埼玉県蕨市で起きた拳銃使用の銃撃事件・立てこもり事件は世間を震撼(しんかん)させた。
鈴木常雄容疑者(86)は、指定暴力団の元構成員であったと報道されている。

元警察官としての経験から、事件の背景とみられる“失うものがない人”と、市民生活に潜む拳銃の問題について考える。

86歳高齢被疑者による拳銃使用事件の衝撃

86歳という高齢の男による犯行は、自らが住んでいたアパートの放火に始まる。関係者によると、アパートは取り壊し予定で、立ち退きを迫られていたという。

2日に送検された鈴木常雄容疑者
2日に送検された鈴木常雄容疑者
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犯行時には拳銃に加え、刃物2本、液体の入った容器やペットボトル2本などを所持していたとされ、鈴木容疑者は液体について「ガソリン」と説明している。犯行時には警察官に対し、「ガソリンあるからな」と放火をほのめかしていたという。

本件の犯行時間は社会活動が活発な日中であり、郵便局に立てこもった時点で、逃亡することは念頭にないと思われる。

立てこもりの際には、容疑者が心理的に激高した場合などに、逮捕後の自身の処遇などは気にせず、人質を射殺したり人質を巻き込んで自ら命を絶つことも想定される。立てこもり現場での交渉は難しいものであっただろう。

鈴木容疑者は動機について、事件前に郵便局員と交通事故を起こしており、「郵便局員と話がしたかった」という趣旨の話をしているという。

また人質のうち1名が鈴木容疑者の目を盗んで逃げた(警察の指示があった可能性もある)ことから、計画的でありながら人質に逃げられるという落ち度も見せている。“計画性”と“短絡的・激情型”といった矛盾する性質も見せている。

郵便局と病院の対応への不満が動機か
郵便局と病院の対応への不満が動機か

また、診察への不満から診察室に向け外から銃撃している件については、診察室は通常外から中の様子は鮮明に見えず、すりガラスが使用されており、被疑者は特定の医師を狙撃したというよりは、窓ガラスを撃って脅したかったといった意思があったのではないかと推察する。

いずれにせよ、これまで報道されている鈴木容疑者の動機につながる「病院の対応への不満」、「郵便局員との交通トラブル」で、こうも重大な事件を引き起こすのかという、容疑者の短絡的かつ激情的な行動は衝撃的だ。

本件、鈴木容疑者の年齢や境遇を考えてみても、昨今日本社会を震撼させる凶行事件の多くが「失うものなどない」背景を持つ犯行であると考える。

また、立てこもりといった人質事件では、被疑者側も警察の動きを知りたがる。

メディアは現場の警察官の配置や部隊召集の状況や展開に関する情報については、一切報じるべきではない。今回は、人質立てこもり事件や誘拐事件で犯人と交渉するプロ集団である警視庁のSIT・捜査一課特殊班が召集された。

仮にそれを被疑者が知った場合は、感情に起伏が生じ、人質に危険が及びかねないためだ。今後、人命や尊厳に関わる重大な事件における報道姿勢は、メディア内で厳格に統制すべきである。

行き場をなくす高齢化した元暴力団員

鈴木容疑者は、元暴力団員との情報があり、周囲の住民に入れ墨を見せびらかすこともあったというが、暴力団を辞めて通常の社会生活に戻れるかというと、実情はなかなか難しい。

自治体や警察、NPO団体などの元暴力団員の社会復帰を支援する取り組みによって、なんとか社会復帰がなされているのが現状だ。そういった支援がなければ、就職先が見つからず、体力仕事や元の世界に戻っていくこともある。

しかし、高齢化してしまった元暴力団員は体力仕事も厳しく、元の世界にも戻れず、場合によっては生活保護を受給することになる。生活に困窮し、自暴自棄になったり、3食付きの刑務所に戻りたがるといったケースもあり、「失うものはない」状況に陥りやすい環境となっている。

使用した拳銃の入手ルートは

今回鈴木容疑者が使用した拳銃は、報道の映像からはトカレフであったと思われる。旧ソ連で作られたトカレフは、暴力団が密輸し、使用するいわば暴力団御用達の拳銃であるが、その多くはソ連製ではなく、中国製やコピー生産されたものである。

