兵庫県警に逮捕・勾留された後に衰弱死した少女の母親が国と県を相手取り起こした裁判が始まり、被告側は全面的に争う姿勢を示しました。
その法廷で母親は裁判に至った思いと決意を述べました。
訴えによると、去年6月、当時16歳だったるなさん(仮名)は、勤務する兵庫県内の障害者支援施設で利用者への暴行を疑われて逮捕・勾留されたものの不起訴に。
釈放後、摂食障害やPTSDで衰弱し、体重が20キロに減って去年12月に死亡しました。
母親は「違法な捜査だった」として捜査にあたった神戸検察と兵庫県警の責任を問うために、国と県を相手取りおよそ1億円の損害賠償を求めています。
■取り調べで「本当はやったんだろう しょうじきに言え」
捜査当局はるなさんを勾留する際に、弁護士以外の外部との面会や手紙などを一切許さない「接見禁止」を申請。
そして取り調べでは、るなさんは捜査員から「本当はやったんだろう しょうじきに言え」、「今言ったら楽になるぞ」、「別に施設を潰したいわけじゃないねん お母さんこまらすな」などと言われたと、「被疑者ノート」に記されていました。
るなさんはそのノートに自分の気持ちも書き込み、何か所も涙でにじんでいました。
【るなさんの「被疑者ノート」より】
「何にもしてないのにこんなんになるんですか。自由をかえしてほしいです」
「まけません」
「ママ大好き早くあいたい」
「ママと行きたいあいたい自由になりたい」
「ママとお出かけずっとしたい コンビニでもどこでも付いていきたい 世界一ばんじまんの大好きなママ」
捜査当局が勾留を延長する中、るなさんは「拘禁反応」とみられる症状で食事をとることができなくなり、脱水症状で倒れます。
そして、不起訴に。
逮捕につながった“目撃証言”は誤りだったうえ、警察はその“目撃者”以外、周囲にいた人から事情を聴いてもいなかったことなどが明らかになります。
るなさんは釈放されても、PTSDと診断され、食事をとることができず飢餓状態になり命を失いました。
■県(警察)と国(検察)は全面的に争う姿勢
21日に神戸地裁で開かれた第一回口頭弁論で国と県は全面的に争う姿勢を見せました。
兵庫県警の幹部は関西テレビの取材に、「正当な捜査だった。裁判では釈放から死亡までの5カ月間の家族の対応が適切だったか明らかにする」と話しています。
■母親が法廷で意見陳述「娘が悪いことをしていなかったのなら、娘に謝ってあげてください」
「争う」ことになった今回の裁判。
るなさんの母親は法廷で意見陳述を行い、裁判を起こすに至った思いと決意を述べました。
【るなさん(仮名)の母 意見陳述全文】
裁判官へ
私が伝えることは、人として、誰の命も同じように大切に守るということです。
障がいがあっても、なくても、支援を受ける人であっても、支える人であっても。その命の大切さに、違いはありません。
一人ひとりの声を聞き、その人の意思を大切にし、命と尊厳を守る。
それが、私が大切にしてきた福祉の根源です。
私と娘が取り組んできた福祉では、身体を拘束する支援はしません。
危険な行為があれば、ご本人も周りの人も傷つかないように、その行為を止めます。そして、何を求め、何を苦しみ、何を伝えようとしているのか、その人と真正面から向き合います。
その姿を「大変だ」と捉えるのではなく、何かを求めている姿として受け止める。その人の声を聞き、意思と尊厳を大切にする。
私は、福祉の専門職として、そういう人の暮らしに向き合ってきました。娘も、その日々の中で、人を支えてきました。
私は、理事長として、娘を厳しく育ててきました。褒めたことは、一度もありませんでした。
その私が今、母親として、そして娘の支援を見てきた一人の専門職として、伝えます。
娘がしてきた支援は、素晴らしかった。
生きている娘に伝えられなかったその言葉を、今、この裁判所で伝えます。
娘は無実だと、私が訴えます。
娘が何を考え、誰を支え、どのような支援をしてきたのか。そして、事件とされたその日に何が起き、娘は何をしていたのか。
私が、福祉のプロとして、その支援の意味と、一つひとつの事実を伝えます。
その場にいた人たちの声、日々の支援の記録、残された証拠をもって、娘の無実を証明します。
娘がもう自分の言葉で伝えられないからこそ、今度は私が伝えます。
それが、娘とともに福祉に取り組んできた私の責任であり、母親としての決意です。
娘がしてきた支援を、娘が生きてきた事実を、正面から見てください。
警察も、検察も、人々を助け、命と人権を守る立場にあると、私は信じてきました。
娘も、守られるべき一人の人間ではなかったのですか。
疑いがかけられたとしても、その人の声を聞き、命と尊厳を守ることを、忘れないでください。
人を大切にするという理念は、言葉として掲げるだけでなく、目の前にいる一人への対応に表れてこそ、意味があります。
そして、「人質司法」と呼ばれる問題にも、向き合ってください。
「やっていない」と訴える人の声を、正面から聞いてください。その訴えを、身体の拘束を続ける理由にしないでください。
娘の身体を拘束する必要がなぜあったのか。その間、娘の声を聞き、命と尊厳を守っていたのか。
私は、その事実と判断の根拠を明らかにすることを求めます。
調べる側にも、裁く側にも、人の人生を左右する力があります。その判断に誤りがあったとき、誰が確かめ、正すのでしょうか。
「やっていない」という声が届かなければ、人はどうやって自分を守ればよいのでしょうか。
裁判所には、独立した立場から、一つひとつの判断を確かめてほしいのです。立場や肩書ではなく、事実と証拠に向き合ってください。
娘は、自分が悪いことをしていないのなら、謝ってほしいと話していました。
そして、「謝ってくれたら、ちゃんと許せる」と言っていました。
これは、娘自身の言葉です。
娘が悪いことをしていなかったのなら、娘に謝ってあげてください。
娘は、人を許す心を持っていました。間違いを認めて謝ること、相手と向き合い、許すことを、福祉の日々の中で学んできました。
私も同じです。
事実を認め、責任に向き合い、娘に謝ってもらえたら、私は許します。
私がそう言えるのは、私自身が、多くの人に助けられ、支えられているからです。
この苦しみの中で、私の話を聞き、そばにいてくれる人たちがいます。一人で、ここまで来られたわけではありません。
人に支えられることの大切さを、私は今も教えてもらっています。だからこそ、私も人を大切にする。その思いを、ここで伝えます。
許すことは、娘に起きたことを、なかったことにすることではありません。
起きたことを確かめ、間違いがあったのなら認め、謝り、責任を受け止めて改める。そして、同じ苦しみを繰り返さないために、何を変えるのかを示す。
その先を、一緒に考える。それが、私と娘が大切にしてきた福祉です。
私は、誰かを侮辱したり、傷つけたりするために、ここに立っているのではありません。
こんな苦しい思いをする人を、これ以上生まない。そのために、ここに立っています。
事実を明らかにし、責任を問う過程でも、一人ひとりの声を聞き、全ての人の尊厳を守ってください。
娘は、人を支えることを、自分の一本道と決めて生きていました。
私は、そんな娘が大好きでした。
娘の命は、いつまでも人を思い、人を支える命です。
私は、娘が大切にしてきた思いと、私を支えてくださる人たちから受け取った支えを、これから生きる人たちの命を守ることにつなげます。
娘が生きて人を支えてきたことを、なかったことにしないでください。
失われた命を忘れず、今、生きている人の命を守るために行動します。
誰一人、これ以上傷つけない。
それが、娘が大切にしてきた福祉です。
それが、私の望む裁判です。
