沖縄戦から75年。2020年も沖縄・糸満市摩文仁にある平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われた。

2020年は新型コロナウイルスの影響で、規模の大幅縮小が決まる中、主催する沖縄県は会場を例年の広場から同公園内にある国立戦没者墓苑に変更する方針を示し波紋が広がった。
沖縄戦が辿った歴史から紐解く。

沖縄全戦没者追悼式の場所を県が変更

新型コロナウイルスの緊急事態宣言が出ていた5月15日。
慰霊の日の沖縄全戦没者追悼式を沖縄県は従来の広場ではなく国立沖縄戦没者墓苑での開催を決めた。

ーー例年と違って国立戦没者墓苑ということですが、これはどういった意図が?

玉城知事:
この場所で追悼式を行うことで亡くなられた方がへより深く追悼の意を表すことができる

“国家の施設”での追悼式に異を唱えたのが沖縄の有識者たちだった。

沖縄全戦没者追悼式のあり方を考える沖縄県民の会・知念ウシさん:
国家が引き起こした戦争に巻き込まれて肉親を亡くした県民の感情とは、相いれないのではないでしょうか

国立沖縄戦没者墓苑の歴史

国立の墓苑とはどのような施設なのか。
1979年に創建された国立沖縄戦没者墓苑は、戦後各地で収集された沖縄戦の犠牲者の遺骨、約18万5000柱が納められている。

天皇や歴代の内閣総理大臣なども参拝した。
摩文仁の丘にある国立墓苑が追悼式の場として疑問視されたのは、礎の持つ“慰霊”とは異なる顔を持っていたからである。

沖縄国際大学・石原昌家名誉教授:
摩文仁が丘というのは第32軍司令部壕の跡、これをものすごい意識しないといけない。われわれの沖縄戦の被害の体験が本当に絡めとられてしまう

最後の激戦地「摩文仁」

沖縄戦で首里城の地下に第32軍司令部壕を築いた日本軍。
戦況は悪化の一途をたどり、1945年5月27日、司令部を放棄し、南部への撤退を開始した。
摩文仁の丘の中腹にはもう1つの「第32軍司令部壕跡」がある。

日本軍が本島南端の摩文仁に司令部を移したことで、戦火を逃れ、南部一帯に避難していた住民は突如として戦場の真っただ中に巻き込まれた。
これには本土決戦まで1日でも時間を稼ぐため住民を盾にして、アメリカ軍の掃討戦を長引かせる狙いがあった。
増大する住民被害は、アメリカ軍の攻撃だけが理由ではなかった。

糸満市真栄平出身の大城藤六さん(89)。
多くの住民とアバタガマ(自然洞窟)に隠れていたが、南部に撤退してきた日本軍に追い出され、逃げ込んだ墓を砲弾が直撃した。

大城藤六さん:
入口の前に積んである石に砲弾が落ちて、その石が中にみんな中に飛んできて。おばあさんからワラビンチャー(子どもたち)皆死んでしまった

家族13人が即死、大城さんも左足を負傷した。
こうした壕の追い出しだけでなく、真栄平では住民虐殺が起きたことでも知られている。

大城藤六さん:
おばあさんが立ちあがったんだ壕の前にね。兵隊の声がしたんだ。「ぬーやいびーんが(どうなさいましたか?)」と言った。敬語ですよ。沖縄の言葉で言ったら、おばあちゃんの首を刀でバサッと斬った。「とにかく言うこと聞かなかったらやるぞ」という見せしめだったんですよ。「早く出ろ」って

地上戦で20万人もの犠牲者を出した沖縄戦。
学徒隊などとして戦場に根こそぎ動員された住民の犠牲は、軍人よりもはるかに多く12万人を超えた。

元ひめゆり学徒:
どうしてもっと早く、こんなにたくさんの人が殺されないうちにやめてくれなったのか。もうこれだけ

元鉄血勤皇隊員:
私は死体が破片を受けて、一番下敷きになっていたので助かったんです。1時間くらいはうめき声ですよ。あぁ苦しい苦しい息が絶えていくでしょ。それを想像してください。大変な地獄そのものですよね

6月22日、または23日に、摩文仁の司令部壕で牛島満司令官らが自決し、日本軍の組織的な抵抗は終った。

星条旗が掲げられた場所には、のちに牛島司令官らを祀る黎明之塔が建てられた。
これに続くように戦後、摩文仁の丘一帯には各府県の慰霊塔が次々と建てられていった。
戦死した人を殉国者として賛美するものも少なくなく、「沖縄戦の住民被害が抜け落ちている」と研究者の批判を浴びてきた。
この一角に今回、県が追悼式の会場とした国立沖縄戦没者墓苑もあった。

「摩文仁」に刻まれた歴史を考える

遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」・具志堅隆松代表:
国は国難に殉じた尊い犠牲者。それがさらに評価が進むと英霊という言い方になります。われわれ(県民)にとっての見方というのは戦争に巻き込まれた犠牲者なんですよ。そこの線ははっきり引いとくべきだと思っています

県は追悼式の会場を従来通り平和の礎近くに戻した。
“最後の激戦地”とされる摩文仁は沖縄戦の悲劇を象徴する場であり、その体験に根差した平和を求める沖縄の心を発信する場でもある。
次の世代に引き継ぐために、今を生きる世代が沖縄戦の実相を知り、学ぶことが大切だ。

(沖縄テレビ)