、これぞ照ノ富士対策というものを完全にやりましたね」

だが、たとえ黒星を喫しても決して連敗しないのが今の照ノ富士。翌日には盤石の相撲を見せて勝利し、格の違いを見せつけた。

左前まわしを取る照ノ富士の鉄壁の形
左前まわしを取る照ノ富士の鉄壁の形

「横綱の強さというのは、左前まわしを取る前傾をキープして左足を出しながら形が崩れない、鉄壁の形を持っていますから。帰る場所があるというか、何か迷ったらあそこに戻ればいいというものがあるので、ああいう風に完ぺきに負けても次の日修正してくる。そういう所が横綱の強さだと思います」

優勝決定戦で戦い、苦渋を味わった二人

まさに盤石とも言える相撲内容を語る荒磯親方だが、照ノ富士との間には奇しき因縁がある。

2017年3月、当時新横綱・稀勢の里としてのぞんだ春場所。

日本人横綱として日本中の期待を一身に背負う中、稀勢の里は13日目の日馬富士戦で左上腕と左大胸筋を負傷。

それでも強行出場すると千秋楽で星ひとつリードしていた当時大関の照ノ富士と対戦。

本割で勝利し優勝決定戦に持ち込むと、決定戦では双差しを許す不利な体勢から土俵際で
右小手投げを決め逆転。13勝2敗で2場所連続2度目の優勝を遂げた。

この優勝こそが、新横綱として史上8人目の優勝となった。

だが二人の物語はこれで終わりではない。

この後稀勢の里は、優勝の代償として「左大胸筋損傷と左上腕二頭筋損傷」に苦しみ続ける事になる。

続く5月、新横綱として初めて迎えた東京両国国技館での夏場所は、その責任感から出場するが
11日目から途中休場。その後、8場所連続休場を余儀なくされた。

さらに進退をかけて挑んだ2019年初場所では初日から3連敗。
ついに引退に追い込まれる。

「私の土俵人生において一片の悔いもございません」と、引退会見で涙ながらにこの言葉を残した。

照ノ富士の膝には今もサポーターが巻かれている
照ノ富士の膝には今もサポーターが巻かれている

一方の照ノ富士は、逆転優勝を許したこの場所を境に膝のケガに苦しみ、ついにその年の九月場所で大関から陥落。

さらには糖尿病や内蔵疾患の影響もあり、番付はみるみるうちに降下した。精神的にも追い込まれ師匠に引退の意思を伝えたこともあったが、師匠の説得により気持ちを立て直し、迎えた2019年の春場所。

序二段西48枚目。

横綱・稀勢の里が土俵を去った翌場所に、どん底からの土俵復帰を果たした。

そんな土俵人生を辿った二人。当事者にしか分からない想いを聞きたくて我々はこう尋ねた。

ーーあの場所の優勝決定戦は荒磯親方が新横綱で当時大関の照ノ富士と戦って、そのあと照ノ富士は苦しい時代を経てきた。その人が復活して来たのは親方にとっても格別な想いがあるのでは?

「(自分は)ケガに負けて引退してしまった。それを照ノ富士は乗り越えて横綱まで昇って来て、あの時負けた悔しさを糧にしながらそれ以上のものを持ってまた帰って来た。
ドラマを見ているようですね、照ノ富士という。それぐらいすごい優勝だと思いますし、すごい復活劇だと思います。これからも照ノ富士という新しい物語を築いてほしい」

この記事冒頭の言葉だ。

「悔しい想いをいろいろ持ちながら復活して来ました。凄いですよね、本当同じ土俵でやっていたのかな?と思うくらい。精神的にも土俵態度を見ても、それぐらいの修羅場をくぐり抜けて来た力士の土俵入り。顔つきも一本筋が通って、一本の道を決めているような顔つき。自分が戦って来たときの照ノ富士じゃないな。と思うくらいの横綱になりましたね」

「まさに照ノ富士一強の時代が来るのかな、という香りがするような9月場所でした」

今場所、照ノ富士が新横綱として優勝を果たした傍らで、荒磯親方も自身の部屋を興し
荒磯部屋としてのスタートを切った。

一強時代の到来を予感させる照ノ富士の相撲はもちろん、この二人のドラマの続きを見守りたい。

(協力:横野レイコ、吉田昇、山嵜哲矢 構成・文:吉村忠史)