日本で最も消費金額が高い果物、バナナ。総務省の2025年家計調査によれば年間購入額は5,226円に上り、食卓でおなじみの存在である。
一方で、同年における国内の輸入量がおよそ106万トンに達するのに対し、国内生産量はわずか100〜200トン程度。自給率は0.02%以下と、その大半を海外からの輸入に依存しているのが現状だ。亜熱帯特有の温暖な気候に恵まれた沖縄県でも、台風被害のリスクの高さからバナナ栽培に特化する農家は極めて少ない。

しかし、この果実に巨大なポテンシャルを見出し「バナナをサトウキビに次ぐ沖縄の基幹産業にする」と立ち上がった男性がいる。“バナナおじさん”こと琉球プランテーションズ代表の林誠さんだ。
「バナナ1本」の道を選ぶまで

豊見城市の農園で林さんが栽培しているのは、加工用の「アップルバナナ」。圃場に実る房を眺めながら、笑みを浮かべる。
「この辺はもうそろそろ収穫できそう」
自慢の品種について、その魅力を次のように説明する。
「甘いところは糖度が25度くらいあるのですが、そこにりんごのような爽やかな酸味と風味があるのが特徴の一つのバナナです」

もともとは父親から事業を引き継ぎ、建設業に従事していた。9年前、建設業の閑散期を補う新規事業としてバナナ栽培に着手。収穫したバナナをスムージーにして、観光施設の一角で販売を始めた。
しかし、順風満帆とはいかなかった。当初の予定から軌道が逸れていった当時について、こう振り返る。
「バナナスムージーがメインだったはずなんですが、タコスのレストランを作ってしまったんですよ。週末になると軍属の人たちも結構いらしゃって、スタートはすごく良かったんですけどね」

2019年に新店舗をオープンしたものの、直後にコロナ禍の影響で閉店を余儀なくされた。自らが拡大させた事業で本業の会社に負担をかけられないと考えた林さんは、退職を決意する。
「弟に会社を任せて自分はバナナをスタートしたので、成功するまでは続けたい。そこから“バナナ1本”の日暮し生活がスタートしました。投資信託を解約して、バイクを売って、車を売って、持っていたものがどんどん無くなっていって…」
資産を投げ打ち、退路を断った孤軍奮闘が始まった。
“バナナおじさん”としてのインパクトと確かな美味しさ

そんな状況にあっても、林さんはバナナの栽培から撤退することはなかった。追いつめられた日々の中で、この果実が秘める底力への確信が深まっていたからだ。
「バナナはめちゃくちゃ可能性だらけじゃないか、というのがバナナにのめり込んでいった1つの要因かもしれない」
前を向くために国の補助事業を活用してフードトラックを購入し、移動販売を開始。SNS上では「バナナおじさん」と名乗り、地道に情報発信と出店を重ねた。やがてコロナ禍が落ち着きを見せ始めると、追い風が吹き始める。

「コロナが明けてきて、イベントやお祭りがどんどん再開してくることによって出店場所が増えていったんですよ」
砂糖を一切使わず、自社栽培したアップルバナナと牛乳のみで仕上げたスムージーは、素材本来の豊かな甘みで評判を呼んだ。

現場には「看板の写真をみて(バナナおじさんが)いるかなと思って来ました」と尋ねてくる県外観光客や、「めっちゃバナナ!」「おいしい!」と声を弾ませる子どもたちの姿があった。「変に甘くないので、全部一気に飲めますね。めちゃくちゃ美味しい」といった感嘆の声も漏れる。
1000億円市場に挑み「黄色くハッピーな未来」を描く

自ら育てたバナナの魅力を届ける中で、林さんの眼差しはさらに高い目標へと向けられている。
江戸時代にサツマイモを沖縄に広めて人々を飢餓から救った偉人・儀間真常(ぎま・しんじょう)にならい、「令和の儀間真常」を目指してバナナを通じた地域経済への貢献を構想しているという。
「僕の大きなビジョンとしては、バナナを沖縄の産業にしたいという思いがあります。それくらいのポテンシャルはあると思っていて。(バナナの)消費の金額が1000億円くらいあるんですね。その中の95パーセント以上が輸入に頼っている。そうすると1パーセントでも取れれば10億円という金額になるんじゃないか」
課題となる台風被害に対しては、栽培サイクルを解明することで暴風域の時期を避けて収穫する技術の確立を目指している。さらに、県民へ「副業」としてのバナナ栽培を提案し、生産されたバナナを全量買い取る仕組みをつくることで、農家の所得向上にもつなげたい考えだ。

「バナナ栽培を沖縄県内に広めて、沖縄県民一人ひとりの所得を上げながらバナナで黄色くハッピーに、沖縄のこどもたちを笑顔に。そういうことをしたい」
バナナおじさんの挑戦はまだまだ続きそうだ。

