沖縄戦から75年…未だ戻らない遺骨

沖縄戦から75年が経っても未だ多くの遺骨が家族のもとに帰れていない現実がある。
遺骨収集団体「ガマフヤー」の具志堅隆松代表は38年間にわたって地中に眠る犠牲者の無言の叫びに耳を傾けている。

戦後75年の慰霊の日。平和の礎で戦没者遺骨とのDNA鑑定を呼びかける具志堅隆松さん(66)。

ガマフヤー・具志堅隆松代表:
返したいですね、ご遺族に。次の世代のことを考えると我々はやるべき事があります

遺骨を探しはじめ38年

28歳の頃から戦没者の遺骨収集を始めた具志堅さんは、2020年も激戦地となった場所を駆け巡り、遺骨を探し続けている。

この日訪れたのは糸満市喜屋武の山中にある小さなガマ(自然洞窟)。

ガマフヤー・具志堅隆松代表:
アメリカ兵が中に手りゅう弾を放り込んでいるんですよ。(手りゅう弾の破片が)2つ出ました。アメリカ軍が攻撃したくなるような状況があったんでしょうね

収集を始めたきっかけは戦後、本土から来た遺骨収集団の活動を手伝ったこと。

ガマフヤー・具志堅隆松代表:
「本当に自分がやっていいものなのか」という思いは残っていたんですけどね

おぼつかない足取りの年配の遺族が必死に肉親の骨を探す姿に胸を揺さぶられ、収集を続ける決心をした。

ガマフヤー・具志堅隆松代表:
これはこの前掘りだしたものなんだけど…バラバラになった遺骨

遺骨を見つめながら生前どんな人だったのか思いをはせる。

ガマフヤー・具志堅隆松代表:
女性だと思われます。小さいんですよ、一人分の人骨。本当はもっとあれば(情報が)分かるんですけど。すみません、もっと探しますのでもう少し待ってください

具志堅さんは沖縄大学の特別研究員として国の内外の事情も調査している。

遺品がなくてもDNA鑑定で

ガマフヤー・具志堅隆松代表:
どうにかして見つかった遺骨を家族のもとに返すことをやってくれないかということで調べているうちに、アメリカではDNA鑑定をやっているということが分かって。日本もそれをやってくれと要請したんですよ

国は「高温多湿な沖縄は遺骨の劣化が早く十分なDNAが採取できない」として沖縄での戦没者遺骨のDNA鑑定には消極的だったが、2011年に一体の遺骨の歯のDNAの鑑定を行った結果、家族のもとに返せたことをきっかけに、沖縄でのDNA鑑定が少しずつ進んでいく。

3年前には、これまで軍人などの遺族に限られていたDNA鑑定の対象が一般の住民にも広がることになった。

しかし、これまで696家族が、DNA鑑定の申請をしたのに対し返還が実現したのはわずか5件で、その全てが遺骨とともに名前がわかる遺品が見つかったケースのみだった。

具志堅さんはDNAの適合状況を遺族に明示し、遺品が無い場合でも遺骨を返還できる仕組みが必要だと感じている。

ガマフヤー・具志堅隆松代表:
結局遺品が無いと帰れないんですか?遺族の方に「これぐらいのDNA一致の出具合が出ています。この遺骨を返還して良いですか?」というふうに。外国の基準だとどうなんだろうと調べてみないといけない

戦後75年の2020年、具志堅さんはあることに懸念を強めている。

ガマフヤー・具志堅隆松代表:
沖縄防衛局が辺野古の埋め立てに使う岩ズリを北部だけでなく南部も。こういう石灰岩があるような地域からも採取するということを県に申請しているんですよ

これまでの辺野古の移設計画では、埋め立て用の土砂の採取地域は北部・国頭地区のみとされていたが、沖縄防衛局が2020年4月に県に提出した設計変更の申請では、南部地区の土砂を採取することが追記されていた。

2014年に沖縄防衛局が、糸満市の採石場を調査していることから、具志堅さんは未だ多くの遺骨が地中に眠る糸満から土砂を採取されるおそれがあると指摘する。

ガマフヤー・具志堅隆松代表:
戦没者は亡くなって遺骨を収容してもらえないばかりか、その遺骨を岩と一緒に砕いて埋め立てに使われるというのは、どう考えてもあり得ない

探し続ける具志堅さんの思いとは

県内には今もなお地中に眠ったままの遺骨が、2790柱もあるとされる。
遺骨を探し続ける具志堅さんの思いの根底にあるものとは。

ガマフヤー・具志堅隆松代表:
戦争で亡くなった人たちと向かいあって、それを現代に活かして、次の世代の子どもたちに平和な時代を譲り渡すというか。子どもたち、孫たちのためにもわれわれが今頑張る必要があると思っています

具志堅さんの遺骨収集は、戦争で犠牲となった一人ひとりが生きた証である遺骨を探し出すことで、今の平和な世の中の尊さを私たちに伝えている。

(沖縄テレビ)