東日本大震災の津波被害から復旧させた田んぼで、稲刈りをして交流を深めるイベント「稲刈りカップ」が、10月11日、気仙沼市で開かれました。
今年で最後にするという稲刈りカップ、主催した人の思いは。
秋晴れの田んぼに実った稲。集まった人たちが少し慣れない手つきで稲を刈っていきます。
11日、気仙沼の田んぼには日本各地と海外からおよそ150人が集まりました。
稲刈りカップと題したこのイベントを主催したのは佐藤誠悦さん(74)。一緒に稲を刈っているのは孫の葵さん(25)です。
佐藤さんのこの田んぼは、東日本大震災でがれきに覆われました。自力で懸命に片づけをする佐藤さんを、ボランティアが手伝ったのが稲刈りカップのきっかけです。
稲刈りのあとは、この田んぼで取れたコメを味わいながら、歌ったり踊ったり、交流を深めます。
2013年から毎年続けてきた稲刈りカップ。これまでのべおよそ1000人が参加しましたが、今年が最終回です。
初回からの参加者
「本当に来年やらないんですか、やりましょうよと私たちもリクエストを続けていたので」
佐藤さんが、惜しまれながらもひと区切りとしたのは、様々な思いがあるそうですが、大きかったのは自身の病気だといいます。
佐藤誠悦さん
「抗がん剤投与で去年、6カ月間投与して。去年の稲刈りカップでは頭にはすっかり毛がありませんでした。その時に来年やめようと思った」
見つかったがんは現在はほぼ見えなくなるまで回復しましたが、稲刈りカップを最後にするという決意は変わりませんでした。
この日の最後、佐藤さんは参加者に語りかけました。
佐藤誠悦さん
「最終回という名前を付けたが、「卒業式」。私もこれを機会として新たな光に向かっていきたい。ありがとうございました」
翌日、佐藤さんは、参加者とともに気仙沼市の小泉海岸を訪れました。
佐藤誠悦さん
「お母さん来たからね」
ここは、佐藤さんの妻・厚子さんが遺体で見つかった場所です。厚子さんは東日本大震災で津波に流され、亡くなりました。
震災発生当時、佐藤さんは気仙沼消防署の指揮隊長として救命活動にあたりました。消防隊員でありながら、妻を守れなかったことへの強い自責の念があると話します。
佐藤誠悦さん
「地域住民の方々を懸命に41年間助けてきた…安全を守ってきたが、お前を助けることができなくて申し訳ない。ごめんな、ごめんな」
「二度と多くの人にこういう思いをさせたくない。この思いを後世に伝えるように、これから残された日々を懸命に伝えていきたいと思う」
その思いから語り部活動を始めた佐藤さん。当時の思いを率直に伝えました。
佐藤誠悦さん
「私は遺体が発見された時の話を受け入れられなかったので、何を言っているか全然分からなかった。聞きたくなかった。いっぱい今までそういう人たちを見てきた。救助活動をしてきた。でも、それが妻のこととなると言われるのが嫌だった。ここに来られなかった。認められなかった」
そして、稲刈りカップに集まってくれた人たちへの思い。
佐藤誠悦さん
「今を生きることの大切さを教えてくれたのは、稲刈りカップのメンバーなど、そういった(来てくれた)方々のつながりがわたしをこれまで生き延びさせてくれた」
海に花を手向けた佐藤さん。厚子さんに稲刈りカップの終了を報告したそうです。
佐藤誠悦さん
「稲刈りカップ最終回ということで、15年活動してきて卒業するからねと報告したら、『ご苦労様でした』と(妻に)言われましたので、もう感無量ですね」
今後も語り部活動は続けるという佐藤さん。その思いは、次の世代にもつながっています。孫の葵さんは、今年から佐藤さんと一緒に語り部を始めました。
佐藤誠悦さんの孫 葵さん
「東日本大震災があったことは忘れてはいけないし、それを語り継いでいく人も必要だし、おじいちゃんもその一人なので、私もその一人になれるようにおじいちゃんの気持ちを語り継いでいきたい」
「今日はいい天気ですね」「ばあちゃんも一緒に刈ってるから…」
その姿は、佐藤さんの妻であり、葵さんの祖母である厚子さんにもきっと届いているはずです。
佐藤さんはがんの治療を続ける中でも語り部を続けていました。孫の葵さんに語り部を一緒にやってみないかと声をかけたのは佐藤さんだったそうですが、実は葵さんもそれ以前から佐藤さんの語る姿に憧れをもっていたと話していました。
稲刈りカップは卒業しますが、佐藤さんはこれからも葵さんと一緒に語り部としての活動を続け、生きることの大切さを伝え続けるということです。
