ロシアによるウクライナ侵攻が始まって2年。日本に避難し働いている人は戦争に関係なくウクライナを知ってほしいという。現地の日本人は、あえて戦争の話はしないと語る。今、私たちにできることという問いに対する答えには共通したものが感じられた。

社会人生活も順調に過ごすウクライナ人

鹿児島市にある総合食品卸会社・西原商会を訪ねた。

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「西原商会のカテリナと申します」とすてきな笑顔で出迎えてくれたのは、ウクライナの首都キーウ出身のカテリナ・グレバさん(23)。2023年4月から働いている。会社では、広報担当として展示会のスケジュール調整やポスターのデザインなどを手がけている。

「『いらっしゃいませ』『業態は何ですか』とか明るく話ができるので楽しい」と笑顔で話すカテリナさん。仕事は順調なようだ。

鹿児島テレビが彼女を最初に取材したのは福岡の大学に通っていた2023年。ロシアによるウクライナ侵攻直後に避難民学生として入学していた。この時点ですでに鹿児島での就職が決まっていて「一番の心の理由は日本に住みたい」からと語っていた。

念願の日本での就職。約1年間社会人生活を経験したカテリナさんは、仕事に、プライベートに充実した日々を送っている。
職場の同僚も「すごく真面目な子なので、いつも笑顔と元気いっぱいです」と高く評価する。

ウクライナ侵攻から2年…周囲との温度差が

カテリナさんの日本での暮らしは確実に前進している一方、祖国の現状はむしろ後退している。ウクライナ軍の反転攻勢は思うように進まず、ウクライナにとって厳しい局面が続くとみられる。

多くの市民が犠牲になり、建物が破壊される祖国の状況についてカテリナさんは1年前「ウクライナについてあまり情報は調べていない。きついことだから。情報を見たら本当に悲しくなる」と話していた。

いまだに家族とも会えず、つらい状況は変わらないが、あれから1年が経過し彼女の心境には変化が生まれていた。

カテリナさん:
ウクライナの政治とかについて興味を持ち、色々見て、読んで聞くようになった。

ふるさとウクライナへの興味を持てば持つほど今、カテリナさんが感じるのは周囲との温度差だ。

カテリナさん:
もう2年たって、なんかビッグニュースじゃなくなって、みんな知っているので、もう慣れた感じです。恐ろしいことは日常生活になってしまって

現地に住む日本人「戦争が始まったと感じた」

戦争を受け入れて生きていかなければならない現状。現地に住んで22年の日本人・中村仁さん(56)にオンラインで話を聞いた。

現地は午前9時。よい天気だ。カメラ越しの街並みはおだやかに見え、建物も新しい感じだが中村さんは「(建物を)壊されたらすぐに直すといういたちごっこのところもある」と生々しい実情を説明した。

学生時代パワーリフティングの選手として海外を飛び回る中で、語学を学ぶためにウクライナに留学した中村さん。ウクライナ日本センターに就職し、日本文化を伝える活動を続けている。

2年前について中村さんは「まず24日の朝4時とか5時ぐらいに大きな音がして(戦争が)始まったというのは感じた」と振り返った。その日から戦争が日常の一部になった。さらに…。

中村仁さん:
前線でけがをした兵士、手や足がなくなったり、そういった人たちを見るにつけ、兵役に出ている方々の犠牲の上に街の安定があるということを、たびたび思い返しています

友人や家族同士で、戦争の話はあえてあまりしないという。「今後どうなっていくか分からないことでもあるし、そのことを話題に出していくよりむしろ日々の仕事とか日常のことを話すことの方が多い」と中村さんは話す。

かつてパニック状態だった街でも、今は戦争の話はしない。この2年で戦争の受け止め方も変わったようだ。

「ウクライナにはすてきな服や歌がある」

日本にいる我々にできることは何かあるのだろうか。中村さんに聞いた。

中村仁さん:
忘れずにいていただけるのが一番大きいんじゃないかと思う。日本でも能登半島地震の問題とかあって大変だと思う。その中で、折につけて思い出してもらえたらありがたい。

日本で働くカテリナさんにも「鹿児島の私たちに一番伝えたいことは何か」と聞いてみた。

カテリナ・グレバさん:
ウクライナにはすてきな服や歌がある。見て聴いてもらえるとうれしい。ウクライナを、戦争に関係なく普通の国として考えてほしい。ロシアとの関係ではなく、ウクライナとして本当に考えてほしい

ロシアのウクライナ侵攻から2年。暗闇の向こうの光を信じて、ウクライナを忘れないでほしいと関係者は願っている。

(鹿児島テレビ)

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