今から50年前、名古屋城の外堀を走り、「お堀電車」の愛称で親しまれた名鉄瀬戸線。廃線から半世紀たった今も残る駅の痕跡や、全国でも珍しい特殊な線路など、その面影をたどりました。
■名古屋城の外堀を走っていた「お堀電車」
1911年から1976年までの約65年間、名古屋城の外堀に敷かれた線路を走っていた「お堀電車」。名古屋の中心部を走る重要な交通手段として、多くの人を乗せていました。

廃線から50年、お堀電車の痕跡は今も残っているのでしょうか。鉄道ファン歴48年、東海ラジオの源石和輝さんと探ります。
源石さん:
「お堀電車の中には4つ駅がありました」
瀬戸と名古屋を結んでいた名鉄瀬戸線。その一部、およそ2.2キロが名古屋城の外堀を走っていて、廃線直前には4つの駅がありました。

まずは、名鉄瀬戸線の起点となった「堀川駅」。瀬戸の焼き物は、ここから堀川の船に積み替えられ、名古屋港へと運ばれていました。
源石さん:
「瀬戸物のための瀬戸電と言えるかもしれません」

お堀電車は、瀬戸の陶磁器産業を支える物流拠点の役割も担っていたのです。
■駅の手前に残る全国でも珍しい「ガントレット」
続いては、「本町駅」。
源石さん:
「本町駅の手前に珍しい『ガントレット』があります。恐らく全国でもココだけと言われています」

ガントレットとは、狭い場所に2方向の電車を通すための特殊な線路のこと。通常は2本並べる線路を部分的に重ね合わせることで、限られた狭いスペースでも上下線の電車を走らせることができました。
源石さん:
「お堀にはガントレットが3か所あり、2つは改築され複線となりました。しかし本町橋だけが単線のまま残されました」

では、なぜ本町橋だけが単線のまま残されたのでしょうか。
源石さん:
「明治時代に名古屋城に軍の施設がつくられた。重い大砲などを運ぶには、単線を複線にすると橋の強度が保てない。そのため、1か所だけガントレットが残ったのです」
本町橋をくぐった先にあった「本町駅」ですが、現在、その痕跡は残っていません。
続いては「大津町駅」です。
源石さん:
「近くに市役所、県庁などがある『大津町駅』は、瀬戸電最大のターミナル駅でした」

そこには今も、ホームへと降りる階段と手すりが残されています。
■直角に近い角度でカーブする「サンチャインカーブ」
さらに次の「土居下駅」へ向かう途中にも、見どころがありました。
源石さん:
「『土居下駅』の前に見て欲しいのが、『サンチャインカーブ』です」
先に進むと、外堀が直角に近い角度で左に曲がっています。
ヤード・ポンド法で1チェーンはおよそ20メートル。「3チェーン」、つまり半径およそ60メートルの急カーブだったことから、「サンチャインカーブ」と名付けられました。

源石さん:
「鉄道では限界ギリギリのカーブです。普通鉄道を通す時は、先に用地を確保しますが、お堀なので制約された条件の中で、最大可能なカーブがサンチャインです」
急カーブで脱線しないよう、電車は時速およそ20キロで走っていたといいます。

そして最後の「土居下駅」へ。しかし、こちらの駅の痕跡は残っていませんでした。
■瀬戸蔵に残る「お堀電車」
愛知県瀬戸市の「瀬戸蔵ミュージアム」では、50年前に走っていた「お堀電車」を見ることができます。

鉄道愛好家の山田司さん:
「昭和初期の電車なので、リベットといって、鋲打ちでつなぎ合わせてあります」
車内では、木製の床から今も木の香りが漂います。
「お堀電車」は1976年、名鉄瀬戸線の栄町乗り入れに伴って外堀区間が廃止され、約65年の歴史に幕を下ろしました。

山田さん:
「お堀電車を語り継げるのは私たちの世代が最後ですので、残していきたい」
廃線から半世紀。今も残る痕跡が、「お堀電車」が走った歴史を伝えています。

