4月29日は昭和の日です。2025年は1926年の昭和元年から100年の節目でもあります。
岡山・香川の100年を振り返ると、昭和20年までは戦争の時代でした。多くの一般の人が戦地に駆り出され犠牲となり、岡山や高松もアメリカ軍による空襲で焦土と化しました。
敗戦後、復興の道を進み、水島臨海工業地帯の開発による重工業化、山陽新幹線や瀬戸大橋の開通など地域経済は様変わりしました。
一方、修学旅行生ら168人が犠牲となった玉野市と高松市を結ぶ国鉄の宇高連絡船、紫雲丸の沈没事故や香川県の豊島での大規模な産業廃棄物の不法投棄事件など地域に暗い影を落とす出来事もありました。
昭和は64年で終わり平成、令和へと続きますが、経済の長期低迷、阪神淡路大震災、東日本大震災、そして新型コロナ禍など様々な出来事がありました。
世の中は目まぐるしく変化しましたが、市井の人たちは、どのように生きてきたのでしょうか。100歳となった総社市の女性を通して振り返ります。
「最相縫子、100歳です」
満面に笑みをたたえる総社市の最相縫子さん。昭和元年の前の年、大正14年2月生まれの100歳です。人生の花盛りとなる最相さんの青春は戦争の時代でした。
(最相縫子さん)
「これは兄が戦争に召集された時。空襲警報が鳴ったら防空壕に避難した」
日本は昭和20年に敗戦。戦後の混乱期を経て高度経済成長を遂げます。それをアピールしたのが、昭和45年に開かれた前回の大阪万博です。最相さんも万博を訪れたということですが…。
(最相縫子さん)
「昔のことだから覚えていない」
戦争の記憶とは異なり、戦後の記憶はあいまいなようです。
世の中が目まぐるしく変わる中、最相さんは足袋を扱う家業を継いだ後、洋服店で長年、勤務しました。
地域の中でたくましく生き、4人の孫とひ孫にも恵まれた最相さん。100歳の今、たくましさを感じさせる驚きの特技を披露してくれました。
それは、認知症防止のために数年前から始めた暗算です。問題はすべて自分で作り、電卓を使わずにすらすらと解いていきます。最近まで自転車にも乗っていたという最相さん。100年経ってもたくましく生き続ける。その秘訣を語りました。
(最相縫子さん)
「怒らないこと。ぐっと抑える」
怒らずに、そして穏やかに。その優しい笑みからは、激動の100年を生きた強さがにじみ出しています。
(最相縫子さん)
「1日でも人の手間を取らせないように、元気で動けたら」