コロナ禍で変容する政治取材様式

新型コロナウイルスの脅威が現実味を帯びてきた3月下旬、ある自民党関係者に、近く予定していた食事会を開催するかどうかを確認した。自粛ムードが広がる中、当然延期するだろうと思っていたが、果たして彼の答えは全く違っていた。

「僕は人と直接会って話をするのが仕事です。是非行きませんか」

何のためらいもない、まっすぐな答えだった。感染の危険を避けるという意識は当然必要だが、取材者としての基本的な心のあり方を厳しく指摘されたようで、若干の恥ずかしさを覚えた。

今や取材する側もされる側も、その距離や人数、やり方など、取材以前の環境整備に配慮しなければならなくなった。「新しい生活様式」ならぬ「新しい取材様式」とでも言えばいいだろうか。かつての政治取材を振り返りながら現状を考察し、今後を見通してみたい。

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「いること」から「効率化」「簡素化」へ

今から20年以上前の1990年代。細川連立政権の誕生により自民党が下野し「55年体制」が崩壊、「自社さ」「自自公」などと政権の枠組みが変わり、政治が激動した時代だったが、当時の取材はもっぱらキーマンの「そばにいる」ことが重要であった。つまり、議員宿舎や議員会館、派閥事務所、国会、政党本部で、政治家の生の声を聞くことが取材の基本だった。

1993年8月細川政権誕生
1993年8月細川政権誕生

最大の理由は、現在と比べ通信手段が発達していなかったからである。そもそも携帯電話を持っている政治家もそれほど多くなかった。1998年に総理の座に就いた小渕元首相が民間人を含め様々な関係者に頻繁に直接電話する「ブッチホン」が流行語になったくらいだ。電話というのは固定電話である。首相自らが電話することも珍しかったが、電話で要件を済ませるハードルは、かつての方が高かったと言えるだろう。

小渕元首相
小渕元首相

今は通信手段の発達により電話はもちろん、メールやSNSなどを用いた「空中取材」が当たり前になった。これにより取材は政治家の「いる場所」を把握し「そばにいること」から、連絡手段を広く確保し有効に活用する「効率化」にも重きが置かれるようになった。

さらにコロナ禍による直接接触の減少が効率化に拍車をかけ、今や「簡素化」も加わってきたと言えるのではないか。

コロナにより減少が懸念される「感じる」取材機会

かつて先輩から「記者会見を記事にするな」と言われたことがある。かなり極端な話だが、要は日頃の「オフレコ取材」で政治家の本音を把握していれば、建前や表面的なことしか言わない記者会見は取材に値しない、という趣旨だ。これが正しいかどうかはともかく、かつての記者は今以上に「常に」「そばで」「様々な話を」担当政治家や周辺から聞いていたような気がする。

このため記者は政治家の略歴をはじめ性格や好き嫌い、習慣、口癖、家族構成など、取材とは直接関係ないことも含め、多くのことを知っていた。その先輩が言うように、確かに記者会見で語られる中身は、いかに踏み込んだ発言を引き出そうとしようとも、蓄積された膨大なオフレコ取材の内容の一部でしかなかった。

そうした取材に明け暮れる日常は、同じ言葉でもその言い方や表情などから違う意味だと「感じる」能力を育む。記者の質問に対し政治家が発する「そうですか」「うん」といった肯定か相づちかわからないような言葉の意味を読み解くこともあれば、沈黙だった場合にはその場の空気と以心伝心で対象者の意思を判断する。それが記者の醍醐味のひとつでもあり、力量を試される場でもあった。もちろん、今の記者がそれをしていないという意味ではない。

それだけに感染拡大時に、「3密回避」の名目で、ある幹部のオフレコ取材の場が一部の社の「代表取材」になったと聞き、残念に思った次第である。この場合、取材出来ない社は、代表の記者が作成した取材内容を、主に「文字」として共有するわけだが、間接的な文字情報だけで感情や雰囲気を読み取ることは出来ないだろう。

今後想定されるコロナの第2波、第3波の到来時などで、もしこのような取材形式が常態化するならば、記者と政治家ら取材対象の関係は確実に変わっていくだろう。

また、これは政治家同士の関係においても同じかもしれない。ただでさえ政治家同士の会話が携帯電話やメール・SNSで行われる機会が増えている中で、コロナ禍は政治家同士が直接会って腹の探り合いをする機会さえも減らすことになるだろう。

政治家の本質は「自己顕示欲」

このように直接の接触を避け、“目に見えない政治”の流れが進む中で、それとは対照的な動きもあった。8日午後に行われた自民党の二階幹事長と石破元幹事長の会談である。

二階幹事長・石破元幹事長
二階幹事長・石破元幹事長

この会談はほぼ全ての衆院議員と記者が集まる本会議が行われた直後に国会内で行われた。密談どころかバレバレ、見え見えの会談だ。

反安倍の石破氏からすれば、ポスト安倍をにらみ、党ナンバー2であり二階派の会長でもある二階氏との接近を内外に示す狙いがある。二階氏にとっては、秋の執行部人事で「自らを外せば反安倍に転換する可能性」を安倍首相らに匂わす絶好の機会だ。

つまりこの会談は、両者が敢えて周囲に見せることにも意味があったとみて間違いない。記者にとってもありがたいことだが、政治家はやはり存在感が大事。「顔が見えてなんぼ」である。

「街中に自分の顔写真があることを想像してみてよ。普通は嫌でしょ」

これはとある自民党関係者の言葉だ。選挙に出る候補者のことで、政治家の自己顕示欲が人並み外れているということを、選挙ポスターを例に挙げて表現したものだ。

水面下で、人知れずうごめくのが政治の常だが、政局を動かした功績を「人並み外れた自己顕示欲」を持つ政治家自らが記者や関係者に漏らす可能性は十分ある。自分の成果や存在感を示すことは、求心力の維持、向上を図る政治家にとって必要不可欠なことだからだ。それはコロナ前もコロナ後も変わらないだろう。

ポスト安倍をにらんだ政局は通常国会閉幕とともに徐々に本格化する。その舞台裏が記者の取材と政治家の「自己顕示欲」によって明らかになり、その真相をお伝えしていくのが楽しみである。

ちなみに、冒頭の関係者に一連のコロナ禍で人との接し方に対する考え方が変わったかどうかを緊急事態宣言の解除後に聞いてみた。もちろん直接会って。

彼は「考え方は全く変わっていない」と即座に答えた。テレワーク・リモートワークを「間接連絡派」と称して「いま間接連絡派には追い風が吹いているが、僕は徹底的に抗う。我々の仕事は濃厚接触だ」と言い切った。

感染拡大を防止することは大前提であるし、彼の言葉全てが正しいと言うつもりもない。ただ、これまで丁寧に培った人脈で自民党を支えてきた経験と自負、その重みを十分に感じさせる、ぶれない発言だった。取材でも、またそれ以外の付き合いでも、人と人との関係がその根幹にあり、互いの理解と信頼が何より大事であることを改めて痛感した。そうした人々と、コロナを恐れることなく酒を酌み交わせるようになる日が待ち遠しい。

(フジテレビ政治部デスク 山崎文博)

山崎文博
山崎文博

FNN北京支局長 1993年フジテレビジョン入社。95年から報道局社会部司法クラブ・運輸省クラブ、97年から政治部官邸クラブ・平河クラブを経て、2008年から北京支局。2013年帰国して政治部外務省クラブ、政治部デスクを担当。2021年1月より二度目の北京支局。入社から28年、記者一筋。小学3年時からラグビーを始め、今もラグビーをこよなく愛し、ラグビー談義になるとしばしば我を忘れることも。