有人国境離島に暮らす人々の恐怖

日本では、人の住む国境の島「有人国境離島」が29地域148指定されている。海を挟み、有人国境離島に暮らす人々は、新型コロナウイルスの蔓延に怯えている。特に本土から離れ医療施設が足りない離島では深刻である。沖縄県石垣市は、観光客の持ち込むウイルスの蔓延により、医療崩壊の危機を感じている。また、日本最南端の有人離島・波照間島を持つ竹富町などでは、ワクチン接種を行う医師の不足に苦労している。

国境離島で暮らす人々が安全に安心して暮らせる環境を整備することは、海洋国家の責務である。国境離島に新型コロナウイルスが侵入した場合、生活圏の限られた島において蔓延するのには時間を要さない。また、医療機関も少なく、医療崩壊を起こすのは必至である。

緊急事態宣言が発せられている東京都にも有人国境離島が存在する。その代表は小笠原諸島である。5月21日、東京都の小池百合子知事は、東海大学の海洋調査訓練船「望星丸」(1,777トン)および医学部付属病院の協力を得て、小笠原諸島父島(小笠原村)での新型コロナワクチン接種を行う計画を発表した。

東京都の「有人国境離島」小笠原諸島
東京都の「有人国境離島」小笠原諸島
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小笠原諸島でのコロナ感染は生死に直結する

小笠原諸島は、本土から約1,000キロメートル離れ国境離島である。東洋のガラパゴスとい合われ、ユネスコの世界自然遺産にも指定される貴重な自然生態系の残る島々である。

また、2016年には、200隻を超える中国の密漁漁船団が押し寄せ、貴重なサンゴを乱獲した事件が起き、島民の生活を脅かす事態となった。国家の安全保障上も重要な島である。

東洋のガラパゴスといわれる小笠原諸島(提供:山田吉彦)
東洋のガラパゴスといわれる小笠原諸島(提供:山田吉彦)

小笠原村は、医療設備も脆弱で、小笠原諸島では重症者が出た場合、本土まで海上自衛隊の飛行艇などを使い輸送しなければならない。新型コロナ対策は、生死に直結し、島の社会の存亡にかかる問題と言っても過言ではない。

小笠原村では、既に配布されたワクチンを使い6月中旬までに医療従事者、高齢者に対し接種を行う予定である。その際、500人分ほどの余剰が生まれるが、小笠原村には医療スタッフも少なく、ワクチンを有効に活用するのに時間を要する。

小笠原村と本土を行き交う交通手段は定期客船「おがさわら丸」が、週に一便程度往復するだけであり、ワクチン接種を行う医師・看護士を確保することも困難である。

「おがさわら丸」
「おがさわら丸」

東海大学の協力で島民に早期接種を目指す

そこで、海洋学部において独自の訓練船を持ち、さらに医学部および附属病院を持つ東海大学の協力を得て、一般島民に対する早期に接種の実現を目指すことになった。東海大学は、海洋学部で学ぶ航海士を目指す学生を乗せた教育研修船を使い、医学部及び附属病院の医師2名、看護師3名、薬剤師などによる経験を積んだ接種チームを派遣する。

東海大学の教育研修船望星丸(提供:山田吉彦)
東海大学の教育研修船望星丸(提供:山田吉彦)

同大学海洋学部では、離島振興、海洋環境保全の教育を行う中で、国境離島での社会安定に関する研究も進め、年に1度は、望星丸が小笠原諸島を訪れフィル―ルド教育を行う縁がある。また、同大学はいち早く医学部付属の東京病院に専用病棟を準備するなど、社会貢献の移管として新型コロナ対策に取り組んできた。

父島の島民は約2千人であり、医療従事者、高齢者を含めると、島民のおよそ半数が、接種をうけることになる。1830年、初めて小笠原諸島に入植したナサニュエル・セーボレー氏の五代目の末裔のセーボレー孝さんは、「島は、本土から離れているため医療崩壊が心配でした。早めのワクチン接種は、国境の島に暮らす私たちに安心を与えてくれます」と、喜びの声を上げていた。

東海大学のグループは、6月22日、23日の二日にわたり1回目のワクチン接種を行う。7月に再び島を訪れ、13日、14日に2回目の接種を行う予定である。

【執筆:海洋経済学者 山田吉彦」

山田吉彦
山田吉彦

海洋に関わる様々な問題を多角的な視野に立ち分析。実証的現場主義に基づき、各地を回り、多くの事象を確認し人々の見解に耳を傾ける。過去を詳細に検証し分析することは、未来を考える基礎になる。事実はひとつとは限らない。柔軟な発想を心掛ける。常にポジティブな思考から、明るい次世代社会に向けた提案を続ける。
東海大学海洋学部教授、博士(経済学)、1962年生。専門は、海洋政策、海洋経済学、海洋安全保障など。1986年、学習院大学を卒業後、金融機関を経て、1991年、日本船舶振興会(現日本財団)に勤務。海洋船舶部長、海洋グループ長などを歴任。勤務の傍ら埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了。海洋コメンテーター。2008年より現職。