1970年に開催された大阪万博。そのシンボルだった「太陽の塔」が55年の時を経て国の重要文化財に指定されることになった。
しかし、「太陽の塔」は取り壊される予定だったのだ。
「太陽の塔」保存の秘話を徹底取材すると、保存を求めた多くの声、そして少年が送った一通の手紙の存在がありました。

■「太陽の塔」が重要文化財の指定へ
「太陽の塔」が重要文化財の指定されることが決まったことを受け、大阪府の吉村知事は「1970年万博のシンボルでもある太陽の塔が国の重要文化財に指定されたのは非常に意義深いと思います」と話した。
地元の吹田市民からも喜びの声が…
吹田市民:吹田市民として誇らしい。
吹田市民:よかったなーと思う。わしら子どもの頃からあこがれのアレやからな。
吹田市民:吹田市民の象徴ですね。
一方で、信じがたいこんな話も。
吹田市民:(当時は)全部壊すとかいうてた。すべて更地にするとか言ってた。

■「太陽の塔」は当初取り壊す計画だった
今となっては大阪万博のシンボルとして浸透している「太陽の塔」。しかし、当時は維持費の問題や自然公園にはふさわしくないなどの意見が上がり、取り壊す計画だった。
なぜ、保存することになったのか。
その理由にたどり着くため、ある人物を訪ねた。白井達郎さんは、大阪万博のウルグアイ館を自宅に取り付けるほどの『万博マニア』だ。
白井達郎さん:万博が終わって半年以内に全部取り壊す取り決めがあって、『太陽の塔』もその中に入っていた。最後、爆発させたらどうやとか突拍子もないような意見も出ていましたね。
爆破するという案まで飛び出たといいますが、保存された背景には何があったのか?
白井達郎さん:お手紙がたくさん届いたということで、署名もあったと聞いてます。

■ある高校生から「取り壊さなくても済むように…」切実な手紙が
当時の資料が残っていると聞き、取材班は吹田市の万博記念公園へ。
このイベント会場には太陽の塔の保存を求める全国から寄せられた多くの署名。
その横には、当時、高校生が送ったという一通の手紙があった。
(手紙):取り壊さなくても済むようにできないものでしょうか。お願いです。
「太陽の塔」保存への切実な思いが込められた2枚の便箋。差出人は「藤井秀雄」と書かれている。
もしかしてあの「万博マニア」の藤井さん!?
藤井さんはこれまで数々の万博会場に足を運ぶ生粋の「万博マニア」だ。

■「万博マニア」藤井さんが高校生の時に書いた手紙だった
当時、手紙を書いたのか、本人に真実を確かめるため、夢洲の大阪・関西万博で待ち合わせをすることに。
(Q:手紙を送った?)
藤井秀雄さん:送りました。送りました。
やはり、藤井さんが手紙を送った張本人でした。藤井さんにとって「太陽の塔」は大切な存在だったといいます。
藤井秀雄さん:過去というのは過ぎ去ったもんやと。過ぎ去ったもんをクヨクヨしたらあかんでと。それはやっぱり背中に置いとかなあかんなと。
さらに、「太陽の塔」の魅力を語る藤井さん。
藤井秀雄さん:(太陽の塔は)前に向かっては歯を食いしばってような顔に思えて、歯を食いしばって頑張ったらその先には未来があると思うと。自分の生き方の指標のように感じて非常に大事な存在に思えてきた。

■「太陽の塔」保存を求めた一通の手紙。そこには藤井さんの熱い思いが
「太陽の塔」保存を求めた一通の手紙。そこには藤井さんの熱い思いが綴られていた。
藤井さんが書いた手紙:拝啓、新聞で太陽の塔とお祭り広場を撤去するという記事を読み非常に残念に思い、何とか出来ないものかなぁと思い、何回も同じ記事を読み返しました。
太陽の塔とお祭り広場なしの万博会場跡というものは考えられません。今になってカネを食いすぎるということで壊すということは無責任すぎます。もう一度考え直して何とか取り壊さなくても済むようにすることが出来ないものでしょうか。
藤井さんが書いた手紙には担当者が線を引いた跡が残っています。

■藤井さんは当時の自分に「本当よう書いたな」
手紙を送っておよそ3カ月後…1975年1月の朝刊で「太陽の塔」の永久保存が報じられ、その紙面には、笑みを浮かべる藤井少年の姿があった。
藤井秀雄さん:びっくりしました。めちゃくちゃ嬉しかったです。
55年の月日を経て、今や重要文化財指定が決まった「太陽の塔」。
藤井さんはどう感じているのでしょうか。取材班と一緒に万博記念公園へー。
藤井秀雄さん:本当にもう遠い存在に感じる。近づいていこうと思うと非常にワクワクしますね。
重要文化財指定が決まってから、太陽の塔を見るのは初めての藤井さん。
藤井秀雄さん:本当に残ってくれてありがとう。お墨付きがもらえてよかったね」と笑顔で対面しました。
藤井秀雄さん:私だけの思いじゃなくていろんな方の思いが込められていると思う。どの程度(保存の)きっかけになったかわかりませんし、高校生の手紙なので、ちょっと重きを置いて見ていただいたのかなと思うと、当時手紙を書いた自分に『本当よう書いたな』と思う。

■55年前とかかわらず同じ場所でたたずむシンボル
55年前と変わらず同じ場所でたたずむシンボル。その内部には当時のテーマ「人類の進歩と調和」を表現したあの頃の展示が…
藤井秀雄さん:過去にこんなことやって考えて、こういうふうにしたんだよ。こんなことを見据えているんだよと伝える意味でも、壊してしまったら何もなくなってしまって。だから、『実物が残ってるって本当に大事なことですよ』とを口を酸っぱくして言っていきたいですね。
今なお感じることができる55年前の万博のテーマ。今回の万博のシンボルもこのような日が来るのか。
藤井さんは、今回の大阪・関西万博のシンボル「大屋根リング」についても「世界は一つの象徴。絶対に丸々一周残すべき。有効活用すれば収益もあげられる」と話していて、博覧会協会にはメールで保存を要望するそうだ。
(関西テレビ「newsランナー」 2025年5月20日放送)
