女子10000メートル代表としてアテネオリンピックに出場。北京・ロンドン五輪にも5000/10000メートルの代表として出場するなど、陸上長距離界の第一線を走り続け、世界の舞台で活躍してきた陸上・福士加代子。

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39歳の福士にとって、5月3日の東京オリンピック代表選考会でもある、日本選手権女子10000メートルは「最後の挑戦」だった。

自らの競技人生をどう終わらせるか…。悩み、立ち向かう、福士の“最後の姿”を追った。

何度も挫折したマラソンへの挑戦

2008年にマラソンへ挑戦した福士だが、当初は何度も挫折を経験した。

同年に出場した北京オリンピックマラソン選考会「大阪国際女子マラソン」で、途中何度も転び、よろめきながらゴールを目指して走った姿が、記憶に残っている人も多いのではないだろうか。

決して逃げることなく立ち向かい、福士はリオ五輪でマラソン代表として、4度目のオリンピック出場を果たした。

2020年3月、東京オリンピックのマラソン代表、最後の1枠をかけたレース「名古屋ウィメンズマラソン」に挑んだが、結果は無念の途中棄権。マラソン代表でのオリンピックへの道は閉ざされてしまった。

レース直後には「ごめんよ、最後までできんかったね。ゴールはできんかった」と母に悔しそうに語っていた福士。「勝負できてないんですけど、勝負してるなと思いながら走っていたかな。何かまた違うスタートが切れるんじゃないかと思いますけどね」とレースを振り返った。

「怖い」けど逃げない

自らの競技人生をどう終わらせるべきなのかを考えた結果、福士は競技人生の最後に「10000メートルで再び東京オリンピックを目指す」と決めた。

かつて、“トラックの女王”として3000メートル・5000メートルで日本新記録を出し、10000メートルでは日本選手権で7回の優勝をするなど、圧倒的な強さを見せた福士。しかし、肉体の衰えは自分自身が一番わかっていた。

「体の変化は、馬で言ったらムチ入れたら走る感じが、ムチを入れてもムチの痕だけ残って動かないみたいな感じ」

2020年11月、“最後の駅伝”として臨んだ「全日本実業団女子駅伝」で、区間2位の激走を見せたが体が悲鳴を上げてしまう。左足の腱を損傷する左足底腱膜損傷を負い、長期間走れなくなった。

5月の東京オリンピック最終選考会が目前に迫る中、ケガから半年近くが過ぎても、たびたび左足に激痛が襲い、福士は自らが理想とする走りができていなかった。

「もう勝負はできないかもしれない」

福士はそんな怖さと戦っていた。

「なんでも怖いんですよ。でも 怖いのを逃げなかった。今も実際怖いんですけど、走れてようが、それでも向かうしかないかな。逃げなかったことでしょうね、自分から」

そう自分自身を奮い立たせ、最後まで勝負しようとしていた。

最後は“感謝”を込めた一礼を

こうして迎えた5月3日の東京オリンピック代表選考会「日本選手権」。女子陸上10000メートルでは、スタート直後、福士は積極的に前へ出ていた。

しかし、徐々に遅れはじめて、最下位に。さらに周回遅れにまでなった。

日本選手権10000メートルの優勝を7回、オリンピック代表4回の福士にとって、見たことのない光景だった。

それでも前に進み続け、最後は笑顔も涙も入り混じりながらゴールした。結果は19位、最下位だった。

「最後は感極まっちゃいましたね。終わるんだっていうのと、みんなに見守られて走り終えたなって感じがしたので一礼を。あまりしたことがないんですけど、トラックとみなさんと、いろいろなものに対して一礼をしました」

がむしゃらに走り続けてきた福士は、これまでの競技人生を振り返った。

「“自分に勝ちたい”と。“勝ちたい”という言葉がよく出てました。常にここまで来るのも、レースをするのも怖いなというのがあったんですけど、“怖い”は“勝ちたい”という気持ちがないと出てこない。だから、ずーっと勝ちたかったんだなと思って。そこに向かってずーっと、今までやってきたんだなと、改めてわかった気がします」

この先のことは「全く考えてません。これから脳と脳のストレスを解放させてみて、何がでるか味わってみたいと思います」と笑顔を見せた福士。

これからどんな人生の“レース”を走っていくのか、注目していきたい。