4月29日は「昭和の日」。また、2025年は昭和元年から100年を迎えます。そこで福井市立郷土歴史博物館が所蔵する戦前・昭和初めの白黒写真をAI技術でカラーにしたものを手掛かりに、福井の街を歩いてみました。
空襲や震災を耐え現存する建物も
一緒に街を歩き解説してくれるのは、福井市立郷土歴史博物館の藤川明宏学芸員です。
まず、昭和15年頃の福井駅前の写真。ビルが立ち並び人通りも多く見えます。「大名町交差点から駅前通りに向かって写した写真。だるま屋百貨店…いまは同じ場所に西武福井店がある」と藤川学芸員。また、もう一つの百貨店「福屋百貨店」のちの「大和百貨店」の一部が写っています。
そして今も変わらない建物がー
福井市立郷土歴史博物館の藤川明宏学芸員:
「当時の福井信託株式会社、現在は三井住友信託銀行福井支店の建物は、空襲も震災もくぐり抜けて現存している」
街のインフラが整った時代
昭和3年に「だるま屋百貨店」が開業すると、駅前は一気に繁華街に変わりました。写真には、パン屋などの看板、福井駅につながる「ひげ線」のレール、架線も確認できます。
福井市立郷土歴史博物館の藤川明宏学芸員:
「(ひげ線は)昭和8年に敷設された。昭和天皇が臨席して陸軍の特別大演習が行われた際、駅前などの主要な幹線道路がアスファルト舗装化され、街のインフラが一気に整ったのが、この時代だった」
ちなみに昭和10年の福井県の人口は約64万6000人。市町村は172もありました。
和と洋が融合
続いての写真は、だるま屋百貨店の周辺を写したもの。人々の生活感があふれ、通りには荷車などが行き交う様子が。「だるま屋百貨店があって商店街もあって、駅前のにぎわいが盛り上がっていく時代。モダンで近代的な洋風建築の商店街が立ち並んでいる」と藤川学芸員。
和装と洋装が混在した人々が歩く町には「羽二重」や「人絹」といった“繊維王国・福井”らしい看板が。土産品の「汐うに」の文字も確認できます。「森永チョコレート」の看板もあり、当時の空気感が伝わってきます。
「金時屋という食堂の向かいにも「富士見堂」という食堂があり、和風も洋風も食事ができるような店がこの頃、流行っていた」。一方で、自動車はほとんど写っていません。「リアカーもこの頃はまだ道路を走っていた」というように、昭和10年の県内には、自動車は700台ほどしかなかったようです。
2度の災害で進んだインフラ整備
「ここは景観が劇的に変わっている」と藤川学芸員が話すのは、大名町交差点の近く。北向きに撮影した写真の奥には、自転車販売店も見えます。「この道がいまのフェニックス通りで、急に細くなっていて今とは全然違う」。フェニックス通りが現在のように広くなったのは、写真の10年ほど後だといいます。
福井市立郷土歴史博物館の藤川明宏学芸員:
「福井空襲(昭和20年)、福井地震(昭和23年)と2回の大きな災害があり、震災後の復興計画で災害に強いまちづくりを目指す中で、いまのフェニックス通りにあたるこの道もまっすぐ北へ進むように、かつ拡幅した」
「古さと新しさの混在」が魅力
わずか数枚の写真から見えた福井駅前の変遷と人々の営み。昭和100年のいま、さらに再開発も進んでいます。
福井市立郷土歴史博物館の藤川明宏学芸員:
「(昭和初期は)街の勢いや福井駅前の開発が一気に進んだ時代。しっかり残っているところもあるので、古さと新しさが混在しているところを楽しんでほしい」
変わった景色もあれば、今も変わらず残ってる建物も。昭和の景色を思い浮かべながら街を歩けば、新鮮に感じられるかもしれません。
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