米国がアフガニスタンから退却
アフガニスタンは、やはり「帝国の墓場」だった。
アフガニスタンにある米軍最大の拠点バグラム空軍基地から人影が消えた。パレードなど撤退の行事もなかったようで、通信社が配信した写真もこれまで二重三重の厳重な警備が敷かれていた入り口周辺が無人になっている様子を映したものばかりだった。
この記事の画像(7枚)米国はアフガニスタンから退却したのだ。
2001年9月11日同時多発テロ事件が起き、米国はテロ組織アルカイダと首謀者のウサマ・ビン・ラディンの討伐のため10月7日にアフガニスタンへの攻撃を開始、以来20年に及んだ米国のアフガニスタン戦争が終わった。
この間、米国はアルカイダを庇護していたタリバン政権を排除し代わりに親米派のカルザイ政権を擁立したが、これでアフガニスタンは武装組織と部族勢力が複雑にからんだ内戦状態となり収拾がつかなくなった。
米軍はアルカイダを放逐し、隣国パキスタンに潜んでいたウサマ・ビン・ラディンを殺害して初期の目的を果たしたが、親米政権を擁護するために駐留を続け、米国史上最長の戦争で2312人の戦死者を出した。 (米ABCニュース4月14日)
「アメリカ・ファースト(米国第一)主義」をかかげ、他国への介入に消極的だったドナルド・トランプ米前大統領が2020年2月、タリバン政権との和平合意を成立させ、後継のジョー・バイデン現大統領の手で米軍撤退が始まったものだが、米国にはもとより達成感は感じられない。
「我々は戦いに勝った。米国は負けたのだ」
タリバンの指導者の一人ハジ・へクマート氏は、米軍が撤去した地域に入った英国のBBC放送の記者にこう語っている。
アフガニスタンは「帝国の墓場」
超大国がアフガニスタンで苦杯を喫するのは米国が初めてではない。米国と入れ替わるようにアフガニスタンを去った旧ソ連は、親ソ政権擁護のために1979年から10年間駐留したが、武装勢力ムジャヒディーンの抵抗で1万4000人以上の戦死者を出し、ソ連崩壊の原因の一つにもなった。
それ以前に英国も、帝国全盛時代の19世紀から20世紀初めにかけて三次にわたりアフガニスタンで戦うが、1842年にはカブール撤退で1万6000人が全滅させられた。その後シンガポールで日本軍に敗北するまで「英軍最悪の惨事」と言われていた。
こうしたことから、アフガニスタンは「帝国の墓場(Graveyard of Empires)」と呼ばれるようになり、今回米国もその墓場に入ることになったわけだが、最貧国にあげられるこの国がなぜ超大国を屈服させるのだろうか?
アフガニスタンの「強さ」
ネットで検索すると、さまざまにアフガニスタンの「強さ」を分析したものがあるが、まとめると次の三要素になる。
まず、国土の四分の三が「ヒンドゥー・クシュ」系の高い山で、超大国得意の機動部隊の出番がない。ちなみに「ヒンドゥー・クシュ」とは「インド人殺し」の意味で、この山系を超えるインド人の遭難者が多かったことによるものとか。
次に、古くは古代ギリシャのアレクサンドロス大王やモンゴルのチンギスハーン、ティムールなどの侵略を受けて、国民が征服者に対して「面従腹背」で対応することに慣れていること。
さらに、アフガニスタン人と言っても主なパシュトゥーン人は45%に過ぎず、数多くの民族がそれぞれの言語を使っているので、征服者がまとめて国を収めるのはもともと無理なことが挙げれれている。
次は中国か
この国を征服しようとした超大国は、なす術もなくこの国を去ることになるわけだが、この後もアフガニスタンを自らのものにしようという帝国が現れるのだろうか。
一つ考えられるのが中国だろう。古くはシルクロードの拠点だったアフガニスタンは、今中国が推し進めている「一帯一路」でも要地と位置付けるからだ。
米国が去った後のアフガニスタンの空白を中国が埋めようとするかもしれないが、「帝国の墓場」入りは避けられるのだろうか?
【執筆:ジャーナリスト 木村太郎】
【表紙デザイン:さいとうひさし】