佐賀平野の秋の風物詩佐賀インターナショナルバルーンフェスタが来週開幕します。半世紀近く続く大会の歴史をサガテレビに残るアーカイブ映像で振り返ります。
佐賀市の嘉瀬川河川敷をメイン会場に開かれる佐賀インターナショナルバルーンフェスタ。
100機以上の熱気球が空を彩り、毎年80万人を超える観客が訪れます。
1980年、それまで福岡県甘木市で開かれていたバルーンフェスタ・イン九州が初めて会場を佐賀市に移しました。
これが佐賀インターナショナルバルーンフェスタの始まりです。
参加機数はわずか14機。
観客動員も3万人と今の大会とはとうてい比較になりませんが、人々に大きなインパクトを与えたようです。
30年後の取材ではこんな声が。
「一番最初びっくりしたよ。家の前で『ゴーッ』っていった時、何やろかと思ってね。それから30年なるねえ~」
その後、参加機数も増え1984年からは国際大会に。
バルーンの持つ可能性にいち早く注目したのが当時の宮島剛市長でした。
【宮島剛元市長】
「ピタリ、これは良いと。佐賀の市民たちがね、自分たちの自信につながり地元を誇りに思うことが、あ~、空でできるんだと」
佐賀市制100周年の目玉として熱気球世界選手権の誘致に動きます。
1989年・平成元年ついに日本で初めての世界選手権が開催されました。
132機が参加。
日本代表として地元佐賀の北島健郎さんと久保正博さんの姿もありました。
この年の観客数はついに100万人を突破しました。
1991年、世は空前のF1ブーム。
日本人で初めてフル参戦した中嶋悟さんがバルーン会場に。
この日のために設けられたコースで、爆音を響かせながらF1マシンを走らせました。
最後は、熱狂的なファンたちがコース内に。
今では考えられない一日でした。
一方で大会の存続が危ぶまれたことも。
1998年に開港することになる佐賀空港の設置にあたり、空港周辺でのバルーン飛行は原則認められないという問題に直面していました当時の佐賀市長西村正俊さんは。
【元佐賀市長 西村正俊さん】
「空港も大事ですからね空港の推進もやってましたから。知事さんから「市長さんバルーン大会はやめたら?」という話があったんですよ冗談じゃない」
空港と大会は共存できると訴える自治体や関係者の粘り強い交渉のかいあってバルーンに警報機付きのGPSの搭載を義務付けることや空域を分けることなどを条件に国の同意が得られました。
色あざやかな光景が注目されるバルーンは、スカイスポーツでもあり、上空ではタイトルをかけた熱い戦いが繰り広げられています。
バルーンの先駆者たちからの薫陶を受け環境に恵まれた佐賀からは何人ものパイロットが世界選手権に出場するなど世界を舞台に活躍しています。
長きにわたりバルーンフェスタ組織委員会のリーダーとして大会をけん引してきた水町博史さんが10月佐賀市の表彰を受けました。
その席上、水町さんは国際大会になったころ県外の人からかけられたというある言葉を紹介しました。
【水町博史さん】
「よかったね佐賀には大空というハードと人情というソフトがあったじゃない。という言葉をいただきました。今日までお手伝いをさせていただく励みになった言葉ではなかったかなと思っております」
大空と人情。大会には多くの人が関わっています。
未明から風向風速などを調べる気象観測班。
外国人選手たちのホームステイを受け入れるホストファミリー。
そして競技の運営やチームのサポートを担うボランティアも。
多くの人たちがバルーンの魅力に引き寄せられ半世紀近くにわたり大会を支えています。
そしてまた今年も。
大会が長く続いてきた要因としては広い平野であることや様々な風があることなど地理的に恵まれていることが一つ。
それと、VTRの中で水町さんが人情と話していたように、多くの人たちがいろんな形で大会を支えているからだと思います。
佐賀の人は、やはりバルーンが好きなんですね。
今年の大会は10月30日から11月3日まで開かれます。
