三笠宮家の彬子さまが初めてラジオパーソナリティーを務めた「オールナイトニッポン」が21日夜に放送されました。
祖父・三笠宮さま、父・寬仁さまに続く親子3代にわたるラジオ出演で、皇族によるパーソナリティーは父・寬仁さま以来半世紀ぶりです。
彬子さま:
ごきげんよう、彬子女王です。今夜、オールナイトニッポンプレミアムで初めてのラジオパーソナリティーを務めることになりました。今から50年前、1975年に私の父・寬仁親王殿下も、ニッポン放送でオールナイトニッポンを担当されたことがあります。50年の時を経て、親子でパーソナリティを務めることになりました。
ニッポン放送開局70周年特別番組『彬子女王のオールナイトニッポンPremium』。
彬子さまにとって初めてのパーソナリティーは、「ごきげんよう」で幕を開けましました。
彬子さま:
「ごきげんよう」に違和感を覚えられた方もおられるのかもしれませんが、私実は「こんにちは」とか「こんばんは」をあまり言う機会がございません。散歩ですれ違う方に「こんにちは」とか「こんばんは」は関西弁ぽくは言えるのですが、(あまりここで「こんばんは」と)普段使い慣れない言葉を使うよりは、「ごきげんよう」の方が私らしいかなと思いまして。今回は「ごきげんよう」で進めさせていただきたいと思います。
ゲストの志の八さんが加わり、皇族ならではの呼称について、よくある誤解のエピソードを紹介されました。
彬子さま:
私一人では、少し不安もございますので、心強い助っ人アシスタントに来ていただいております。話すプロ落語家の立川志の八さんです。よろしくお願いいたします。
立川志の八さん:
ごきげんよう。
彬子さま:
ごきげんよう。
立川志の八さん:
いや、びっくりですね。びっくりですか、びっくりも、そうで、とうとうきましたね。
彬子さま:
ずいぶん前からお話してましたもんね。
立川志の八さん:
いや、とうとう実現しましたね。
彬子さま:
志の八師匠はちょんまげなんですけれども、本当にあのちゃんと月代をそってちょんまげにしてらっしゃるんですけれども、(リスナーには見えず)一番ちょんまげが生きないお仕事を回してしまいましたよね。
立川志の八さん:
そうですね。もう見ていただきたいんですけど、なぜかラジオと。いや本当にありがたいことですけども。
彬子さま:
よくお話しする時に「彬子女王は」って言われることがあるんですけれども、実は、女王というのは身位、身体、身分の身に位と書いて「身位」という、なので皇族のなんて言うんでしょう、ランク?
立川志の八さん:
はいはい。
彬子さま:
様々ある中で、親王、内親王、王、女王、とある中での「女王」で、敬称の部分は「殿下」なんですね。
立川志の八さん:
なんですね。
彬子さま:
なので、「彬子女王は」って言われると、実は呼び捨てになってしまうんですよ。
立川志の八さん:
皆さまお気を付けいただきたい。
彬子さま:
なんか時々逆に「女王殿下様さま」と言われたりすることもあるんですけど、それは二重敬称。
立川志の八さん:
そうか、だから、あの「殿下」が敬称なので、そうか、「師匠・先生」って言ってるような感じですね。
彬子さま:
そんな感じです。チゲ鍋みたいな感じになってしまうんですけれども。
事前に寄せられたリスナーからの質問にも応えられた彬子さま。
名字と名前をどのように記入するかとの質問に対し、呼称を巡って、イギリスのオックスフォード大学留学中のとっておきのエピソードも初めて披露されました。
彬子さま:
日本人の方が受付にいらっしゃったので、日本語でお話をして、私の名前がリストに載ってなかったので、「お名前載ってないですね」って。「とりあえずお名前頂戴してよろしいですか?」って言われたので、「彬子女王です」って申し上げたら、AKIKOってローマ字で書いたあと「『Joe』でよろしいですか」って言われて。「でしたらプリンセスでよろしいですか?プリンセス彬子にしていただけますか」って。
立川志の八さん:
