ユニークな研究で注目の開発者の新作
あいさつのハグ文化は日本でも少しずつ浸透してきているとはいえ、まだまだ照れくさく、ハグは夫婦や恋人、子どもなど親密な間柄に限るという人も多いだろう。
ただ、そんな大切な人とのハグの感触を自分の好きなときに体験できる…としたらどうだろうか。
東京工業大学特別研究生の高橋宣裕さんがこのたび開発したのは、なんとハグの感触を再現してくれるというスーツ「センスロイドタイプS」。
どういうものかというと、胴体部分にバルーンを用いた記録用スーツによって相手のハグを記録。その後、人工筋肉チューブでできた再生用スーツでそのハグを忠実に再現するという仕組みだという。
VR用ヘッド・マウント・ディスプレー(HMD)を装着することによって、ハグをより現実に近づけることも可能で、故人に抱きしめられる体験を記録しておくなどの使い方を提案しているという。
高橋さんは自身の公式サイトで、この「タイプS」の動画を公開している。
約2分30秒の動画では、60本の人工筋肉チューブから成る再生用スーツが伸縮を繰り返す様子などを記録している。
そして、記録用スーツに接触やハグを繰り返すたび、ノートPCに表示されたスーツの接触位置が点滅し、再生用スーツの同じ位置が間髪入れずに音を立ててきしんだり、凹んだりする不思議な光景を目の当たりにでき、「センスロイドタイプS」がどういうものなのかは理解できる。
開発者の高橋さんは、これまでに触るとさまざまな反応を引き起こす尻型ヒューマノイド「SHIRI」(2012)、手の指を自在に動かすことができる人工筋肉「ソフトグローブロボット」(2018)など、“触覚”をテーマとしたユニークな開発で注目されてきた。
高橋さんはなぜこのテーマを選び、開発を続けているのか。現段階でハグをどの程度再現できているのか。
いろいろ興味深かったので話を聞いてみた。
触覚も再体験できたら面白い用途が広がる
ーー「センスロイドタイプS」を開発したきっかけは?
「自分が現実にもうひとりいて、それに触れたらどのような感覚になるのだろうか?」という興味が出発点です。物理的に不可能なことが触覚VR技術を使うことで可能となることに興味を持ちました。
コミュニケーションは相手の存在なしには成り立ちませんが、「タイプS」を使うと可能になります。この新しいコミュニケーション形態を確立することで、何らかの新しい効果が得られたり、さまざまな分野に展開できれば興味深いと思いました。
この発想を最初にプロトタイプとして形にして公開したのが、2010年の「第18回 国際学生対抗バーチャルリアリティコンテスト」です。
この時は、有志チームで実装しています。その後、自身で少しずつ改良を進め、現在のものに至っています。
ーー開発にどのくらいの構想・期間がかかっている? また費用は?
「タイプS」ですが、実は一昨年前に既に着手しており、だいたい半年ほどで実装しました。詳細はひかえますが、開発に数百万円はかかっています。
ーー開発はひとりで行っている?
ハードウェアの実装はほぼ1人で行いました。ソフトウェアの実装は、同じ研究室の学生1人に手伝ってもらい、現在の形になっています。使用している人工筋肉は、東京工業大学の鈴森研究室にも多くの助言をいただきました。
ーー「故人とのハグ体験を残す」というアイデアはご自身の体験から? それとも周りの声?
文章や映像や音楽などだと、記録や再生する方法はたくさんあります。ただし、触れた感覚などを残す技術はまだ一般的ではありません。視覚や聴覚と同じように,触覚も再体験可能なものにすれば、もっと面白い用途が広がると思っています。なので、私自身の体験からというよりは、あったら面白いでは?という感覚です。
ーー開発に対する周囲の反応は?
良好です。「タイプS」で大分スマートになりましたので。触覚の解像度や応答性も向上しましたし、「ロボメック2019」(ロボット分野の学会)では好評でした。
“リアルなハグ”まではまだ遠い
ーー記録用スーツと再生用スーツの仕組みと使い方を改めて教えて?
記録用スーツは、ゴムシートで成形されたスーツに、内圧の変化を検出する空気圧バルーンを複数貼りつけています。このバルーンですが、スーツを着たユーザーなどに加えられた力と位置を検出することができます。
もう一方の再生用スーツは、空気圧の細径人工筋肉がニットの毛糸のように編み込まれる形で作られています。この編み込まれた人工筋肉を動かすことで、記録用スーツに与えられた感触と同じような力をスーツを着ている者へ加え、ハグを再現するわけです。
実際の操作だと、前者に加えられた力と位置をPCで認識し、そのデータを元に後者を駆動させる形となります。
ーースーツの耐久性はどの程度?
耐久性は現状高いとはいえず、欠点にあたります。こちらも現在改良中です。
ーー空気圧でどの程度ハグを再現できる?
難しいところですが、人工筋肉によって柔らかく力強い締めつけが可能です。そのため、「ハグのような感覚」は呈示できていると思います。
ただし、実際のハグは温度があったり、ただ力が加わればいいというわけではなく、人間の身体独特の感覚もありますから、技術的には簡単ではありません。正直なところ、リアルの実現まではまだ道のりがあります。
ですので、VRと組み合わせ、映像や音声と「タイプS」の駆動を同期させることにより、「タイプS」にハグされるよりもリアルに感じる、といったような「補完」も有効だと考えています。「すごくリアルなハグだけど、装着できないほど重いし、かさばるし…」では本末転倒ですので、そこはバランスです。
リアルなハグを再現するアイディアはまだまだありまして、目下研究中です。
ーー通常時、どのくらいの力で抱きしめられる?
最高の力で駆動すると、締めつけすぎて痛いほどまで力が出ます。
人間の身体に対するものですので、正確な数値を出すのは難しいですが、現状4kgf弱までの力が出ることは確認しています。
ーー着用可能な年齢、体重、身長は?
オートフィッティング機構を実装しており、SFで登場するスーツのように、身体にフィットします。大人の幅広い体型に対応していますが、子どもは難しいです。
触覚を使ったコミュニケーションの未来
ーーすでに亡くなっている人の場合、ハグの復元を図れそう?
基本的に今生きている人のデータを取らなければなりません。既に亡くなってしまっている人でしたら、例えば映像などから予想してハグをプログラムするといったことはできるかもしれません。本当の記録データではありませんが。
ーーVRとの組み合わせ方についても聞かせて?
こちらも一番やっていきたいことです。ただ、詳細はまた今後公開していきたいと思います。
ーー現在想定している使用法は?
製品化やビジネスも少し考えていたりはするので、その際に発表したいと思います。
ーー企業、または個人への販売も検討している? コラボ展開は?
今、いくつか企業からお話をいただいています。販売や貸出は前向きに検討中です。
ーー「センスロイドタイプS」で目指している展望は?
触覚を用いたコミュニケーション技術が、今の音声や映像の配信のように当たり前のことになると、私自身考えております。「タイプS」でそれを示していきたいですし、ハグなどのリアルな感覚の生成を研究しながら、同時に面白いコンテンツも発信していきたいと考えています。
“ハグの感触を再現する”という面白い着眼点の「センスロイドタイプS」だが、触覚のコミュニケーション技術を進歩させたいという未来に対する大きな考えがあった。高橋さんの次の作品も楽しみだ。