さぬき市津田町で8人が犠牲になった土石流の発生から9月11日で50年です。当時を知る地元住民が災害への備えの大切さについて語りました。
(山中忠美さん)
「大きい石が後ろに落ちとんや。バラス(砕石)や雨の音で気がつかない。あれが来ていたら死んでいると、連れと話をした」
さぬき市津田町に住む山中忠美さん(78)。ふるさとを襲った土石流を、50年がたった今も忘れることはありません。
1976年9月、台風17号が接近し、小豆島など県東部では、1000ミリを超える大雨が降り、土砂災害が発生しました。県内の死者は50人、県内の風水害としては戦後最悪の人的被害です。農業などへの被害も大きく県の調べでは被害額は約560億円に上りました。
旧津田町でも9月8日から13日にかけて年間雨量に匹敵する約1000ミリもの雨が降りました。北山地区ではその間、相次いで土石流が発生。大量の土砂が集落を飲み込みました。
(山中忠美さん)
「助けてという声がして、(山に)上がった。女性を戸板に乗せ、消防と搬送した。本当に(印象に)残っている…やっぱりつらいです」
自衛隊や警察からの200人、そして、山中さんら地元住民も加わり、救援活動が行われました。
(山中忠美さん)
「水が何度でも来るので探すに探せない。自衛隊も警察も来ていた。「この場所何か色が違う」と言って離れると 遺体が見つかった」
北山地区では20代から70代の8人の死亡が確認されました。
北山地区には「忘れじの標」と名づけられた石碑が残されています。8人が犠牲となった土砂災害を風化させてはならないと建てられたもので、石碑の裏側には被害状況が刻まれています。
北山地区にはその後、砂防ダムなどが建設され、災害復旧の工事は3年を要しました。あれから半世紀、山中さんは災害への備えの大切さを訴えます。
(山中忠美さん)
「自分の家の周りの水路はちゃんとしている。水はけをよくしておかないといけない。(水が)たまったらそれが飛んでくる。簡易トイレも用意している。先にしておかないといけないことがある。(準備をしていないと)間に合わない」
