カリブ海の島国ハイチで起きた大統領暗殺事件は、映画『戦争の犬たち』のような外国人傭兵によるクーデターかと思わせたが、その背景により複雑な構図が浮上してきた。

事件は2021年7月7日、ハイチのジョブネル・モイーズ大統領が首都ポルトープランス近郊の私邸で武装集団に銃で殺害されたもので、ハイチ国家警察は武装集団の4人を射殺、コロンビア人とハイチ出身の米国人2人を含む17人を拘束した。

拘束された男たち
この記事の画像(6枚)

さらに11日、国家警察は武装集団の首謀者として、米国フロリダ州に住むハイチ出身のクリスチャン・エマニュエル・サノン医師を逮捕したと発表した。

サノン医師はかねてハイチの権力奪取の意欲をユーチューブで語っており、自宅からは多数の銃弾や銃の部品などが押収されたという。これで、事件はフレデリック・フォーサイス原作の映画『戦争の犬たち』のように、同医師が外国人兵士を傭いクーデターをはかったものということで一件落着かと思わせた。

逮捕されたハイチ出身のクリスチャン・エマニュエル・サノン医師(本人のYouTube映像より)

シナリオ通りにいかぬ状況証拠

しかしその後『戦争の犬たち』のシナリオでは説明できないことが判明してきた。

その一つが、事件当時大統領の公邸の警備部隊が武装集団と戦った形跡がなく、死傷者も出ていないことだ。この2月にもクーデター未遂事件があったハイチでは大統領の警護は厳重で、通常私邸周辺には100人前後の兵士が配備されていたはずだという。(ニューヨーク・タイムズ紙電子版7月8日)

また、首謀者とされたサノン医師は2013年に米国で破産宣告をしており、その後の収入は月額5000ドル(約55万円)で、全員で30人前後になるといわれる傭兵を雇い、襲撃作戦を展開する資金的な余裕があったとは思えないことがある。

さらに、公邸が襲撃された際に武装集団がスピーカーで「DEAの作戦だ。抵抗するな!」と英語で通告したと言われる。DEAとは米国の麻薬取締局のことで、武装集団がその名を騙って私邸への侵入をはかったのかと考えられたが、その後警察に拘束されたハイチ出身の米国人の一人が、かつてDEAの潜入通報者であったことをDEAが認めたため、ことがややこしくなった。

拘束された17人の内、左側白シャツの二人がハイチ出身の米国人。その一人がDEA元潜入通報者

大統領の警備隊長の不審な行動

そうした折もおり、傭兵の多くの出身地であるコロンビアの雑誌「セマーナ」電子版が「ジョブネル・モイーズ大統領の警備隊長は何をしにコロンビアに来ていたのか?」という記事を掲載した。

コロンビアの雑誌「セマーナ」電子版より

記事は、大統領警備部隊のディミトリ・ヘラルド隊長が暗殺事件の前に何回もコロンビアを訪れていたことを、隊長が利用したアビアンカ航空の便名をあげて指摘し、同隊長が襲撃作戦の打ち合わせや、傭兵の採用にも関わっていたのではないかと疑問を投げかけた。

またヘラルド隊長は、武器密売組織にもからんでいたと米国から疑いがかけられており、モイーズ大統領も同隊長を信用していなかったと同誌は報じている。

「共和国大統領ジョブネル・モイーズは、彼の警備部隊によって暗殺された。コロンビア人たちはハイチから請け負っただけだ」

ハイチのラジオ局「マジック9」は、その番組の中で前上院議員のスティーブン・ブノワ氏がこう語ったとツイートした。

その後、ヘラルド警備隊長は、ハイチ国家警察によって身柄を拘束され、取調べを受けていると伝えられる。

「犯人らしい者は本物の犯人ではない」

ハイチで、この事件が外国人傭兵によるクーデターだったと考える者は少ないようで、事件の背景には暗殺されたモイーズ大統領が、2021年2月に任期を終えているにも関わらず退任を拒否していたことをめぐるこの国の権力闘争があるという見方が有力だ。

また、元DEAの潜入通報者が襲撃グループに居たことで麻薬組織がらみの犯行か、あるいは大統領の警備隊長が関わる武器密売組織も関係していたかと犯人探しが始まっているが、今のところいずれも確証はない。

暗殺されたハイチのジョブネル・モイーズ大統領

「犯人らしい者は本物の犯人ではない。それでいちばん得をする者が犯人だ」

以前ベテランの国際事件記者から教わったことだが、今回のハイチの大統領暗殺事件も、それで誰が「得をする」のかが分れば犯人像が見えてくるのかもしれない。

【執筆:ジャーナリスト 木村太郎】
【表紙デザイン:さいとうひさし】