能登地方の5ヵ所を継続的に取材し、人々の暮らしや心の動きを追うシリーズ企画「ストーリーズ」今回密着したのは、志賀町の「町立富来病院」だ。

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院長が2年間不在だったこの病院に、能登半島地震発生後の2024年春、金沢から新しい院長がやってきた。病棟が被災し、現在も病棟の半分が使えない中、地域の医療を守ろうと奮闘する院長を通して、病院の現状を見つめていく。

高齢化が進む町富来町

志賀町にある町立富来病院は、この町唯一の入院ができる公立病院だ。高齢化が進む奥能登に位置する富来町の病院も、患者の多くが高齢者だ。

富来病院は元日の地震で94あった病床がすべて損壊し、入院していた72人の患者は行き場を失ってしまった。地震発生から10ヵ月経った今、病棟は半分が仮復旧したが、残りの半分は今も機能していない。

取材に伺った富来病院に、復旧できていない病棟を見つめる1人の男性がいた。

「だいぶ片付きましたよね。ひどいときよりかは」
そうカメラの前で語るのは、院長の竹村健一医師。竹村さんは、地震から3ヵ月後の4月に、金沢市の県立中央病院から赴任した新米院長だ。

私たちは竹村院長の診察にお邪魔させてもらった。

来院した高齢の女性に竹村院長は明るい声で話しかけ、診察をしていく。

富来病院 院長 竹村健一医師:
こんにちは。あれからどうですか。夜眠れてます?

女性は「眠れているけれど、ちょっと動悸が…」と答えた。つつがなく診察は進み、女性が診察室を後にする。

診察を終えた竹村さんは、パソコンでカルテを書きながら「お元気でしたね」と、カメラマンに話した。

竹村院長は、院長業務の傍ら週に4回は内科の医師として外来や検査、週に1回は当直を担当している。かなり忙しいスケジュールだ。

震災後 当たり前の医療が提供できないもどかしさ

この日、富来病院に訪れたのは古坂さん88歳。
心配そうな表情の妻と共に、竹村さんの診察を受ける。古坂さん本人はどうやら病院が苦手なのか、進んで口を開こうとしない。
「医者いかなだめやっていうのを、痛くないって来なかったんや。そしたらだんだんみるまに腫れて…」
古坂さんの妻の言葉に、竹村院長が腫れた手を診る。

竹村院長:
手もこっちだけ腫れてますね…

左手が、明らかに反対の手より大きく腫れている。足も同じようにむくんでいた。診察を続けると、1ヵ月前から手足のむくみがあったと古坂さんは話す。
地震の影響で、毎年受けていた町の健康診断を今年はまだ受けられていなかったようだ。

竹村院長:
むくみの原因がどこから来ているのか検査してみたほうがいいかなと思う。

検査の必要性を感じた竹村院長がそう伝える。
古坂さんは、古坂さんは「わしゃ入院したくない」と首を横に振ったが、2人で暮らす80代の妻は何とか古坂さんが入院できないか、竹村院長に頼み込む。自分自身も体調がすぐれないためだ。

竹村院長:
そうそう…入院ですが、ちょっと今ね病院がね、病棟が地震で壊れて半分しか使えんのでベッドがぎりぎりなんです。なんとか入院できるようにしたいんですけど…

竹村院長も精密検査の必要性を感じていたが、病棟は半分しか使えないため、ベッドは常に満床の状態だった。すぐに「入院して精密検査を…」と提案できない歯がゆさを感じながらも、看護師がベッドの空きを確認していく。

しばらくして、ベッドにちょうど空きができるため、入院ができると返事があった。

竹村院長:
大丈夫?それなら入院しようか。お部屋大丈夫やってお母さん。

安堵する妻と打って変わって、入院は嫌だと首を横に振り続ける古坂さん。竹村院長は、古坂さん夫妻が帰ってからカメラマンに「入院したい人はあまりいませんからね…」と言葉をこぼした。

今回は運良くベッドが空いたため、古坂さんは入院できることとなった。しかし、入院が必要でも断らざるを得ないケースもあると竹村院長は言う。

竹村院長:
やっぱり地元の病院でできることはしてあげたい。でもお部屋がなくて入れないのはしんどい、しんどいというか申し訳ない。地域の病院としての役割を果たし切れていないのがちょっと僕の今の一番の葛藤です。

