今年、芸能生活55周年を迎えた歌手・小林幸子さん。

順風満帆に見える小林さんだが、33年連続で出場した紅白歌合戦に落選し、芸能界から消えた3年間があった。

10月10日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)では、どん底から復活するまでを番組MCの坂上忍に激白。また、2019年6月に完成したばかりの豪邸をテレビ初公開した。

“お家騒動”で窮地に…

1979年、25歳の時に『おもいで酒』が200万枚突破の大ヒット。その年末には、NHK紅白歌合戦に初めて出場した小林さん。その後、紅白には33年連続出場を果たし、圧倒的な歌唱力と“ド派手な豪華衣装”は、年末の風物詩にまでなった。

プライベートでは2011年、57歳の時に、医療関係の会社を経営する8歳年下の林明男さんと結婚し、公私ともに充実した日々を送っていた。

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しかし2012年3月、長年苦楽をともにした事務所スタッフ2人が退社。これが、騒動の始まりだった。「自主退社なのか?」「解雇なのか?」小林さん側とスタッフ側の言い分が食い違ったことから、報道は過熱。大きな騒動にまで発展した。

騒動は徐々に下火になったものの、長年尽くしてきたスタッフをクビにしたという極めてネガティブなイメージが残り、小林さんの親しみやすいキャラクターに陰が差すことになってしまった。

こうした騒動がきっかけとなり、さまざまな壁が小林さんの前に立ちはだかっていく。

新曲の発売を間近に控えていたが、レコード会社から告げられたのは突然の発売延期。それだけでなく、 決まっていた仕事は相次いでキャンセルになった。

だが、小林さんは「紅白初出場の時に、二度とこのステージには立てないと思ったから、全部目に焼き付けておこうという気持ちでいましたが、『おもいで酒』の2コーラス目で『また出たい』という強い思いを抱いた」といい、出場へとつなげるためどうしても新曲を発売したかったのだ。

“負のスパイラル”を救ったさだまさしとの絆

そんな窮地に陥った小林さんを、夫・明男さんは無理矢理外へと連れ出した。そして、2人でゆっくりと桜を見た。

当時の心境を明男さんは「泣き言を言わないんです。でも、さすがにその時はツラい顔をしていました。そこで 芸能界とちょっと離れたことというか、小さなことなんですけど、今までできなかったことをさせたい」という思いを抱き、「本人を応援してくれるファンもたくさんいらっしゃるわけです。その方々のためにも、倒れるわけにはいかないと。こもらせないで、とにかく外に出しました」と明かした。

こうした夫の支えもあり、小林さんは自力で新曲を世に出すために自主レーベルの設立を決心し、大手レコード会社に契約解除を申し入れた。

しかし、小林さんが音楽関係者に曲作りを依頼しても誰も引き受けてくれなかったという。それだけ騒動のイメージは根深いものだったのだ。

小林さんは「今までお付き合いしていた作家の方も『ちょっと今回は…』って言われて。“小林幸子には触らない”という、線を引かれたみたいな。どんどん負のスパイラルにはまって、どうすることもできなくて、四面楚歌になりました」と振り返った。

わらにもすがる思いで、小林さんは“さだ兄(さだにい)”と慕う、歌手・さだまさしさんに連絡。2人はもともとレコード会社が一緒で、年齢も近く40年来の友人。ちなみに1993年のヒット曲『約束』は、さださんが作詞作曲したものだ。

「さだ兄!さだ兄!助けて」という留守電メッセージを聞いたさださんは、小林さんから現状を聞き、「(新曲を)頑張って作るから、できたら連絡するね」と言って切ったという。そして小林さんからのSOSを聞いたさださんは驚くことに翌日には新曲を書き上げてくれたのだ。