矢吹ジョーのジョーってことですよね。彬子ジョーだと思ったわけですよね。
彬子さま:
「立つんだジョー」です。
立川志の八さん:
「立つんだジョー」になったという。いやー、面白い。「彬子さまのすべらない話」。
彬子さま:
「彬子さまのすべらない話」。
立川志の八さん:
面白いなあ。
彬子さま:
今までご披露してないお話をさせていただきました。では、この後、皆さんからいただいたメッセージを紹介していきたいと思っております。送っていただいたリスナーの方々、楽しみにしていただきたいなと思います。そして、今、リアルタイムで番組をお聞きの皆さま、ツイッターでも番組の感想をぜひつぶやいてください。ハッシュタグは彬子女王の「ANNP」です。「PPAP」みたいですよね。
立川志の八さん:
まさかあきこさまの口からハッシュタグ?これ、オールナイトニッポンプレミアムの略ってことですね。
彬子さま:
そうですね。それでは、彬子女王のオールナイトニッポンプレミアム。この後、夜8時までお送りいたします。「彬子女王のオールナイトニッポンプレミアム」この後、夜8時までお送りします。
また、プリンセスの意外な日常についても明かされました。
立川志の八さん:
コンビニとか行かれるんですか?
彬子さま:
行きますよ。
立川志の八さん:
なんかメッセージいただいた中にもありますけど、100円ショップとかにも行かれるんですか?
彬子さま:
100円ショップ行ったりもします。
立川志の八さん:
あ、そうなんですか。
彬子さま:
結構キッチングッズは100円ショップで買っているのが多いかもしれないです。
立川志の八さん:
そういうイメージ全くないですからね。
彬子さま:
菜箸とかゴマをするすりこぎ、タオルかけるためのフックとか、ああいうものは。
立川志の八さん:
普通ですね。こう私が申し上げるのもなんですけども、京都にいるときは、家事されるんですか?
彬子さま:
してます。
立川志の八さん:
彬子さまがお食事作るんですか?
彬子さま:
はい、ご飯作って。
立川志の八さん:
ええ~~ちなみに、レシピというか、レパートリーは?
彬子さま:
和食が多いとは思いますけど、人に出してみんな褒めてくれるのは、「キーマカレー」。
さらに、小学生の頃から交流がある同じ年の歌舞伎俳優・中村勘九郎さんが加わると、勘九郎さんが「師匠」だという共通の趣味の話題で話に花が咲きました。
彬子さま:
私の漫画師匠が、神戸智行先生っていう、日本画の先生と勘九郎さんで。
立川志の八さん:
おー、そうだったんですか。
中村勘九郎さん:
とんでもない。
彬子さま:
で、勧めてもらうのを読んでるうちに取りつかれるようになってしまって。あの「キングダム」を最初に面白いよって言ってくれたのが勘九郎さんで、私、立場上、あまり、この漫画が面白いとか好きだとか、言えないんですけど、「キングダム」に関しては、あの映画のキングダムの映画の監修をされている。私の学習院時代の恩師の鶴間和幸先生が、「彬子さまキングダム読んでるよ」って言ってしまったので。
立川志の八さん:
言っちゃったの、それ一番言っちゃいけない人ですよね。
中村勘九郎さん:
そうなんですね。
彬子さま:
言っちゃったので、もういいかなと思って。「キングダム」の話をしてた時に、「もう老若男女関係なくどの役でもできるって言われたら何やりたい?」って聞かれて。なんかこう絞り出すように、確かなんか「『霊凰(れいおう)』かな」と言ったら「え、え、でも、すぐ死んじゃうじゃん」みたいな。だから、その演じたいと思って考えたことは1回もない。
中村勘九郎さん:
もう、その頭なんですよ、僕は。常に何をやりたいかっていうので読んでたりするので、ついついお聞きしてしまったんですね。
また、ベストセラーとなった留学記『赤と青のガウン』。
オックスフォード大学留学当初、英語も思うように話せず味わった深い孤独や、その苦悩を救った奇跡のような出会い、”魔法の言葉”についても明かされました。
立川志の八さん:
帯でしたっけ?
