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富士納豆製造所は、創業85年の『富士納豆』を生産する納豆メーカーです。健康に良い発酵食品としての納豆をより楽しく食べて頂くため納豆レシピほか、カレースパイス・しょうがマスタード、桃しょうゆのタレを付けた「桃太郎納豆」も販売しています。老舗メーカーとして、新たな納豆の食べ方提案を通じて、笑顔や笑いを食卓へ届けたいという想いをもとに納豆を作り続けています。


当社は、独自の大豆粉砕技術を駆使して、従来の納豆にない「ふわふわな新食感」を味わえるひきわり納豆、「富士納豆ひきわり」を開発、発売しました。



「富士納豆ひきわり」は、山梨県の豊かな自然を活かした富士山麓産の大豆と水を使用し、従来にない豊かな味わいと食感にこだわっています。独自の切り割り製法で今までにないメレンゲのようなふわふわ食感を実現したこの製品の開発経緯について、担当した星野玄喜(当社副代表)が振り返ります。


副代表・星野玄喜(左)と代表・星野喜忠(右)


重要文化財の家で納豆を作り始めた、当社創業の経緯


当社の歴史は昭和10年に遡ります。当社代表・星野喜忠の長男である星野玄喜(ホシノクロキ、52歳)の曽祖父にあたる、星野奇(ホシノクスシ)が北海道大学農学部にて発酵学を学び、昭和10年に山梨県大月市花咲にある、国指定重要文化財星野家住宅(自宅)の敷地の一角で、納豆工場を設立し、販売をスタートしました。


以来、創業から85年になります。設立当時、大月市近隣では納豆を食べる文化がなく、全く売れなかったそうです。


地道に販売を継続し、ほぼ手作りの高級納豆として、今では、地元大月市をはじめ、都内の高級スーパー、長野県、静岡県での販売拡大を実現しています。


もともと星野家は江戸時代に本陣を営んでいた家で、現存する本陣建築の数少ない家として、昭和の時代に国の重要文化財に指定されました。江戸時代には、参勤交代の大名、明治時代には、明治天皇も寄られたことがございます。


星野家住宅


国の重要文化財の家が納豆を製造しているということ、そして、大豆本来のみずみずしさを感じる中粒の噛み応えのある納豆であること、数量限定生産であることから、どこでも買える商品ではないことから、少し高級な納豆として多くの皆様にご愛顧頂いているものと思われます。誠に有難いかぎりです。


現在では、副代表の星野玄喜が、ビジネススクールや外資のマーケティングカンパニーで得た知見をもとに、古き良きものをのこしつつ、新たな切り口の納豆にチャレンジも行っており、斬新な発想から生まれた『桃太郎納豆』は多くのメディアから取材を受けることができました。


一方で、本来あるべき商品ラインアップである『〇〇納豆』を弊社で製造していないことに疑問を感じるようになりました。


「桃太郎納豆」


祖父がひきわり納豆の開発をしていた形跡を見つけ、決心した


コロナ前のことですが、都内の高級スーパーや地元の大月市で私が試食販売の売り子をする機会が何十回とありました。その際に、お客様から「富士納豆はひきわりをやっていないの?」、「うちの主人は年であまり噛めないものだからひきわりだといいのよね」といったコメントを多々頂いていました。


お客様のご意見に対して私は、「確かに高齢化社会だし、食べやすいひきわり納豆は需要があるかも知れないな、ちょっと調べてみよう」と思い、色々なスーパーを視察して見て回ったところ、全体の20~30%くらいがひきわりの売上シェアであることがわかりました。


また、その後工場の中で、私の祖父・三郎が作ったと思われるひきわり納豆のパッケージラベルが見つかったのです。しかし不思議なことに、ひきわり納豆を販売していた形跡は全くありません。父に聞いてみても、知らないとのことでした。父と私が想像するに、きっと祖父はひきわり納豆を販売したくて開発にとりかかったものの、うまく開発出来なかったのだろう、という結論に至りました。


