アフガニスタンの米軍撤退をめぐる混乱は、ホワイトハウスが調整役として機能不全に陥っていたことが原因だと分かってきた。
アフガニスタンで米国の民間人や協力者たちの脱出が進まず、空港の自爆テロでは米軍兵士13人が死亡する事態となったことについて、米国のマスコミの独自の原因分析でその概要が見え始めてきた。

米軍撤退の為の秘密会議
まず、ニューヨーク・タイムズ紙電子版の8月21日の記事は、ジョー・バイデン米大統領が命じたアフガニスタンからの米軍撤退を実行するため、4月24日に関係部局の長による秘密会議が行われていたと伝えた。
会議は国防総省の地下二階の極秘会議室で行われ、ロイド・オースティン国防長官、マーク・ミリー統合参謀本部議長とホワイトハウスの高官、情報部門の幹部が参加し、アントニー・ブリンケン国務長官はリモートで加わった。会議は4時間に及び、その結果二つの事柄が明確になった。
第一に、国防総省は、アフガニスタンに駐留している3500人の米国兵を7月4日(米国独立記念日)までに撤退を完了させる方針を示した。それには、米将兵のほとんどが駐留するバグラム空軍基地を閉鎖することになるが、国防総省関係者は「撤退に時間をかけると脆弱さを暴露して米兵を危険に晒す」と果断な撤退を主張した。
第二に、国務省は、1400人以上の大使館関係者は650人の海兵隊員と兵士に守られており、その体制を保持すると述べた。情報機関は状況分析を紹介したが、それはアフガニスタンの政府軍はタリバンに対して1年から2年は対抗できるというものだった。
会議では、緊急時にはヘリコプターでカブール空港へ脱出する方法も議論されたが、空港への道がタリバンに支配された場合の対応は誰からも提議されなかったという。
その後、米軍は計画通り7月4日までにバグラム空軍基地から撤退したが、同時に各地でタリバン勢力の蜂起が始まり、1カ月余り後には首都カブールまでが占拠された。米国大使館の要員らはヘリコプターで脱出できたが、民間の米国人や協力者のアフガニスタン人は取り残されることになった。
崩壊した米国の撤退計画
「計算違いに次ぐ計算違いで、米国の撤退計画は崩壊した」
ニューヨーク・タイムズ紙は米国の失敗をこう表現した。

問題は、民間人の退去に手間取りすぎたことにもあるとUSAトゥデー紙電子版28日の記事は分析する。
「バイデン政権は、第三国にアフガニスタンの難民受け入れの交渉に貴重な時間を浪費し、国務省はアフガニスタン人の米国へのビザ申請の処理に時間をかけすぎていた」
当時米国では、米国に協力したアフガニスタン人を大量に受け入れるべきだという議論の一方で、その難民に紛れてテロリストが潜入するのを阻止すべきという政治的圧力が与党民主党から強まっていたからだ。
バイデン大統領がタリバンを過小評価?
また、アフガニスタン政権のまたたく間の崩壊が予測できなかったことについて、AP通信は8月19日配信の記事で、アフガニスタンのアシュラフ・ガニ大統領が6月に訪米した際、バイデン大統領との会談で米軍の急速な撤兵はタリバンの進軍を早めるだけなので遅延するよう要請していたと伝えている。

しかし、バイデン大統領は聞く耳を持たず撤兵を強行したわけで、それには大統領の個人的思い入れがあったからではないかとニュースサイトVOXの8月18日の記事は分析する。
「第一次オバマ政権でタリバン討伐のために米軍の増派が検討されたとき、当時のバイデン副大統領が1人反対した。『タリバンは米国の脅威にはなり得ない』同副大統領はこう主張したメモを大統領に提出していた」

つまり、バイデン大統領はタリバンの力を過小評価していた可能性があるという。
いずれにせよ、今回の混乱は国防総省、国務省、情報機関のいずれも「最悪の事態」を想定せずにアフガニスタンからの撤退を進めた結果生じたものと言えるが、それら各省庁の思惑を調整すべきホワイトハウスが機能不全に陥っていたことが最大の問題ということに帰着しそうだ。
【執筆:ジャーナリスト 木村太郎】
【表紙デザイン:さいとうひさし】