彬子さま:
はい。「生まれて初めて一人で街を歩いたのはオックスフォードだった。日本ではなくオックスフォードだった」。
立川志の八さん:
あれ素晴らしい言葉ですよね~、素晴らしい言葉って言ったらあれですけど、え、そうなんだ、と。
彬子さま:
やっぱり、生まれて物心ついた時から側衛が一緒にいるというのは当たり前と思って育ったので、どこに行く時も一緒ですし、側衛がいない生活をするのが当然初めてだったので、その側衛がいなくなって、完全に一人でおまけに外国で、言葉もそんなに通じない中で、一人になるっていう経験は本当に心細かったですね。最初の時。で、その時にたまたま同じ寮の下に住んでいる(イギリス人の)友人がお茶をしてるから、飲みに来ないかって言ってくれて、行けるような精神状態ではなかったんですけども、せっかく声かけてくれたしと思って降りまして。「よく来たね」って言ってそこでお茶を飲ませてくれて、「もう今の一年生はしゃべれるのが早すぎて、僕もわかんなかったりするよ」とか言いながらすごく温かく迎え入れてくれまして、それでなんかすごくホッとしたんですね。このつらかった留学生活ができたのは、あのオリエンテーリングの夜のおかげだったっていうことを、今度会ったらベネディクトに伝えたかったと。英訳してこういうことが書いてあるんだっていうこと伝えましたら、その時に「書いてもらえたのがすごくうれしい」っていうことと、「あの時、自分は3年生の最後の卒業試験っていうのがあって、覚えているかどうかわからないけど、ものすごく不安で、もうすべて自分がこの生活をダメにしちゃうんじゃないかと思って、パニックになっていた時だったんだけれども、彬子と知り合ったことによって、いろいろ話ができるようになって、なんか少し落ち着いて、僕は3年生の時の試験を頑張ることができたんだ」と「なんかお互いに魔法をかけ合うような出会いだったのかもしれないね」っていう返事を。
立川志の八さん:
そんなこと言えます?いや、素晴らしいですね。
彬子さま:
うれしかったですね。
立川志の八さん:
同じように外国へ行って、不安で心細くってってという方に、ぜひ読んでいただきたいですよね。
彬子さま:
途中で街でお会いするような方も、娘さんが留学するので読ませました。とかって言ってくださる方がいらっしゃって。
親子3代にわたるラジオ出演となった今回の放送では、1966年の祖父の三笠宮さまや、1991年に父の寬仁さまが出演した際の貴重な音源も紹介され、彬子さまが亡きご家族に思いをはせられる場面もありました。
彬子さま:
お聞きいただきまして、ありがとうございました。普段の私に近いような言葉でずっとお話ししてしまいましたので、大丈夫かしらと思いつつ、終わりに向かっておりますけれども、今日の放送をお聞きいただいて、楽しんで、私が面白いと思っていることを皆さまも楽しんで面白いと思ってくださっていたらいいなと思っております。皆さま、最後までご清聴ありがとうございました。オールナイトニッポンプレミアム。お相手は彬子女王でした。ごきげんよう。また、いつか。
2時間にわたる放送は「ごきげんよう、また、いつか」というフレーズで締めくくられました。
収録後、彬子さまは父の寬仁さま以来半世紀ぶりに皇族としてパーソナリティーを務めた感想を率直に明かされました。
彬子さま:
初めてすることですのでどんなものが正解なのかも分からずお話ししましたけれども、どんなお話だったら皆さんが面白く聞いてくださるかなっていうのは色々考えました。ちょっとプレッシャーになったというようなところはあったんですけれども、実際にお話してみたら、お2人が聞いてくださっていたというのもあって、そのあたりはリラックスしてお話できたかなと思います。(次回は)また何か機会がありましたら、あるかもしれません。