桜の開花が春の訪れを告げる中、この大阪場所で相撲界に新たな時代の幕開けをもたらしたのが新関脇・若隆景の初優勝だった。

この記事では、土俵際までもつれた優勝決定戦の最後の瞬間、さらには故郷である福島への想い、同じ角界に身を置く兄弟の支え、そして代名詞となった“下からの攻め”のルーツなどを探る。

言葉を選びながらも、真摯に胸の内を語ってくれた若隆景のインタビューをお届けしよう。

身体が勝手に動いた土俵際

初優勝した新関脇・若隆景
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まずは12日目まで11勝1敗、高安とならんでトップを走った優勝争い終盤の精神状態。そして千秋楽に黒星を喫し12勝3敗となり、もつれこんだ優勝決定戦について聞いた。

――優勝を意識したのは?
“一日一番”ということで自分の中で集中力を高めていたというのもあるんですけど、少し周りで(優勝を意識する)声がし出して、13日目あたりから身体が少し固くなっているなという気持ちはありました。

※現に若隆景は、この13日目に御嶽海に一方的に押し込まれ2敗目を喫している

――千秋楽、本割の一番は緊張しましたか?
そうですね、ほとんど内容を憶えてないですね。

――優勝決定戦の一番についてはどう感じていますか?
先ほど少し相撲の映像を見たんですけど、内容としてはあまり褒められた取組じゃないですけど、なんとか最後は気持ちで残ることが出来たように思います。

髙安との優勝決定戦

――土俵際に追い詰められた瞬間はどんな心境でしたか?
いやもう…一生懸命、本当に必死に残ろうと思いました。

――最後、高安関のまわしを持っていましたが、あれは投げを利かせたんですか?
身体が(勝手に)が動いてくれたんだと思います。ハイ。

髙安との優勝決定戦

――その瞬間、勝ちは確認できていましたか?
まあ「たぶん勝った…」という風に思いました。

――優勝が決まった瞬間は?
ちょっと信じられないような気持ちでした。

――入門からまだ5年も経っていませんが?
大相撲の世界でいろいろ経験させて頂いて、少しずつ番付を上がって来て、やはり周りの方々の支えがあったからこその今回の優勝なので、感謝の気持ちでいっぱいです。

初優勝を決めた大阪場所での千秋楽の夜、まだ興奮冷めやらぬ中、インタビューに応じた若隆景。その言葉のひとつひとつに、本心が垣間見える。

故郷の福島、そして兄弟への感謝

この場所中の4日目、16日の深夜には、福島県沖を震源地とする震度6強の地震が発生した。

若隆景は福島県出身で、高校1年生の時には東日本大震災と東電福島第一原発事故が発生し、先に角界に入門していた兄のいる荒汐部屋に約1カ月間避難させてもらった経験がある。

この大阪場所の真っただ中で、どんなことを考えたのだろうか?

――場所中には福島で大きな地震がありましたが?
震災から11年たって、本当にまたすぐああいう地震があって、あの時を思い出したというか、そういう気持ちはありました。

――大震災の時は、関取は福島にいらっしゃった?
そうですね。

――その体験もされた中で、地元のみなさんへの優勝報告という意味では。
「活躍する姿を届けたい」と言っていましたが、こうして優勝したことで少しは活躍している姿を届けられたのかなと思います。

――地元はすごい盛り上がりのようですね。
ハイ(笑)

事実、この地震のあった翌日から若隆景は怒涛の8連勝。優勝を決めたことはもちろんだが、その過程でも、地元福島に雄姿を届けた。

そして若隆景の力となったのが、同じ荒汐部屋の力士であり、共に震災を乗り越えてきた2人の兄の存在だ。長男・若隆元は現在幕下で、次兄の若元春は西前頭9枚目。特に、3つ年上の長男は若隆景の付け人として優勝争いを支えていた。

――この優勝争いを通じて、お兄さんの存在が力になった瞬間はありましたか?
やっぱり今日、本割で負けて花道を下がって来たんですけど、それで支度部屋戻って、兄がいたからちょっとホッとしたというか、なんて言うんですかね。