※祖父・三郎が残した、ひきわり納豆のパッケージデザイン


納豆業界全体のトレンドや需要予測から、ひきわりを開発しようという気持ちを強く持ち、願いかなわず、途中で断念せざるを得なかった祖父の気持ちを考えると一層、これは実現してやろうと思ったのです。


ベンチマークした商品に近づき、追い越すことを念頭に開発スタート


巷には何十種類ものひきわり納豆が既に販売されており、付加価値が高くないと売れません。そこで、開発のゴールとなる、目標とするひきわり納豆のイメージが必要でした。色々と有名なひきわり納豆を試食し、2、3のベンチマークとなる商品を見つけ、そのひきわり納豆に近づく、または追い越すことを念頭に開発をスタートしました。


色々と情報収集を進める中でわかったことは、有名なAという商品は、大豆を切り割っている、ということでした。多くの納豆メーカーは、大豆を圧し潰す感じで粉砕しているのですが、その商品は大豆をカッターのような鋭利なもので切っていたのです。切り割ることにより、より食感がふわふわになることがわかりました。また、切り割ることで、圧し潰すよりも大豆の養分が流れ出づらいということも理解できました。


切り割りができる機材メーカーがないか徹底的に調べました。すると、京都にある会社の機材でそのような粉砕ができることがわかり、担当者に、ベンチマークとなるひきわり納豆を送り、限りなくこのひきわりに近づけたいとお願いしました。数回にわたる交渉の末、こちらの希望する切り割りができる機械を作ってもらい、購入する段取りに漕ぎつけたのです。



国産の大豆を用いて試作し、うまくゆかず。「祖父が諦めただけあって簡単ではない」


ひきわりにする大豆は、付加価値を付ける為に国産である必要がありました。富士吉田市のある有名な農家を紹介してもらい、その広大な畑で収穫した大豆でやってみることにしました。


そして、実際の試作にとりかかりました。ところが何回やってもうまくいきません。発酵がうまく出来ていなかったのです。やはり祖父が諦めただけあって簡単なものではないと心底理解できました。つまり、通常の丸大豆の納豆と発酵にかける時間が異なるのです。


納豆を発酵室に入れるところ


数十回もやって、毎回細かい設定、つまり発酵の時間の設定を変えてやってみるのですが、それでもうまくゆきません。いよいよ、業界の識者に直接教えてもらう時が来ました。


発酵に関わる工程の詳細をエクセルの表にして、ある方に見てもらったら、『星野さん、ここの工程を1時間長くしてみてください。きっとうまくいきますよ』というアドバイスを頂くことができました。


後日、その通りにやってみたら、あら不思議、今までうまくいかなかったのがうそのように粘りのある美味しいひきわりが出来たのです。一つの商品を生み出す苦労が報われた瞬間でした。更に改良を進め、ソフトクリームのような、ふわふわ食感のひきわり納豆が出来ました。



たれも重要です。一般的なたれは塩分と糖度が高いものがかなりあり、全て使い切ると甘さやしょっぱさを感じてしまいます。ベンチマークとした他社のひきわり納豆のたれを、たれメーカーに提出し科学的に塩分と糖度を計算してもらい、その塩分と糖度を超えないよう、味見を何回も繰り返し、たれを全て使っても味がさっぱりしているたれを完成させました。


パッケージデザインも重要です。祖父が作ったひきわりのパッケージデザインをベースに、既存の商品との識別を明確にする為、色合いを変えました。既存商品は春を思わせるブルー、ひきわりは秋を思わせるレッド系の暖色にしました。


このパッケージデザインを私の学生時代からの友人で、プラスチック成形の会社社長をしているN氏にお願いをし、作成してもらいました。


先日、不治の病で他界した彼は、誰よりもこの商品の成功を願ってくれていました。

きっと彼は、『お前、なかなかやるじゃないか』と言ってくれる気がしています。



お知らせ

「富士納豆ひきわり」は、本社のある山梨県から販売開始、東京都内をはじめ全国に向けて販売をスタートしています。

「富士納豆ひきわり」の購入先

http://fujinatto.shop-pro.jp/?pid=169868162




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