ラジオ放送を通じて誰もが耳にしたことがある道路交通情報。県内の情報を発信するセンターの開設から44年あまり、約4万回にわたって交通安全を呼びかけ続けた“あの声”の持ち主がこのほど引退。最後の放送に密着しました。
【ラジオの音声】
「はい、お伝えします。まず高速道路の状況ですが、九州道や大分道の車の流れも順調です」
ラジオから聴こえる流ちょうな心地よい声。
【ラジオリスナー歴40年(60代)】
「あの癒しボイスで渋滞にはまっているときもかなりリラックスできた」
【ラジオリスナー歴20年(50代)】
「“神邊さん”の名前が出ると安心するみたいな、いつも聴き慣れている、安心できる声」
その声は県警察本部の8階から届けられています。
【日本道路交通情報センター佐賀センター 神邊教子さん】
「一般道路の状況です。この時間、国道207号線の交通量が増えてきました。八戸交差点で嘉瀬方面からの車、天祐寺橋交差点では与賀町方面から交通量が多くなっています」
日本道路交通情報センターの佐賀センターで働く神邊教子さん(65)地図板を確認しながら県内の渋滞状況など交通情報を県内3つのラジオ局で発信するほか、カーナビ情報の更新などを担います。職員3人で早朝から夜までシフトを組みながら対応しています。
【日本道路交通情報センター佐賀センター 神邊教子さん】
「気象のことも調べないといけないし、災害時、今から雨の時期を迎えるが潮汐表も見るし、佐賀の場合潮の満ち引きがずいぶん関係してくるのでそれを調べたり、気象の天気図がだいぶ見られるようになった」
神邊さんは1980年・昭和55年11月の佐賀センター開設時から働いています。
【日本道路交通情報センター佐賀センター 神邊教子さん】
「見たこともない交通状況を映し出す地図板があって、もうそれが楽しそうで楽しそうで。今でもそのワクワク感は忘れられない」
センターが開設した1カ月後には交通情報の放送が始まりました。
【日本道路交通情報センター佐賀センター 神邊教子さん】
「上手だと思っていた、自分のアナウンスが。しばらくして“なんてわかりにくいし、なんて下手なんだ”というのに気づいてから、もがき苦しんだ」
センターの研修はもちろん、自腹を切って放送局の通信教育でアナウンスを学び徐々に県内のリスナーにその声が定着。
去年11月には交通死亡事故「ゼロ」を目指し1日交通安全広報大使も経験しました。
【日本道路交通情報センター佐賀センター 神邊教子さん】
「通行止めの方が重要だから。通れるか通れないかというのが原則だから」
そんな神邊さんは現在65歳。最後の放送を控えるなか、事務所では引き継ぎ業務にも追われています。
【日本道路交通情報センター佐賀センター 神邊教子さん】
「声が出にくいときはとにかく発声練習。“あえいうえお”母音の練習は裏切らないので、きっちり練習してください」
神邊さんからマイクを引き継ぐのは、佐賀に来て3年目の川崎尚子さんです。
【新人・川崎尚子さん】
「もうレジェンド。佐賀でもそうだけど、道路交通情報センター全体においても本当に重要な人。ありがたい、直接指導を受けられる最後の人間になれたのは」
【日本道路交通情報センター佐賀センター 神邊教子さん】
「大型連休明けでまだ疲れがとれていない、すっきりしないという方もいらっしゃるでしょう。この時期、5月病も心配ですね。安全運転を続けるためにもしっかり休養をとって体調を崩さないよう気を付けましょう」
神邊さんの交通情報の代名詞といえば、この“安全広報”と呼ばれる呼びかけです。
【日本道路交通情報センター佐賀センター 神邊教子さん】
「金太郎飴じゃないし、録音じゃない、今だったらAIじゃできないよというような、うちしか知り得ない情報や自分でしか気づけないような」
常にアンテナを張り気づいたこと、感じたことプラスαとなる情報を原稿に盛り込みます。
【ラジオリスナー歴40年(60代)】
「季節によって言葉も変えられていたので、私たちのことを思って放送されているんだなと良く感じていた」
【ラジオリスナー歴40年(40代)】
「なんと言っても、季節柄の出来事とかを丁寧な言葉で伝えてくれるのはリスナー冥利にうれしく思う」
地震が起きたときは放送がなくても数分後にはセンターに駆けつけ、台風のときはこの場所で寝泊りすることも。災害時には泣きながら道路の状況を確認する人や渋滞で苛立っている人からの問い合わせに答えてきました。
神邊さんの引退はラジオリスナーにも衝撃が走りました。
【ラジオリスナー歴20年(50代)】
「ラジオを聴き始めて何十年にもなるが、ずっと聴いていた声だったのでちょっと残念」
そして迎えた神邊さんの最後の放送日。
【日本道路交通情報センター佐賀センター 神邊教子さん】
「日本一狭小のセンターと言われているところ。隣の(部屋の)警察からはすぐに情報が入るし、天気も身近に感じることができる。狭いながらもすごく良い職場だった」
【日本道路交通情報センター佐賀センター 神邊教子さん】
「じゃあ入ります。ちょっと早いけど」
Q意気込みをひとこと「プレッシャーかけないでよ。「いつものように平常心でいきたいと思います。いってきます」
【日本道路交通情報センター佐賀センター 神邊教子さん】
「悲惨な交通事故のニュースを耳にしない日はありません。どうぞ今一度交通ルールとマナーを守ること、考えてみませんか?そしてお互いに事故にあわないよう事故を起こさないよう気をつけたいですね。以上佐賀からお伝えしました」
【日本道路交通情報センター佐賀センター 神邊教子さん】
「達成感はないかも(笑)ちゃんと伝わっていたのかなとかお役に立てたかなと。でも精一杯やってきたかな」
これまでに担当した放送は約4万回。佐賀県の交通安全を強く願い44年あまりを全力で駆け抜けました。
【日本道路交通情報センター佐賀センター 神邊教子さん】
「交通安全はみんなの願いです。公共の電波で皆さんのお耳にかかることはもうないかと思いますが、いつも皆さんの交通安全を願っています。これまで本当にありがとうございました。道路交通情報センターの神邊がお伝えしました」
神邊さんの引退を聞きつけたラジオリスナーから40通ほどのメッセージが届いたということです。
神邊さんは5月いっぱいセンターで働いていて、年2回開催しいている朗読会を今後も続けたいとのこと。