だが、小林さんはさらなる問題に直面した。マイナスのイメージを引きずる当時の小林さんに、どこもレコーディングスタジオを貸してくれなかった。

結局、小林さんは偽名を使いスタジオを押さえ、極秘でレコーディング。ようやく完成した新曲のタイトルは『茨の木』。当時の小林さんの状況を歌詞にしたような歌で、騒動から約半年。10月に発売できたことで、ギリギリ紅白出場へ望みをつないだ。

“原点”に戻った手売り販売

やっとの思いで新曲ができた小林さんだったが、CDの販売に関する問題が発生する。

以前の大手レコード会社に比べ、自主レーベルでは全国を網羅する販売ルートを確保することができなかったのだ。

再び苦境に立たされた小林さんは「手売り販売」することを決意。実はこの決意が、小林さん自身が“原点”に戻るきっかけでもあったという。「よく考えたら、『おもいで酒』もそうだった。その前もそうだった。昔はそうやって一枚一枚レコードを手売りしていた。『そうだ、これが原点だ』と思った」。こうした小林さんの強い思いに、坂上も「すごいな…」とこぼした。

紅白常連の大物歌手がCDを手売りすることなど、異例中の異例だったが、この決断の裏には、小林さんが“原点”と話すように、過去が関係している。

10歳でデビューした小林さんは、デビュー曲『ウソツキ鴎』が20万枚の大ヒットとなり、鮮烈なデビューを飾ったが、その後はヒットに恵まれず、15年もの間、極貧生活を送った。

その下積み時代にやっていたことが、地方のレコード店を回り、ミカン箱に乗って歌うこと。そして、来店した客に手売り販売をしていた。

初心に戻った小林さんは、全国のイベント会場やレコード店などや約50カ所を回り、手売り販売としては異例の2万枚を売り上げ、紅白への道も見えてきた。

しかし、2012年11月末、「紅白落選」。小林さんの紅白連続出場は33年でストップしてしまった。紅白への強い思いはあったものの、気持ちを切り替えた小林さんは、その年の大晦日は海外でゆっくり過ごしたという。

ネットの世界へ飛び込む覚悟を決めた夫の言葉

そんな失意の中、小林さんのもとにインターネットの動画配信サービス「ニコニコ動画」からの出演依頼が舞い込んだ。

誰でも投稿でき、視聴者からのコメントが画面上に踊る。この画期的な演出が受けてヒットした「ニコニコ動画」だったが、これを楽しんでいたのはほとんどが若者。小林さんは、あまりピンとこなかったという。

当初は「『ニコ動って何?』と聞いたくらいだった」が、スタッフが背中を押したことで「みんなが面白いと言うんだったら、その面白いと言っていることに私は乗ります」と出演を決意したという。しかし、「ネットの方に行ったときに、旧態依然としている人たちからは“落ちぶれた”と言われた」と話した。

インターネットの動画という、これまでの演歌歌手人生では全く縁の無かった未知のフィールドに捨て身で飛び込む覚悟を決めた小林さん。そして、ここから小林さんの快進撃が始まった。

初めての投稿からわずか3日間で再生回数は100万回を突破。当時、ニコニコ動画史上、最速記録を樹立し、話題となった。

ネットでの反響に小林さんは「『本物の小林幸子だ』『歌うめぇ~』とか。まず、『うめぇ』ってコメントが出ることにびっくりして。『歌うめぇ~』って出たことも嬉しくて」と、当時を振り返った。

楽しくなった小林さんは、さまざまな動画を投稿したり、バーチャルYouTuber「キズナアイ」といったネット界の人気者たちとコラボするなど、徐々にネット界に浸透。そして、いつしかネット界では、小林さんの派手で豪華な衣装が、テレビゲームのラストに出てくるボスキャラに似ていることから「ラスボス」とも呼ばれるように。そして、これまでのファン層でなかった若者からも支持されるようになった。

