言わずと知れた球界のレジェンド・イチロー。

「振り子打法」で高卒3年目に大ブレイクしプロ球界初となるシーズン200安打をマーク。海を渡りメジャーリーグでも数々の記録を塗り替えた、稀代のヒットメーカーだ。

そのイチロー氏が今回、人気モバイルゲーム「プロ野球スピリッツA」とのコラボ企画で「平成の名勝負」について語った。

平成の怪物と呼ばれた松坂大輔氏とのプロ初対決では、卓越したプロフェッショナル同士だからこそ生まれるドラマがあったという。

イチロー対松坂大輔。初対決の衝撃

「あの最初の3三振は、永遠にやられるかもしれないという恐怖を持ちました。衝撃的でした」

衝撃的だったと振り返るのは平成の怪物と言われ鳴り物入りでプロの世界に入ったルーキー、松坂大輔さん(当時18歳)との初対戦。

当時イチローさんは前人未到の5年連続首位打者を獲得し、すでに球界を代表するバッターだった。

1999年5月の試合当日、西武ドームには5万人の大観衆がつめかけ、テレビ全局が同時中継する異様な盛り上がりをみせていた。

日本中が見つめた対戦は、イチロー氏の3三振という、予想だにしなかった結末を迎えた。

1999年5月の初対決では3三振という結末(写真:時事)
1999年5月の初対決では3三振という結末(写真:時事)
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松坂氏はヒーローインタビューであの名セリフを残した。

「今日で自信から確信に変わったと思います」

この時の対決をイチロー氏は次のように語った。

「大輔にとっては確信に変わった、自信が確信に変わったって名言吐いてましたけど、僕としては『そんな訳ないだろう』って。

でもあのスライダーがインパクト強すぎて、このスライダーを早い段階で僕がとらえない限りは、永遠にやられるかもしれないと恐怖をあの試合で覚えました。ビックリしました」

イチローを動かした松坂のスライダー

恐怖すら覚えたという松坂大輔氏のスライダー。

その才能は、高校時代からすでにイチロー氏に影響を与えていた。

「当時ね、僕は高校野球を見てなかったんですよ。それは自分のイメージが、例えば金属バットの音とか(高校時代の)上手くなかった頃の自分を思い出してしまうっていうのがあって、僕そういうのにすごく影響を受けてしまうんですよ。

(だから)意図的に見てなかったんですよ。でも大輔の甲子園は見ました」

甲子園を見ないと決めていたイチロー氏ですら、そのルールを破ってしまったという“怪物”の投球。

「グリーンスタジアム神戸、今のほっともっとフィールド神戸ですけれど、ロッカールームで見ていて、その日西武戦だったんですよ。新谷(博)さんが先発で146、7キロキレの良い球を投げる。数字だけ見ると同じぐらいなんですよね。

ただ(松坂との対決でバッターボックスに)実際立ったら、スライダーのインパクトが強すぎて、真っすぐが当然速く感じるんですよ。体感速度が違う。

僕の中ではスライダーをとらえない限りは僕の勝ちにはならないから、それを早い段階で仕留めたいとあの日思いました」

100号HRまであと1本で迎えた両者の再対決

99年6月、松坂から初ヒットを打ったイチロー(写真:時事)
99年6月、松坂から初ヒットを打ったイチロー(写真:時事)

そして初対戦から2か月後。イチロー氏はそのスライダーを仕留めにかかる。

プロ通算ホームラン100号まであと1本と迫った神戸でのホームゲーム。試合は9回裏。マウンド上にはここまで完封ペースで投げ続ける平成の怪物・松坂氏がいた。

先頭バッターで打席に立ったイチロー氏は、ワンボールから真ん中低めに入った132キロのスライダーに反応すると、ボールのやや下を叩くようなスイングでセンター・バックスクリーン方向のスタンドに叩きこんだのだ。

「とらえない限りは僕の勝ちにはならない」「早い段階で仕留めたい」と感じた松坂氏のスライダーを、プロ通算100号ホームランのタイミングでとらえてみせたイチロー氏。

天才バッターと、平成の怪物。数々のドラマを生み出した平成の名勝負は、いつまでも色あせることはない。

そのイチロー氏もコラボした「プロ野球スピリッツA」とフジテレビのスポーツニュース番組「S-PARK」も初コラボ!

名物企画「プロ野球100人分の1位」で選ばれた選手が、S-PARKプレーヤーとしてゲーム内に登場する。
S-PARKプレーヤーのみに許された特殊能力を持つ選手たちに注目!
100人分の1位は11月19日(土)から3週連続放送予定。