107人が死亡したJR福知山線の脱線事故から25日で20年です。
兵庫・尼崎市の事故現場からFNN・入道楓記者が中継でお伝えします。
事故現場の跡に整備された「祈りの杜」では、25日朝から遺族や関係者が集まり、祈りをささげました。
2005年4月25日、JR福知山線の快速列車が脱線しマンションに衝突。
乗客106人と運転士が死亡、562人が重軽傷を負いました。
25日、事故が発生した午前9時18分ごろには、列車が現場付近をスピードを落として通過しました。
母を亡くした尾形麗さん:
20年はあまり関係なくて、ずっと止まっている感じがします。
事故は避けられなかったのか。
安全を問いかけ続ける遺族がいます。
上田弘志さん(70)は、2両目に乗っていた次男の昌毅さん(当時18)を亡くしました。
希望の大学に通い始めたばかりでした。
上田弘志さん:
今後そういうことがないように、世の中が変わっていける。悪かったねっていうのが言えたら一番いいですけどね。
なぜ息子が死ななければならなかったのか。
脱線事故の裁判もすべて傍聴し、納得できる答えを探し続けてきました。
事故から10年が過ぎたころ、昌毅さんの通学路や工事で様変わりする事故現場を映像に記録し始めました。
200時間を超える映像をJRで活用してもらおうと、今、編集を進めています。
上田弘志さん:
(社員に)質問しても、ひどい人は何人亡くなったかも分からない。その時の会社の様子も分からない。運転士がなぜあんな運転をしたかも分からない。誰も伝えてない。(映像が)ちょっとでも気が付く手助けになれば。
「同じ苦しみを誰も味わってほしくない」と、走り続けた20年。
息子を愛する思いは、変わりません。
JR西日本では事故後に入社した社員が7割を超えています。
教訓を継承し高い安全意識を持ち続けることが求められています。