1枚の写真から街を再発見!兵動大樹の今昔さんぽ。

■「大阪・関西万博」会場から、兵動さん散策スタート

「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマにした、EXPO2025大阪・関西万博。4月13日から半年間、大阪市の夢洲で開催されています。

世界各国の文化を紹介する海外パビリオンや、仮想現実のバーチャルな体験ができるパビリオンなど、本当に未来を感じることができます。

世界中の人を迎えるために、大阪メトロでは夢洲駅が完成。万博に向けて、モバイル充電ができるエリアなどを設けた新車両も多数導入されています。さらにインバウンドの増加を見据え、夢洲以外の駅のリニューアルも行っています。天保山に近い大阪港駅は「鯨」をイメージしたデザインで、天井は鯨の骨格に見立てられています。

■大屋根リングならぬ「昭和のリング」が写った写真

さて、今回探索する写真は、1961年(昭和36年)に大阪市で撮影された、かわいらしい遊園地の写真です。

右側には円形の建物があり、大屋根リングならぬ「昭和のリング」なのでしょうか。

準備中の万博会場で聞き込みするわけにはいきませんので、天保山へ移動。天保山は大阪の中でもインバウンドで盛り上がっているエリアで、目玉スポットの「海遊館」は、とある調査で外国人から最も人気のある日本の水族館に選ばれています。

天保山公園に桜を見に来ていたご夫婦に、写真のことを聞いてみると、「ここにあった遊園地。なくなってマンションができたんや」と言います。公園のすぐ向かい側、天保山第五コーポの場所に、かつて遊園地があったというのです。

また天保山は昭和の時代までは、大阪における国際貿易の中心地としてにぎわっていて、街には外国人向けのバーが立ち並んでいたのだそうです。

■「遊園地」遊びに行ったことがある人や建設時にペンキを塗った人に会う

情報を集めるため兵動さんが飛び込んだ「乃なか」は、戦後間もない頃から営業を続けるレトロ感抜群の大衆食堂です。

おかみさんによると写真は「みなと遊園」という遊園地で、円形の建物はレストランだったそう。

遊びに行ったのはもちろん、円形の建物からレストランが撤退したあと、そこで叔父さんがカレー店を始めたので手伝いに行ったのだそうです。

記録によると、みなと遊園ができたのは1961年4月。同年に中央線が開通し、大阪港駅が開業したこともあり、当初は大変なにぎわいだったようですが、長くは続かずに8年で休園となりました。

「ヒットインテリア」という工務店のご主人が“街の生き字引”みたいな存在なのだということで、会いに行きました。

ご主人は現在83歳で、みなと遊園建設時には、ジェットコースターの橋脚のペンキを塗ったといいます。みなと遊園ができる前は「広っぱ」だったそうです。

写真の撮影ポイントを推測することができる、みなと遊園の平面図も見せてくれました。

【兵動大樹さん】「この界隈、いまもにぎわっていますけれど、第一歩として遊園地ができたということです。どんどん進化して、天保山の観覧車はずいぶん大きくなりましたね」

▼兵動さんの今と昔を探る旅の全ては、動画でじっくりお楽しみください。
https://youtu.be/KCkwg1HJTps

(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」 2025年4月11日金曜日放送)

関西テレビ
関西テレビ

滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山・徳島の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。