昨日開幕した競泳日本選手権。この大会は、東京五輪の代表選考会を兼ねていて、選手たちは、オリンピック会場の東京アクアティクスセンターで日本代表を目指し、しのぎを削っている。

しかし400m個人メドレーの金メダリストで、五輪3大会連続出場を目指す萩野公介(26)の名前は、この大会の400m個人メドレーには無く、ライバルの瀬戸大也(26・2019年に五輪出場内定済み)が優勝し、圧倒的な強さを見せつけた。

萩野が最も結果を残してきたこの種目で、出場を断念した裏側には何があったのかに迫った。

萩野が得意とする400m個人メドレー

生後6か月から水泳を始めた萩野。小学校低学年から各年代の新記録を樹立してきた。

2012年のロンドンオリンピックでは、初出場の17歳にして400m個人メドレーで銅メダル、2016年のリオデジャネイロオリンピック400m個人メドレーで金メダル、200m個人メドレーの銀メダルと、個人メドレーで圧倒的な強さを見せつけてきた。

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3月中旬、長野で行われていた日本選手権に向けた直前合宿。

2週間後に迫るオリンピック代表選考を前に萩野は悩んでいた。

オリンピック連覇がかかる400メートル個人メドレーという特別な種目を諦めるべきかどうか。

「僕自身400m個人メドレーに対して強い思い入れはありますけど、やはり1番は代表を決めることですし、五輪本番を戦うことを考えて種目を選んでいきたい」

萩野にとって、17歳のロンドン五輪で銅メダル、4年後のリオ五輪で世界の頂点に立つなど、歴史を刻んできた個人メドレーは重要なものだ。

2018年には「やっぱり東京オリンピックで結果を出したい。(五輪のレースは)肌にピリピリくる感じがありますよね。あれが僕はたまらない」と東京五輪に向けても意気込みをみせていた。

自国開催の夢舞台でも、この特別な種目で世界の頂点に立つとファンも、そして自身も信じていた。
 

「色々ありましたね、本当に…」

しかしリオ五輪後に右ひじを手術すると、萩野はそれをきっかけに本来の泳ぎが崩れスランプに陥った。2019年2月に行われたコナミオープンでは自身の代名詞でもある400m個人メドレーで、自己ベストから17秒近く遅い結果となり、決勝を辞退した。

その後一時休養を経験するなど、自分自身を見つめ直す日々が続いたという。

「リオが終わって次の4年も上り坂ではいかないと思っていましたけど、まあ色々ありましたね、本当に…」

去年のインタビューでは、リオ五輪からの激動の4年間をそう振り返った萩野。

オリンピックイヤーの今年に入っても、最も得意としてきたはずの400メートル個人メドレーで、思うようなタイムを残せず。2月に行われたジャパンオープンでも、400m個人メドレーでトップに4秒近くの差をつけられ、6位という結果に終わっている。

その葛藤を恩師・平井伯昌コーチにだけ明かしていた。

「(2月の)ジャパンOPの決勝レースの直後に、『ホンネのところどうだ?』と聞いたら『400m個人メドレーをやめたい』と。400mを出ないで200mに専念したいというのが率直な気持ちだったと思います」

日本選手権直前まで相談を重ね、悩み抜いた末に出した答えが、400m個人メドレー出場断念だった。

「400m個人メドレーで戦いたい気持ちはもちろんあります。それよりも現時点の僕の中では、200m個人メドレーで戦いたいという気持ちの方が上でしたし、今回エントリーしている他の3つの種目に、その分の力を注ぐじゃないですけど、そういうイメージが僕の中ではあるので」

得意種目にしがみつくことではなく、3度目のオリンピック出場を考え、覚悟を決めた萩野。

「オリンピックに行くことが第1の目標で、背負っているオリンピックに行きたいという気持ちを前面に出してレースをしたい」

萩野は五輪代表選考会でもあるこの大会で200m個人メドレー(7日から予選)、200m背泳ぎ(7日から予選)、200m自由形(4日から予選)に出場する。

本日行われた200m自由形では1分48秒63の3位で予選通過。
五輪出場を目指し進み始めた。