当時、インターネットをあまり理解していなかった小林さんが、こうした新たな挑戦を決意できたのは、夫の「ある言葉」も影響しているという。

「『思い込みを捨てろ』と。『思い込みを捨て、思いつきを拾う』という言葉を教えてくれたんです。何十年歌っているとか、演歌で紅白に何年出たとか、小林幸子は誰にどんなふうに思われているとか、そういうことを捨てちゃうと、すごく楽になって新しいものに挑戦できるよねって。『そういう思い込みがあるから新しいものに挑戦できない』と言われたときに、ニコニコ動画に出会ったんです」

ネット界の人気は過熱し、2013年の年末には紅白の裏で「ニコニコ生放送」の年越しライブに出演。ネット界のカリスマ、バーチャルアイドル「初音ミク」のヒット曲『千本桜』を熱唱。2014年には、2日間で12万人以上も動員した「ニコニコ動画」の一大イベントに出演し、若者が熱狂した。

こうして、誰にも相手にされなかったツラい時期を乗り越え、新しい小林幸子が誕生したのだ。

そして、ついに2015年、紅白から出演オファーが来る。特別枠としての出演が決まり、2012年の紅白落選から4年ぶりに返り咲いた。

そこで歌った曲は、芸能界から消えたとまで言われた小林さんを救った『千本桜』。NHKが「ニコニコ動画」のシステムをそのまま使ったことも大きな話題となった。

その後は、テレビ出演、CM、ラジオ、映画の主題歌など、これまで以上に幅広く活動し、芸能生活55周年を迎えた今年、全国で55カ所、そして台湾でのコンサートを開催するまでになった。

豪華な新居をテレビ初公開

さらに、小林さんは今年6月に都内に完成させたばかりの都内にある地上2階、地下1階の3階建ての新居をテレビ初公開。

きらびやかなシャンデリアが印象的な吹き抜けのエントランスに、坂上も大興奮。新築の祝いに買ったという金のゴリラの置物が出迎えてくれた。

夫のこだわりの和室では、趣味の刀が飾られている。鎌倉中期に作られた超貴重な刀の値段は500万円。スタッフから値段を教えられると、「あ、そうなの?あとで主人に詳しく聞いてみます」と驚いていた。

実は、小林さんと夫・明男さんは、生まれる前から不思議な縁があったという。「結婚してから分かったのですが、私の父と夫の父は戦友だったんです。一緒に写っている写真もあってビックリしました」。

この豪華な新居は夫が設計したというが、もともと住んでいた家は目の前にあるという。なぜ、立派な家があるにも関わらず、新たに家を建てたのか。

その理由を小林さんは「自分の人生の中で結婚という選択肢が全くなかった。ですから、(もともとの家は)自分が一人で住む空間。結婚することになり、主人も自分が住んでいた家を出て私の家で住もうとなったのですが、一人で住む設計なので、練習したくても気を遣ったりということがありました。そうしたら、(新居の土地の)持ち主の方が遺言で、『ここの土地を手放すことがあったら、小林幸子に一言話をしなさい』と言って、亡くなられたんです。それを聞いてびっくりした」と話し、“終のすみか”として、家を建てることを決めたという。

この新居には、夫・明男さんによる小林さんのためのこだわりが詰まっている。コンサートやディナーショーで着る衣装を洋服と和服に分けて管理する衣装部屋や完璧な防音設備のカラオケルームも。

ちなみに、小林さんの象徴ともいうべき、巨大衣装は、別の倉庫を借りて保管しているという。

さらには、美容室並みのシャンプー台があるパウダールームや大好きだというサウナも完備。

小林さんの望みをかなえた設備に、「感動しました、勉強になります!」と坂上は目を輝かせていた。

スタジオでは、ゲストの川田裕美さんが「憧れが詰まったような家。手は届かないけど、欲しいと思うのが、あのパウダールーム」とコメント。また、新木優子さんは「幸子さんの『あれしたい、これしたい』が全部叶ったおうちなんだろうな」と羨ましそうにしていた。

(「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54)

直撃!シンソウ坂上
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