外務省は他省庁と異質?“外交官”の活躍の場は…

日本の行政を担う各省庁の中でも人事・総務・会計といった官房セクションは一般の企業と同様、人・モノ・金を扱う重要ポストだ。組織の根幹と言ってもいい。その根幹を経験した、ある外務省幹部から先日こんな話を聞いた。

「外務省は、他の役所と比べて官房組織が軽い気がする」

外務省が他の省庁と違うのはどこか。

外務省のキャリア官僚は2000年まで、他の省庁にはない「外交官試験」によって採用されてきた。語学研修の期間もある。つまりスタートから「外交のスペシャリスト」としてのキャリアを歩むわけだ。精通する国や言語から「〇〇スクール」などと呼ばれるのも外務省ならではの文化である。

その主戦場が海外であり、大使館勤務こそが目指すべき道であるとすれば、人事や総務での勤務を忌避する傾向が他省より強くても不思議ではない。では現在、外交のプロたる彼らにその活躍の機会は十分与えられているのだろうか。

“休みゼロ”の過酷な生活

先日、とある酒の席で外務省の幹部が愚痴交じりに語った。

「最近は本を読む時間も、ものを考える時間もない。部下に言われた日程をこなすだけで1日が終わってしまう」

世界が激動する中、各国大使館からの情報を集約・分析する本省の役割が重要であることは言うまでもない。外務省には北米、アジア大洋州、欧州、中東アフリカ、中南米の各地域局に加え、具体的な政策を検討・調整する総合外交政策局、条約や協定を担当する国際法局など、世界をまたにかけた重要なセクションがずらりと並ぶ。

ある局長経験者は在任時に休みらしい休みは「ゼロ」だったという。別の幹部は入浴時に携帯電話をビニールの容器に入れ、文字通り肌身離さぬ生活を続けている。他の役所も多忙だとはいえ、海外との時差があることを考えれば、外務官僚は電話も含めた実質的な拘束時間が自然と長くなるだろう。もちろん部署によって違いはあるだろうが、「働き方改革」が声高に叫ばれる昨今でも、霞ケ関の前線で活躍する彼らの過酷な生活が変化する兆しはないようだ。

優秀であれば国内へ

では逆に、本来の「現場」となる海外での情報収集、分析は出来ているのだろうか。別の幹部はこう語る。

「本来は多くの外交官が海外に出て活躍すべきだが、国内の処理案件が多すぎるため、優秀な人たちが国内に留め置かれるケースが増えている」

今年は天皇陛下の即位に関連する行事、トランプ米大統領やローマ教皇の来日、アフリカ開発会議(TICAD)やG20など、外国要人が日本にやって来る機会が数多くあった。来年には東京五輪や中国・習近平国家主席の来日も控え、準備や事務作業にあたる外務省職員の苦労は続く。国内の人員が必要になるのも仕方がない。

トランプ大統領の来日
ローマ教皇の来日
G20大阪会議

加えて政治主導が確立されたことにより、各省の首相官邸への報告や相談、与野党への説明などの必要は以前よりも増した。これにより、特定の政治家に強い官僚が継続的に起用されたり、政治家による官僚の“えり好み”が顕著になる面もある。事実、内閣人事局の導入により、官邸に省の幹部人事を握られたことが適正な人材配置を妨げているという指摘も少なくない。

ある官僚出身の国会議員は「餅は餅屋に任せればいい。今は官僚が官邸しか見なくなってしまった。政治の判断で変えられた官僚人事のひずみは後々影響する」と危惧する。海外で活躍するべき外交官が、能力が高い人ほど国内に長く留まり、その成果や能力が削がれているとすれば、本末転倒である。

こうした流れは、省の権限の縮小にも繋がっているという。「以前は課長で決められていたことが、今は局長でないと決められない。これまで局長で決められていたことは、それより上の人でないと決められなくなった」(外務省幹部)という声も聞かれる。
官僚の世界にも「生きにくさ」が広がっているようだ。

生かすべき“個性”

これまで付き合いのある外務官僚に感じるのは、組織に汲々としていないという点だ。自分の考えや意見を明確に持ち、いわゆる「キャラが立っている」人も多い。酒の席で取材する側がたしなめられることもしばしばだ。それでも建前ばかりを語る人よりもよっぽど彼らの方が人間的に付き合いやすく、また話にも含蓄があり、面白い。それは人種や宗教、文化や常識も違う諸外国を相手にするために必要な要素のひとつなのかもしれない。

もちろん官僚主導が全ていいとは言わないが、政治主導が確立された今だからこそ、国民感情に流されず、大局的な判断が必要な時には、彼らの知見や経験がより重視されてもいいのではないか。折しも世界では自国優先主義が蔓延し、既存の価値観が不安定に揺れている。それだけに日本の外交力がこれまで以上に問われている 。

(フジテレビ政治部デスク・山崎文博)