太平洋戦争の終戦前夜、日本最後の空襲とされる土崎空襲では、秋田市土崎の旧日本石油秋田製油所が爆撃の標的となりました。この土崎空襲から戦争の悲惨さを後世に伝えようと、爆撃の目標地点周辺に標柱が設置され、29日に除幕式が行われました。
土崎空襲は、1945年8月14日深夜から翌15日未明にかけて、秋田市土崎地区がアメリカ軍から爆撃を受けたもので、市民を含む多くの尊い命が奪われました。
空襲の目標とされた旧日本石油秋田製油所の倉庫の建物や柱には空襲の痕が残り、戦争の悲惨さを伝えてきましたが、老朽化などのため保存が困難になり、2017年に秋田市が解体に踏み切りました。
建物の一部は、2018年にオープンした秋田市土崎みなと歴史伝承館に移設・展示されていますが、建物を解体した後、関係者から「空襲の目標地点となった場所が分からない」などの声が上がっていました。
市民団体の土崎港被爆市民会議の呼びかけを受けた秋田市は、空襲の目標とされた周辺に標柱の設置を進めました。
29日は除幕式が開かれ、標柱が関係者にお披露目されました。
標柱は、高さ約2メートル、幅15センチのアルミ製で、解体された倉庫の跡地が見える市道脇の歩道に設置されました。
土崎港被爆市民会議・伊藤紀久夫会長:
「(土崎空襲から81年経過したが)遅かったということではなく、これからの第一歩を踏み出すには、すごくよかったと心から思う。子供たちに安心して語り伝えていく機会になったと思っている」
秋田市は、「標柱を土崎空襲を後世に語り継ぐ遺産として活用したい」と話しています。
