「本人は一生懸命生きようと思っていた。それを奪ってしまって申し訳ない」
80歳の男は声を震わせながら法廷でこう語った。長年にわたり介護していた85歳の妻を夫が殺害した事件。“介護疲れ”による殺人だったのか、それとも“衝動的な”殺人だったのか。裁判員らが悩み抜いて出した結論は執行猶予付きの判決だった。
吉田友貞被告(80)は2023年9月30日から10月2日までの間に、東京・世田谷区の自宅で妻・節子さん(当時85歳)の首を両手で絞めつけた後、電源コードを首に巻きつけて殺害した罪に問われている。
保釈中の吉田被告は12日の初公判に、青いネクタイを締めグレーのジャケットに黒のスラックス姿で法廷に現れた。声が聞き取りづらいのか、右手を耳に当てながら裁判長らの話を聞く場面もあったが、はっきりとした口調で「間違いありません」と起訴内容を認めた。
“老老介護”の実態 食事にはこだわりも
吉田被告は50歳の時に、仕事関係で知り合った節子さんと結婚した。仲の良い夫婦だったが、2016年頃から節子さんの視力が悪化し、生活状況が変化していくことになる。ヘルパーの支援を受けることになったものの、支援は外出する時だけ。自宅での介護は、節子さんの希望もあり吉田被告が1人で担っていた。その後、節子さんはほとんど目が見えない状態となり、2023年1月には要介護の認定を受けることになった。
その後、節子さんは、吉田被告の浮気を疑う発言、「死にたい」との発言、勝手に外に出て行って徘徊、近隣住宅のインターホンを鳴らすといった言動が増えていった。
7月には神経症・うつ状態と診断されることになる。精神科医が訪問診療することになったが、節子さんが受診を嫌がったため、2回目以降は全てキャンセルすることになった。
節子さんを一人にしてはおけないと考えた吉田被告。“息抜きの場所”だったシルバー人材センターでの仕事も辞めて介護に専念することにした。
吉田被告が1人でしていた介護とはどういったものだったのか。
トイレやお風呂は節子さんだけでできたというが、吉田被告は家事全般、爪切り、毎日足湯を用意、夜中などに痰が詰まったときには背中をさすることなどをしていた。食事については節子さんの好みに合わせて作っていたという。
この記事の画像(4枚)吉田被告:
朝はパンや牛乳、ヨーグルトに果物を入れたもの。牛乳は決まったものしか飲まなかった。昼は麺で夜はご飯。ご飯は毎回1合炊くが、1合に500mlの水を入れていた。魚は骨が駄目なのでほとんどがマグロやネギトロだった。お肉も柔らかいのしか無理なので、しゃぶしゃぶ用の肉を焼いたりしていた
弁護人:
どうして節子さんのこだわりに付き合ったのか。
吉田被告:
我々の歳になると食べることくらいしか生きがいがない。なのでできるだけ望み通りにしたかった。
弁護人:
介護についてはどう思っていた?
吉田被告:
2人きりの家族なので当たり前だと思っていた。
検察官:
ストレスに感じていた?
吉田被告:
自分ではストレスという認識はなかった。そんな大変な介護をしている認識はなかった。
事件の10日前、妻が錯乱状態に
吉田被告はつきっきりで介護をしていたが、2023年9月22日にある出来事が起きた。
吉田被告:
この日は一日中調子が悪く、私が買い物から帰ってきたら「どこに行っていたんだ」とか「財布を返せ」とか「浮気をしているならお金を返せ」とか話の筋が通らないことを言われた。
節子さんはその後外に飛び出し、大声で叫びながら近隣住民の玄関をたたくなどの行動をしたため、吉田被告が救急隊を呼ぶといった騒ぎがあったのだ。
この出来事から約10日後、吉田被告は節子さんを殺害した。
事件直前も節子さんが大声で騒ぎ、吉田被告は話を聞いたりなだめたりしたが、手がつけられない状態が続き、「静かにしてほしい」という思いから首を絞めた。節子さんを殺害後に吉田被告は自殺をすることも考えたが、実行できないまま事件が発覚し逮捕に至ったのだ。
「限界です!!」携帯に残された日記
事件当時の吉田被告の心境はどのようなものだったのか、吉田被告の携帯電話のメールの未送信フォルダには「日記」が残っていた。
(吉田被告の日記より)
2023年9月30日午前1時2分
なかなか死ぬふんぎりができません。でも限界です!!