鈴木容疑者は拳銃の使用に関する知識はあったか
鈴木容疑者は拳銃の使用に関する知識はあったか

鈴木容疑者はビニール製の紐(ひも)のようなものを拳銃につけていたが、拳銃の脱落や盗難、紛失防止を目的とする「吊り紐(ランヤード)」のように使用しており、ある程度拳銃の使用に関する知識はあったように見えた。

入手ルートについては、暴力団現役時から長期間にわたって所持していたのではないかと推察する。

鈴木容疑者は、1992年に施行された暴力団対策法に基づく組員指定はないが、それ以前に暴力団と交友関係にあったという話もある。

現役暴力団員や元暴力団員幹部であれば、国内入手ルートの伝手がありうるだろうが、鈴木容疑者の年齢を見るに、暴力団を退いて一定の年数を経過しているとみられる。暴力団との関係も古いものであり、近年での入手ルートへの接触は難しいと推察する。(これは鈴木容疑者の交友関係や現役時の役職、暴力団を退いた時期などが判明しない限りは断定できない)

警察が力を入れる拳銃の押収

鈴木容疑者は、拳銃を持っていると周囲に自慢げに話をしていたとFNNは報じている。鈴木容疑者が長期間にわたり拳銃を所持していた場合、周囲の住民にとっては恐ろしい状況であっただろう。

警察庁の「日本の銃器情勢(令和4年度版)」によれば、令和4年における拳銃の押収丁数は321丁(前年比+26丁)で、このうち暴力団の管理と認められる拳銃は34丁(前年比+3丁)。

拳銃および拳銃部品等の密輸入事件の検挙については、近年2~6件。(日本で押収される真正拳銃の大半は外国製)となっており、拳銃の押収件数は増加しているが、中には亡くなった家族の遺品から拳銃が発見されるケースもある。

警察では、拳銃に関する情報提供によって、拳銃やその他の銃器等が押収され、かつ、被疑者検挙に至った事案を対象として、報奨金を支払う制度「拳銃110番報奨制度」を運用するなど、銃器の押収に力を入れている。

本事件では、鈴木容疑者が拳銃を持っていると周囲に話をしていたことから、地域で端緒なる情報は存在していた。しかし聞いた人は、おそらく「まさかウソだろう」「危なっかしい高齢男性の戯言」などと判断したのではないだろうか。

地域の情報提供は、警察活動において極めて重要である。例えばテロの端緒情報では、地域からの情報提供が実際に重大なテロの未然防止につながった例もある。

もし周辺で拳銃に関する情報があれば、積極的に警察に提供すべきであり、「地域の目」で社会を守ることにつなげてほしい。

拳銃110番報奨制度:0120-10-3774
報奨金は、通報により拳銃その他の銃器等が押収され、かつ、被疑者の検挙に至った事案を対象としている。実名による通報の場合には、その金額は、通報により拳銃が1丁押収された場合に10万円が目安となっている。

稲村 悠
稲村 悠

日本カウンターインテリジェンス協会代表理事
リスク・セキュリティ研究所所長
国際政治、外交・安全保障オンラインアカデミーOASISフェロー
官民で多くの諜報事件を捜査・調査した経験を持つスパイ実務の専門家。
警視庁公安部外事課の元公安部捜査官として、カウンターインテリジェンス(スパイ対策)の最前線で諜報活動の取り締まり及び情報収集に従事、警視総監賞など多数を受賞。
退職後は大手金融機関における社内調査や、大規模会計不正、品質不正などの不正調査業界で活躍し、民間で情報漏洩事案を端緒に多くの諜報事案を調査。
その後、大手コンサルティングファーム(Big4)において経済安全保障・地政学リスク対応支援コンサルティングに従事。
現在は、リスク・セキュリティ研究所にて、国内治安・テロ情勢や防犯、産業スパイの実態や企業の技術流出対策などの各種リスクやセキュリティの研究を行いながら、スパイ対策のコンサルティング、講演や執筆活動・メディア出演などの警鐘活動を行っている。
著書に『元公安捜査官が教える 「本音」「嘘」「秘密」を引き出す技術』