最後も土俵に行く前に背中を叩いてもらって、 気合いをいれてもらって。そういうのは本当に、15日間ずっとそうでした。

――存在そのものが、力になっている感じですか?
あんまり場所に行って話すことはないですけど、そうですね。

――優勝が決まってお兄さんと花道で目が合いましたが、あの時はどんな会話を。
花道では会話は禁止なので、会話という会話はしてないですけど、やっぱり「やったぞ」みたいな感じはありました。

祖父は元小結の若葉山で、父は元幕下の若信夫。まさに相撲一家に生まれ育った若隆景。角界の歴史において兄弟力士は決して少なくないが、優勝争いをする弟をそのかたわらで兄が支える姿が、この初優勝をさらに印象深いものにしていた。

勝てなかったから身につけた “下からの攻め”

身長181センチ、体重130キロと、今の幕内では軽量力士に位置づけられる若隆景だが、その相撲スタイルは正面からの真っ向勝負だ。

立ち合いで激しく当たると、相手の攻めを封じる“おっつけ”で有利な態勢を作り、最後は土俵際に追い詰めて寄り切る。今場所も、この強烈なおっつけを武器に“下から下から攻める”相撲で初の賜杯をつかんだ。

――下からの攻めを自分のものにした、きっかけを教えてください。
相撲を始めた頃から、周りの子供たちより体が小さくて、とにかく勝てなくて、そういう中でも下から食いついてという相撲でした。

最初は勝てなかったですけど、ちょっとずつちょっとずつ勝てるようになって来て、そういう所から少しずつですけど、この相撲に自信を持ってやって来ています。

――という事は、相撲を始めた小学校の1年生の頃から、徐々に下からの相撲を確立して行った訳ですね。
まあ確立したのはいつだったか分からないですけど、相撲を始めた頃から頭から当たって、下から押して行く、そういう風には思って来ました。

――その“下からの攻め”はお兄さんたちを相手にも試して、磨いたんでしょうか?
同級生で勝てない相手がいたので、その子を相手に磨いて稽古していました。もちろん兄たちにも、胸をかしてもらいましたね。

兄・若隆元と若隆景(手前)

――教えて頂いた方の存在はいかがですか。
相撲をはじめてすぐは父親から教わっていたんですけど、その時からですね。子供の頃から身体が小さいので、父親もそうですけど、その後相撲を教わった方からも、皆さんに下からの攻めを教わりました。いろんな指導者の方から常々教えて頂いたのが、下からの攻めですね。

――それを武器にする上で、鍛錬している身体の場所を上げるとすれば。
やはり下半身ですね。しっかり四股を踏んで、ハイ。

――相手の脇に差していく動きを見ていると、上半身や腕が重要に見えますが。
腕というより下半身とか、腰とかの方が自分としては重要だと思います。

――筋トレは?
そんなにはしないですね。四股、鉄砲、基本動作と相撲の稽古ですね。

――これからも、下から下からの相撲を貫かれますか?
それが自分の相撲なので、そこをブラしちゃいけないという気持ちがあります。もっともっと磨いて行こうと思います。

――ではこの相撲で、もう一つ上も目指して行きたいですか?
ハイ、そうですね。下からの攻めというのが、自分の相撲だと思います。これからも変えるつもりはありません。

――次の五月場所は大事な場所になりますが。
またしっかり稽古して、身体が小さいんで、ひと一倍稽古して来場所にのぞみたいと思います。

今場所、関脇の地位で12勝を上げて初優勝を果たしたことで、一気に大関候補の一番手に躍り出た若隆景。大型力士が台頭する今の角界で、玄人好みのする技巧派相撲は『小よく大を制する』相撲本来の魅力に溢れている。

次なる舞台は薫風かおる五月場所、東京・両国国技館。今から初日が待ち遠しいファンも多いはずだ。
 

(協力:横野レイコ、吉田昇、山嵜哲矢 文:吉村忠史)

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