一度の撤退でも諦めない。
町工場から急成長した2度目の初挑戦です。
観光名所のビーチも近いサンタモニカの街。
その一角に新たにオープンしたのは、「革新的なジャパニーズマットレス」。
赤字続きだった町工場から、トップアスリートたちに愛される寝具メーカーとなったエアウィーヴ。
一度は撤退したアメリカ市場へ捲土(けんど)重来を果たすべく、再上陸しました。
エアウィーヴ・高岡本州社長:
再挑戦というより、これが初めての挑戦。(新たな)マットレスとしては、そう思って頑張ろうと思っています。
過去の苦い経験から学び、2度目の初挑戦へ。
その秘策とは?
ロサンゼルスにオープンしたエアウィーヴの新店舗。
今回は8年ぶりのアメリカ市場へのチャレンジとなります。
エアウィーヴ・高岡本州社長:
ロサンゼルスというのは特に健康意識が高く、環境意識が高いので、そこで我々の商品が通用するかどうか。
エアウィーヴの前身は、1962年に釣り糸などの機械を作る町工場としてスタート。
赤字続きだったことから、2007年に寝具メーカーに事業転換しました。
マットレスの製造工程を見ると、釣り糸のような樹脂製の糸で作られています。
高岡社長は「これを使って寝具を作ると、スプリングに置き換えられるのではないか。こう思って寝具を作り始めた」と話します。
高反発で寝返りが打ちやすく、筋肉に負担がかからないなどの特徴があるといいます。
転機となったのは2011年、浅田真央さんがブランドアンバサダーに就任すると知名度は大幅にアップし、売り上げも急増しました。
そんな中で、2015年にニューヨークに出店。
しかし、毎年20億円以上の損失を出しわずか2年で撤退。
高岡社長はその原因について「お客さんに届いた時に荷崩れしたりとか、商品そのものではないところでクレームがあった。準備不足といえば準備不足。それに尽きます」と振り返りました。
高岡社長は、配送の際の破損事故が相次いだことや、商品がアメリカ人の好みよりも薄くて硬かったことなどが原因とみています。
この経験を基に、マットレスを配送しやすい3分割に改良。
部分ごとに裏表を変えて、好みの硬さにカスタマイズもできるようにしました。
さらに、アメリカで好まれる軟らかめの商品も新たに開発しました。
商品を開発する上で念頭に置いていることについて、高岡社長は「4年に1回オリンピックの大会があって、多分彼らの人生の中で最も重要な一晩は、戦う前の日の一晩だと思う。そこに選ばれたいと思って商品を開発して」と語りました。
東京、パリの2度のオリンピックでオフィシャル寝具パートナーを務め、トップアスリートが使用した実績を積み上げてきたエアウィーヴ。
次のオリンピックの舞台であるロサンゼルスで、再びブランドの確立を目指します。