2026年7月、沖縄県那覇市で伝統芸能の舞台「かぎやで風プロジェクト」が開催された。出演したのは、病気や障害、加齢などを理由に一度は舞台を離れた人々だ。

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沖縄県内の作業療法士や県立芸術大学の学生たちによる支援のもと、19人の参加者が約3ヶ月にわたって稽古を重ねてきた。
一度は途絶えかけた芸の道と向き合い、再び晴れ舞台へと踏み出した人々の姿を追った。

手放さざるを得なかった音と踊り

参加者の一人である大井マサ子さんは、若い頃の断念と半生を経て再び舞踊の世界へと戻ってきた。
「88歳です。踊りは50歳の時に先生のところで練習していたんですけど、商売と両立できなくて辞めちゃった。あれから40年ぶりに踊っています」と語る。

一方、三線を担当する上原みどりさんは、4年前に難病である「網膜色素変性症」との診断を受けた。
「最終的には見えなくなるということで、最初は仕事も辞めてしまって。できないことばかりに目がいって、家に閉じこもっていた時期もあるんですが、『できることをやろうではなくて、やりたいことをやってみよう』という風に考え方を変えて」と、心の葛藤と転機を明かす。

野村流伝統音楽協会会長を務め、国指定重要無形文化財「組踊」の保持者でもある首里良三さん(81)にとっても、このプロジェクトは大きな意味を持っていた。

60年以上情熱を注いできた三線を「こどもですよね。もう毎日見えるところに置いてあるから」と表現する良三さんだったが、15年前と昨年の二度にわたる脳出血に見舞われる。「入院していた時、何が何だか分からなくて誰が来ても自分のことも分からないですよ」と振り返る通り、後遺症によって思うように手が動かなくなった。

「調弦が全然できない。頭では指令が出ているんですけど、手が動かないから。中指人差し指が全然。三線を弾くたびに悔しいという気持ちでいっぱいです。三線を見ようとも思わなかったですね」

妻の洋子さんも当時の切実な状況を語る。

「本当にどうしようもないぐらい大変だったんですよ。積木がありますよね、丸・三角・四角。これも入れられない、丸のところに三角いれたり。チンダミ(調弦)もできない。その様子を見て泣いてしまって。うちの主人から三線がなくなったらどうするんだろうなと」

ともに歩む仲間からもらった勇気

途方に暮れていた良三さんだったが、リハビリを担当した作業療法士から「かぎやで風プロジェクト」の存在を知らされ、再び楽器と向き合うことを決意する。

稽古場で他の参加者とともに練習を重ねるうちに、失われていた表情と情熱が戻り始めた。洋子さんは「練習から帰ってきたら、必ず三線を持つんですよ。こんなに元気になって良かった」と顔をほころばせる。

仲間たちの姿も良三さんの背中を押した。「(みんなが)頑張っているので負けていられないと思って。勇気になりましたね。できるようになりましたというところを見せたいですね」と良三さん。

その成果を誇りたい相手として「女房にですね」と笑顔で答えた。

舞台の本番直前ミーティングでは、参加者それぞれから万感の思いが溢れ出た。

「この3カ月の間、正座も出来なかった。でもかぎやで風を踊って、首里城も蘇りますし、第二の命をもらったような感じ」「私がやらないで誰がやる!頑張るぞ!」と参加者で声を掛け合い、出演者たちは「えいえいおー!」の掛け声で一致団結して舞台へと向かった。

舞台の終幕、新たな目標の幕開け

無事に本番を終えた会場は大きな拍手の中、深い感動と達成感に包まれた。

舞踊を披露した國吉弘子さんは「まさか本番を迎えられるとは夢のようです。皆さんのおかげです。ありがとうございました」と感謝を口にし、上原みどりさんも「無事演奏を終えることができてとてもホッとしています。この舞台で終わらず、これからも色んなことに挑戦していこうかなと。私にも何かできることが他にもあるかもしれないと思って、希望がもてたような感じです」と前を見据えた。

大きな節目を越えた良三さんに、洋子さんは「良かったね、お父さん。このプロジェクトで三線弾けるようになってからの初舞台、感動しました」と温かい言葉をかけた。

良三さんは「感動して言葉がない。できないからって諦めるんではなくて、参加してみんなと一緒にやっていくとできますので」と晴れやかな表情で語り、今後の目標を問われると「最高賞を獲る」と力強く答えた。

病気などの制約や困難によって一度は遮断された芸の道。しかし、仲間とともに踏み出した再挑戦の一歩が、失われた自信と希望を力強く呼び覚ました。沖縄の舞台の開幕を彩る「かぎやで風」が、参加した人たちそれぞれの人生の新しい目標の幕開けをもたらした時間となった。

沖縄テレビ
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