新型コロナの影響が長期化する中、沖縄・国際通りからは外国人観光客の姿が消えた。その影響で、半世紀余りの歴史に幕を下ろすことを決めた老舗宝石店がある。

半世紀以上、国際通りの変化を見てきた老舗

ダイヤの指輪にサンゴのネックレス…煌びやかな装飾品を扱うのは、沖縄の本土復帰前の1968年から国際通りに店を構える珊瑚・真珠・貴金属専門の店「昭和堂」だ。

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昭和堂・城間弘行さん:
宝石・貴金属というのは、100年持たないのは宝石じゃないわけですよ。100年以上持つから値打ちがあるんですよ

どこか懐かしさが感じられる店内で出迎えてくれるのが、店主の城間弘行さん(87)と妻の敬子さん(82)。2人は半世紀以上に渡って、店から移ろう街並みを見続けてきた。

昭和堂・城間弘行さん:
50年前はまだ道路が舗装されていなくて、車が走っていたら全部ゴミ、泥が店内に入って。もう、店員は毎日ダスター(雑巾)を持ちっぱなしでしたよ

「買い物観光」でにぎわった国際通り

戦後復興のシンボルとして「奇跡の1マイル」と称された国際通りには、庶民の娯楽である映画館などが軒を連ね多くの人で賑わった。

昭和堂・城間弘行さん:
沖縄の観光が始まったのも「買い物観光」ですよね

開業当時の沖縄は「アメリカ世」。ドル経済の沖縄では、海外から持ち込まれた珍しい品々が安く買える事から、ショッピング目的で訪れる人が多かったという。

昭和堂・城間弘行さん:
お客さんから要望があるんですよ。あれはないかということで、ブランドものもそうだし…

35歳で昭和堂を開業する前は、貿易の仕事をしていた城間さん。客が求める商品を買い付けるため、香港に渡っていた。

昭和堂・城間弘行さん:
外国行きは、これ身分証明書なんですよ

昭和堂・城間弘行さん:
これパスポートじゃないもんですから、外国のイミグレーション(出入国管理)に行ったら「これパスポートじゃないけど、どうなっている」と。
だけど中を開けてみたら米国民政府と書いているから、英文でも書いているので、OKだったという事で…これ取り上げられたら、私は島に帰れないと心配したこともありますよ

1972年の本土復帰後は、おしゃれをしてデパートに出かける地元客などで賑わった国際通り。
昭和堂にも、大学の入学祝いでアクセサリーを買いに来る親子が多かったという。

その当時の様子が分かる映像が、城間さんが保管していた8㎜フィルムに残されていた。店先に立つ敬子さんも映っている。

昭和堂・城間敬子さん:
荷物を持ったら通るのに大変なぐらい人がいたんですよ、あの時は朝7時に店を開けたらお客さんいるし、夜11時までもお客さんいたんですよ。従業員も2交代ですから、重なる時は5人ぐらいいましたね

時代の流れと共に変わりゆく国際通り…

地元の買い物客で埋め尽くされた通りだが、郊外の大型商業施設に客足が向くと、1999年には老舗デパートの沖縄山形屋が閉店。

2014年には、沖縄三越が閉店した。

その一方、1990年代頃から修学旅行生、2010年代には外国人観光客が増加していった。

昭和堂・城間弘行さん:
中国人が来始めてから、あの人たち 最初はほとんどサンゴを買ったんですよ。ところが途中から金持ちが来て、宝石も売れましたね

城間さんは中国人観光客に対して、中国語で「道中ご無事で」とのメッセージを送って、おもてなしをしている。

昭和堂・城間弘行さん:
こういうように書いてみせたら、涙流して喜んで帰りますよ。英語で言うと「HAVE A NICE TRIP」といいますよね

そして現在、新型コロナの影響が長期化する中、国際通りからは、外国人観光客の姿が消えた…

昭和堂の店内には「閉店セール」の張り紙が…

53年の歴史に幕も…おもてなしの心は変わらない

昭和堂・城間敬子さん:
コロナで売り上げが少なくなったのが第一ですよ・・・10分の1ぐらいじゃないですか・・・

時代と共に変遷する国際通りを見つめてきた昭和堂。
年内で店をたたむ事にしたが、2人の客へのホスピタリティ「おもてなしの心」は変わる事はない。

昭和堂・城間敬子さん:
皆にお礼を言いながら、しばらくやりたいなと思っています…

昭和堂・城間弘行さん:
こういう商売は売るだけじゃなくて、アフターサービスがずっと続くんですよ。貴金属というのは、100年持たないのは宝石じゃないわけですよ。いつまでもお客さんですから、やめても連絡をとれるようにするつもりです

昭和堂では、閉店の時期を明確に決めてはいないが、商品がなくなり次第  お店をたたむということだ。

(沖縄テレビ)