やってみます。ご迷惑をおかけします。
2023年9月30日午前1時29分
死ねるかな?!出来るかな?!分からないけど息苦しいです。
2023年9月30日午前2時4分
刃物は傷つけてかわいそうなので首を絞めようと思います。
2023年9月30日午前2時26分
まだ勇気がでません。ありったけの酒を飲んで頑張ってみる。
2023年9月30日午後7時6分
かわいそうだな。節子の頭の中どうなっているのかな。
2人で死ぬことを考えたものの、実行できない様子がわかる。
そして、2日後。
(吉田被告の日記より)
2023年10月2日午前1時4分
ついにやりました。ずっと首を絞めて申し訳ありません。後は自分の事です!!頑張れ。
2023年10月2日午前10時33分
節子は楽になったのかな。俺はいまだに生きています。
包丁は小さい方が良いのか。頑張れ。
日記には「頑張れ」という言葉が多くあった。吉田被告によると「節子を殺してしまった以上、私が生きていることはありえない」と考えてはいたものの、「自分を刺す勇気が出なく、それを何とか振り絞ろうと自分を激励していた」という。
“生きる権利を奪ってしまった”男が語る後悔
事件から約9カ月。吉田被告は今何を思っているのだろうか。被告人質問では次のように答えた。
弁護士:
節子さんに対してどのように思っている?
吉田被告:
本人は一生懸命に生きようと思って薬も欠かさず飲んでいたのに私が生きる権利を奪って申し訳ない。節子は今怒っていると思います。
弁護士:
事件の根本的な原因は何だと考えている?
吉田被告:
私自身が古いかもしれませんが、自分の家のことは自分で片付けないといけない、人に弱みを見せてはいけないと考えてしまったことです。
弁護士:
今何か言いたいことはある?
吉田被告:
節子は昔から他人様から言われていたが、しっかりもので、きちょうめんで、仕事的にも家庭的にも強い人だとみられていたが、ここ2、3年の節子を見ていると本当は私に甘えたかったのではないかなと。それが出来なくて申し訳ないです。
「悩み抜いた」裁判所の判断は執行猶予
この事件は、“老老介護の介護疲れ”による殺人事件だと報道されている。ただ、検察側は吉田被告自身が介護をストレスとは思っていなかったこと、節子さんも吉田被告の手助けを受けてはいたがある程度身の回りのことはできていたことなどを指摘し、“介護疲れによる殺人”と見るべきではないと主張。節子さんが騒いだり、なだめても収まらないといった言動に「頭に血が上り、カッとなった」ことで殺害に及んだとして懲役7年を求刑した。
一方、弁護側は、介護によるストレスを自覚していなかったにせよ、肉体的・精神的に疲労していたこと、介護サービスを受けることを節子さんが拒否をしていたことなどを踏まえ、 “介護”が事件の背景にあり、犯行に至る経緯に酌むべき事情があるとして執行猶予付きの判決を求めた。
20日、裁判員らが出した答えは懲役3年、執行猶予5年の判決だった。
東京地裁は判決で、「吉田被告自身、ストレスを感じていなかったと述べているが、その経緯をつぶさに見ると、家族のことで他人に負担をかけさせられないとの思いや、自らの見栄などから介助を背負い、自覚のないまま疲労や疲弊感を蓄積させていたことは容易に推認できる」と指摘。その上で「実刑を選択することも考え得るところであるが、吉田被告の置かれていた状況や事件までの経緯を考慮すると、刑務所に直ちに収容することのみが刑事責任を問う唯一の手段とまでみることはできない」「その余生において、反省を深め、被害者を弔い続けるべきものとすることが適当」として執行猶予付きの判決を言い渡した。
そして裁判長は判決を言い渡した後、「結果が大変重いということは何回も強調したいと思います。私達は悩み抜いた上でこの結論にたどり着きました」と震える声で涙ながらに諭していた。
「私だけが普通の生活をしていいのか」
吉田被告は判決後に報道陣の取材に応じた。
――判決が出たときの率直な気持ちは?
吉田被告:
正直言って執行猶予が付くとは思っていなかった。本当にいろんな人にお世話になって執行猶予がついたが、本当にそれでいいんだろうかっていう微妙な気持ちは本当にある。
――最後に裁判長が「私達は悩み抜いて結論を出した」って言っていたがどう思った?
吉田被告:
本当に私から見たらすごく寛大な判断をしていただいたんだと思いますけど、それが本当にいいんだろうかって、そういう気持ちがある。本当に頑張って努力しようとしていたのは私だけじゃないんだと。女房も頑張っていたのは間違いないことなんで。
――執行猶予で本当にいいんだろうかというのは節子さんに対して?
吉田被告:
はい。私だけが表で普通の生活をしていいんだろうかという気持ちがある。
吉田被告の異変に気付いていた人は周囲に多くいた。吉田被告の妹、ケアマネジャー、お寺の僧侶、近隣住民たちが吉田被告の様子を心配し、相談も受けていた。しかし最終的には吉田被告が「自分の家のことは自分で片付けないといけない。他の人には迷惑をかけられない」という考えから1人で抱えてしまい、最終的には殺人事件という最悪な結果になってしまった。
吉田被告は法廷で精神科医の訪問診療を断った時が分岐点だったと振り返り、「本人が嫌がっていても介護サービスの利用や病院に入院させるべきだった」と語った。だが、それを実際に実行するのは難しい。孤立してしいる人や十分な介護を受けられていない人をどう救うのか、高齢化が進む中で今後このような悲しい事件を起こさないためにも課題を社会全体で解決しなければいけないだろう。
(フジテレビ社会部 高沢一輝)