「お遍路」ならぬ「微遍路」と名付けて9月末から福井県内17市町を歩いて巡る旅を続けている田中佑典さん。田中さんの微遍路は一期一会にとどまらず、「一期三会」となるよう縁を大切にしてディープな地域にも足を運んでいます。
シリーズ3回目の今回は嶺南編。能登半島とも歴史的なつながりのあるという若狭路で、新たな発見がありました。
住職に勧められ写経「これは面白い」
10月18日午前9時、田中さんは若狭町にある寺臥龍院で住職と話していました。
田中佑典さん:「だいたい40日くらいの旅をしています。地域も人も1回きりでなく、3回くらい会えるような考え方が長く続く関係性につながる。一会でなく三会」
住職:「三というのは、三の数字にとらわれることなく計り知れない数字の例えです」
田中さん:「今回は縁あって、このタイミングで石観音さんの御開帳なので」
住職:「すごいご縁ですよね」
33年ぶりの御開帳を迎えるのは若狭町の三方石観世音。弘法大師が一夜にして彫ったと伝わる秘仏です。
約1200年前、岩に観音像を彫っていた弘法大師が夜明けを告げる鶏の鳴き声を聞き、右手首から先を彫り残して出発したと伝えられています。そのため、古くから手足の不自由な人などにご利益があるとされ、田中さんも微遍路に欠かせない足の無事を祈りました。
次に向かったのは傳芳院。2日前に敦賀を微遍路していた田中さんが偶然、住職と出会ったというご縁で立ち寄りました。
到着して早々、住職から提案されたのは写経です。
傳芳院の住職:「めっちゃきれいですよ」
田中さん:「でも…結構息切れしますね。 歩いている感覚と同じで、途中焦って早く行こうとすると雑になってくるんですよ」
住職:「字が太くなるところは力が入るので、このあたりは力んでいますね」
田中さん:「それで、終わってから後悔するんですよ…これは面白い」
「例えば振り向いてあの店良かったかもとか、(店が)反対側にあるときは“もういいか”みたいな…1回そうなると戻れない後悔の感じが(写経と)似ていた」と語ります。
「わー!すごい」イチョウに彫られた十一面観音
写経を終えた田中さんが若狭町を歩いていると「能登神社」を発見。ここは、能登野というエリアです。
「こんにちは。能登野の祭りあるじゃないですか、5年前に来た時に興味があって」と住民に声を掛けます。
5年前に微遍路で訪れたときに偶然、祭りに遭遇して以来、田中さんは能登野に関心を持ちました。
声を掛けた地元の人が、地元の歴史に詳しい人を紹介してくれました。
田中さん:「若狭町みそみ地区にある三十三間山の木が三十三間堂で使われていると聞いたんです」
能登野の住人:「そういういわれだと私らも聞いています。三十三間堂に収めたから、三十三間山という名前をいただいたと聞いていますね」
田中さん:「能登野という地名は能登半島の能登に関係があるんじゃないかと」
能登野の住人:「この山には漆の木がたくさんいいのがあって、能登は輪島塗など漆器が盛んなので 漆をとるためにこの地区へきて山に住んで漆をとった人が先祖で、能登野は能登から来たと聞き伝わっている。 文献も特に見ていないけど」
田中さん:「あの辺りは木地師が多くいらっしゃるところで、関係はあるんじゃないかと」
能登野の住人:「私もそう思っている。能登の大震災は気の毒で…わずかながら支援したいという思いだった」
田中さん:「僕は自分の足でこの町を歩いて、知らなかった歴史が知ることができたので村に愛着がある」
さらに歩みを進めると、住民が声を掛けてくれました。
若狭町安賀里の住人:「おたくら何やってはるの?」
田中さん:「福井を歩いて旅をしていて」
住人:「ここの区内におもしろいものあるの知ってる?生きた銀杏に観音さんが彫ってある」
田中さん:「銀杏の木に彫ってあるんですか?」
そう聞いてさっそく、足を運んだ田中さん。
「わー、すごーい!」
現れたのは銀杏観音と呼ばれる十一面観音像です。樹齢約450年のイチョウに彫られた観音様は、江戸時代後期の作と伝えられています。
様々な苦しみから人々を救うといわれ、集落を見守っています。
日も傾き辺りもすっかり暗くなった頃、熊川宿へ到着。
歩き始めて9時間。約25キロを移動してたどり着いたのは5年前の微遍路で生まれたご縁に導かれた「忍者道場」でした。
田中さんの微遍路は11月3日、福井市の東郷地区でゴールをします。その瞬間を福井テレビでは生放送でお伝えする予定です。
