安倍首相「政治決断の責任は自分に」

「政治決断の責任は、自分にありますが、命のかかわる最悪の事態に至らないようにするべきであると考えています」

4月9日、安倍首相は、緊急事態宣言を発令した7日の記者会見で質問の機会が得られなかったメディア数社の質問に書面で回答し、「政治判断の責任」についてこう言及した。

これまで安倍首相は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、国民生活に関わる政治決断を次々に行ってきた。中国湖北省への5度のチャーター機派遣、クルーズ船ダイヤモンドプリンセスへの対応、イベントの自粛要請や学校の休校要請、入国拒否・制限の措置、そして夜の繁華街の接客を伴う飲食営業自粛の全国拡大などだ。

そしてこうした政治決断の中で最も重大なものとなったのが、7日の緊急事態宣言の発令だったわけだが、その決断の背景には何があったのか、なぜこのタイミングだったのか、垣間見えた舞台裏を探っていきたい。

“伝家の宝刀“はこうして抜かれた

7日の政府対策本部会議
7日の政府対策本部会議
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緊急事態宣言をめぐっては、宣言について定めた新型コロナウイルス特措法が3月13日に成立して以来、国民生活を左右するこの宣言がいつ行われるかが注目されていた。3月末には、ネットやSNS上で「4月1日に緊急事態宣言を発表し2日から都市封鎖が行われる」などと言った事実とは異なる情報が出回り、菅官房長官が「明確に否定する」と異例の火消しを行うなど、世論の最大の関心事の一つとなっていた。

そして、安倍首相が東京・大阪など7都府県を対象に緊急事態宣言を発令したのは4月7日だった。決断の理由について安倍首相は「医療提供体制が逼迫している地域が生じていることを踏まえれば、もはや時間の猶予はないとの結論に至りました。この状況は国民生活および国民経済に甚大な影響を及ぼす恐れがあると判断いたしました」などと述べたが、決断の背景には様々な要素が絡み合っていた。

“ロックダウン”の誤解広がり、パニックの回避図る

トイレットペーパーが消えた商品棚・3月
トイレットペーパーが消えた商品棚・3月

政権幹部の一人は、緊急事態宣言の発令日が7日となった理由を3つ挙げた。

1つは、東京都の小池知事の「ロックダウン(都市封鎖)」発言の影響収束の見極めだった。ロックダウンという言葉は、今回の新型コロナウイルス対策の中では、政府の専門家会議が使い始めたものだ。小池知事はそれを受けてこのロックダウンという言葉を頻繁に使い始め、都内の新たな感染確認者が41人と急増した3月25日には「今が重大局面、このままの推移が続けばロックダウンを招く」と述べ外出の自粛を要請した。

それまで政府は、専門家の意見を踏まえ緊急事態宣言発令のタイミングを探ってきたが、小池知事らの発言の影響で国民の間に「緊急事態宣言」=「ロックダウン」との印象が広がったことは想定外だった。

日本の法律上、海外のように都市封鎖は行うことはできないが、国民が、宣言が発令されればロックダウンになると誤解した状況で宣言を行えば、食料などの買い占めや都市部から地方への避難の加速などパニックが広がる懸念があった。そのため緊急事態宣言=「ロックダウン」のイメージ解消と誤解の沈静化を探り、推移を見極めていたという。

「人の接触8割減」の試算提示 閣僚の間で激論に

2つ目の理由は、北海道大学の西浦博教授がまとめた「人の接触を8割減らせば感染者は減少に転じる」という試算だった。しかも、この試算が報じられた直後の4月4日には、都内の感染者が初めて100人を超えた。逆に言えば、人の接触を8割減らさないと感染者は減少に転じないというこの試算は、「緊急事態宣言」発令に向けた政府内の意識を高めることになった。

4日に安倍首相や菅官房長官、加藤厚労相や西村経済再生相らが集まって行われた政府内の連絡会議は1時間を超えた。会議の様子を政府関係者はこう語る。

「西村大臣は北大教授の8割接触を控える試算や東京の感染者100人超で、宣言を出すしかないと迫った。これに対し加藤大臣は経済への影響を考慮しないといけない、覚悟を持たないといけない、というような趣旨で、かなり激論となった。そして最後、総理が近日中に出さないといけないと思っている、というやりとりで流れが決まった」

そして安倍首相は7日の会見で「最低7割、極力8割削減することができれば、2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせることができます」と、緊急事態宣言のもとで人の接触を減らす必要性を力説した。

「早く出したいが、一定の準備も必要」で宣言準備表明

3つ目は“発令に関するスピード感と準備期間の問題だった。今回、安倍首相は、7都府県への宣言を発令した前日の6日に「宣言の準備に入る」という事前の表明を行った。この背景について政権幹部の一人は「何の前触れもなく7日に宣言したらパニックを引き起こす要因になる。自治体や経済界の準備も必要だ」と語った。

一方で、政府関係者は「当初は8日、9日の宣言発令だった。それは国会や自治体との調整に時間がかかるから。だけどそのタイミングを1日短くしてでも総理は宣言を早く出したかったのだろう。だが、休業要請の溝が国と東京都との間であったように調整が不十分なのは露呈した。それでも総理が走りながらでも宣言を早く出したかったということだ」と語っている。

緊急事態宣言することを決めた以上、できるだけスピード感を持って発令する一方、一定の準備期間は確保する。そうした思惑の末、初の「緊急事態宣言」という重大な政治決断は6日準備表明、7日発令というスケジュールに決まった。

(フジテレビ政治部 千田淳一)

千田淳一
千田淳一

FNNワシントン支局長。
1974年岩手県生まれ。福島テレビ・報道番組キャスター、県政キャップ、編集長を務めた。東日本大震災の発災後には、福島第一原発事故の現地取材・報道を指揮する。
フジテレビ入社後には熊本地震を現地取材したほか、報道局政治部への配属以降は、菅官房長官担当を始め、首相官邸、自民党担当、野党キャップなどを担当する。
記者歴は25年。2022年からワシントン支局長。現在は2024年米国大統領選挙に向けた取材や、中国の影響力が強まる国際社会情勢の分析や、安全保障政策などをフィールドワークにしている。