地域医療に携わる者としての思い

以前奥能登に勤務した経験から、いつかは地域医療に携わりたいと考えていた竹村院長。
富来病院が院長のなり手を探していることを知り、自ら手を挙げた。
カンファレンスでは、富来病院を支える医師の一人として、積極的に看護師たちと情報や意見を交換していく。限られた設備の中で、患者の些細な変化を見逃さないようにするためだ。

また、週に1度は院長の竹村さん自ら訪問診療も行う。
通院が難しい患者の家へ行き、家族ともやり取りをしながら診察をしていく。

竹村院長:
なかなかないじゃないですか、病院で患者さんのご自宅の生活背景まで、見させていただく機会ないですもんね。

1軒の診療を終えて、移動中の車内でカメラに向かってそう語る竹村さんの言葉に看護師さんが頷く。

年を取ることで、どうしても生じる衰え。
地震で生活環境が変わったことで、生じてしまった体調の変化。

そのどちらにも、すぐに診察を受けることができる地域医療の助けが必要だと、富来病院の医療従事者たちは考えていた。

竹村院長:
いつかどなたも最期を迎えるときがくる。そういったときに生まれ育った町で地元で少しでも穏やかに最期を迎えられるお手伝いを医療の面からしていきたいんです。

避けられない収入減

ただ、富来病院には今どうしようもできない課題があった。入院できる病床数が減ったことで、収入は激減したのだ。今年度の収支は少なくとも2億円以上の赤字を見込んでいた。

復旧工事の設計図を見せてくれたのは笠原雅徳事務長。「ピンク色が全部病床。病床も全体に復旧したい」

費用は国や県の補助金ですべて賄えるわけではないため、借金をしての復旧工事となる。

笠原事務長:
まず病床を復旧しないと。病院の経営自体も、地域医療を担う病院としても患者のニーズにこたえていかなきゃいけないうえで、病床の復旧は最重要課題で早々に復旧したいと思っております。

入院ができなければ、必要とされている医療も提供できず、病院を経営するうえでも収益が見込めない。地域医療を守るためにも、負の連鎖が生じ続けるこの状況を打破したい…という強い思いを感じた。

順調にいけば、富来病院の復旧工事は2024年11月中には工事業者が決まり、2025年3月には復旧できる見込みだ。完全復旧までは、先は長い。

頼ることができる「地域の病院」であり続けること

精密検査が必要と言われていた古坂さんが、入院するために富来病院にやって来た。この日は妻だけでなく、金沢から来た娘も付き添っている。以前外来で竹村さんの診察を受けた際、かたくなに入院を拒んでいた古坂さんが入院を了承した決め手は、娘の説得だったという。

古坂さんの妻が心配そうに、身の回りの物を入れたカバンを看護師に預ける。
「しょっちゅう水飲むひとやから、ここに全部コップやらはいっとるさけ…」
娘がその様子を見て「看護師さん全部見てくれるから」と、母の心配を和らげるように声をかけた。

娘さんにインタビューをすると、入院を決めるまでの一部始終を話してくれた。

「今朝まで説得して、一応すぐ帰れるから。2~3日って言って入れた。途中で怒るかも。入院も嫌やっていうけど、母親の方も都合悪くなるので」

その言葉に、古坂さんの妻も「入院出来て安心した」と語った。

離れて暮らす娘だからこそ、高齢で自分も体調がすぐれないからこそ。大切な家族の体調が悪いとき、地域の医療機関に頼りたい。
当たり前だったことが、当たり前ではなくなってしまった震災後だからこそ、強くそう感じた。

精密検査の結果、古坂さんは肝硬変と診断され治療を続けている。

竹村院長:
地元に暮らす方にとって、入院できる病院があるかどうか、暮らしにとっては安心感が違うと思う。地域の病院が提供するのはそういうところが大事。

地域の人が困ったときに頼ることができる場所であること。
それが富来病院の役割だ。

(石川テレビ)

石川テレビ
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